第7話 日常の大切な1コマを 2

 

 悠里が日色に詩の勉強会の連絡をしたのは土曜日のことだった。


 間隔があまり短くても長くてもダメかなと考えたので、週1くらいがいいかなと判断した結果だ。毎日でもやりたい気がしていたがすぐにネタが尽きそうだし、迷惑かなと考えたからだった。


 日色は真面目で、話も聞いてくれるし、応用もするし、意見もくれるし、こんな身近に詩に興味がある人がいてくれて幸運だと悠里は思う。それが男子であっても、距離感を保って、関係を続けたいと思う。穂波の意見は、一旦スルーする。ことを急いてはことをし損じるというではないかと悠里は自分に言う。


 悠里は大学ノートに詩の勉強会で何を言おうかとアイデアを書きためる。基本的には第1回に引き継ぐ内容になるが、もっと身近なものに題材が振られている。


 日色からはすぐに返事が来た。


〔しっかり読み込んでいるよ〕


〔準備はできているみたいだね〕


 特に日色に不都合がないようなので、月曜日の放課後に第2回の開催となった。いつもなら憂鬱な月曜日なのに、月曜日を迎えるのが楽しみになった。


 日曜日はテストが近いのでテスト勉強に時間を費やした。水曜日からはテスト準備期間になるからまた穂波が勉強会の話をもちかけてくるだろう。日色と過ごす時間が少しずつ増えていくが、悠里は悪い気がまったくしなかった。


 月曜日がきて、普通に授業をこなし、放課後を迎える。


 教室にいる時間は日色と話をすることはないが、実はうずうずしている。他人と同じ方向を見て話をすることがこんなにも楽しいことを知らなかった。悠里はそう自覚する。


 日色と時間差を作って、図書室にいく。図書室では上泉が窓際で勉強をしていた。特進クラスで1位をキープするのは尋常ではない努力が必要だろう。そんな中、詩の勉強会を始めるのは少々気が引けるが、上泉はもちろん始めることを分かっているので笑顔を作って迎えてくれた。


 日色は詩の棚の前のテーブルに着席していた。テーブルの上には『はるなつあきふゆの詩』の絵本が2冊ある。1冊は市立図書館のバーコードが貼ってあるので日色が借りてきたのだろうと思われた。


「お待たせしました」


「待ってないよ。ついさっきまで同じ教室にいたじゃない」


「なんか言いたい雰囲気だったので」


 悠里は苦笑しつつ、向かいに座る。この距離では髪の匂いは嗅がれないな、などと彼がしたためた歌詞を思い出す。あれは自分の髪のことだったのかもしれないと後で思い返した。シャンプーとリンスの匂いがするに違いなかったが、恥ずかしい。


「どうだった?」


「ずるい」


「そうきたか。確かに文字だけと比べたらイメージの広がりは段違いだよね。視覚効果って大きい」


 悠里は自分がもってきた方の絵本を開ける。


 まずは3月、そして雪。春の訪れは青い鳥がさえずることで始まる。雪の中で寝そべる女の子が語り手だ。彼女の住んでいる場所は館山と比べるとかなり寒い地方になるのだろう。


 雪が解けて雨、そして花。夏は川で泳ぎ、海に行き、夜空を仰ぎ、秋が来て、衣替えに枯れ葉が舞い、そして冷たい雨が降り、雪が舞うようになり冬が訪れ、1年が巡る。


 その1つ1つの出来事に、研ぎ澄まされた、けれど優しい言葉で、四季が語られる。


「日記形式だよね。3月なん日になにがあったかって簡潔に記されてる」


「簡潔さが詩の特徴の一つだと私は思う。日本語だと極限まで切り詰めると俳句になるけど、子供の視点だから端的な感じでリアリティもあって面白い」


「さっき、ずるいとは言ったけどそれは歌も同じだなあ」


「旋律が加わるのもずるいってことになる?」


「いろいろな楽しみ方があっていいってことで……」


 日色は苦笑する。


「でも、絵がものすごく優しいから、読み上げる句も優しく思える」


「相乗効果だよね。想像を自分寄りに広げる余地は少ないけどそのかわりこの子と一緒に1年を過ごせる。1年だよ?」


「夏目漱石の『夢』なら一瞬で100年だ」


「それ、面白い。時間もコントロールできるってすごくない?」


「イメージの力だよね。人間らしいと思う」


「え、どういう意味?」


「人間はなんでもコントロールしようとするから。水の流れも自然も植物も大地もいいように。実際には時間はコントロールできないけど頭の中でならコントロールして楽しめるよ。そんなことするの人間だけに違いないよ」


「うーん、良くも悪くも人間らしい、か」


 悠里は日色の発想が面白いと思う。これが詩を読み合う醍醐味だと思えた。


「桜宮くんならこれをどう自分の作詞に生かす?」


「9月20日 今日はお勉強会 苦手な科目もみんなでやれば どんどん進む 1人じゃないって それだけでいいね」


「おお。写真を添えたいね。窓の外が青空に白い雲で勉強道具が置かれているテーブル」


「人物はない方がイメージが膨らむね」


 ふふ、と思わず悠里は笑ってしまう。


「桜宮くん、すごい。私も同意見だよ」


「どのくらい情報を盛り込むかはさじ加減が難しいね」


「今日はどう詠む?」


 日色は目を丸くした。


「ちょっと、悩む」


「どうして? 私ならこうかな。『今日は2人で絵本を読む 春夏秋冬 絵本の中で1年を一緒に過ごす 絵本を一緒に読むって 時間旅行だね』」


 日色は肩をすくめる。


「浜元さんには適わないや」


「白状するとだいたい事前に考えてきました」


「なんだ。そっか。安心した」


「でも桜宮くんがさっき詠んだのは即興でしょう? よくまとまっていたと思うんだ」


 悠里がそう言うと日色は照れ笑いした。


「それはこの前、もう2人で詠んでいたから、この絵本を貸して貰ったあと、自分に照らし合わせてアレンジしてみたんだ。絵本に引っ張られてイメージの年齢も下がったみたいだけど」


「そうなんだね。でも、そう考えるとなんでも1回は詠んでみるのは大切だね」


「宮沢賢治の詩は4年間の長さを固定された1枚の絵に落とし込んでいたけれど、これは毎日の何気ない1コマを絵と文字にしていて」


「どっちがいい、わるい、じゃないよね」


 日色は悠里の言葉に頷いて、悠里の言葉を続けるように言う。


「日常の大切な1コマを歌詞にした方が、普遍性が高くて、聞く人がそれぞれイメージして、世界が広がるのは間違いないね」


 日色は自分の作詩にどう生かすか考えているようだ。


「経験していることはそれぞれ違うから。『恋』の詩は逆にぎゅっと押し込めて形にしていることでぐっとイメージを強くしている」


「題材によるのかなあ」


「題材もテーマによるよね」


 そこは難しいところだ、と悠里は思う。


「心に強く残ったものを詩にしたくなるっぽいから、テーマは後付けかな」


「書いたからこそ、テーマに気づくとか」


「そんなこと言われたらもう君に詩を見せられないよ」


「ええっ? どうして?」


 日色は真っ赤になってしまった。


「ええっと、なんていえばいいのかな。自分の気持ちをさらけ出すのはいつだって勇気がいるよね。そういうこと」




 勉強を見てくれる君 髪の匂いに胸が高鳴る




 勉強会のときに日色が記した一節が思い返される。あれは穂波と黒峰のことだとばかり思っていたが、自分と彼のことだとも考えられるのだ。自分は穂波と黒峰のこととして続けたが、今の詩の勉強会がまさにそれだ。


「いやあ――なんていえばいいのか」


「浜元さんが僕の台詞を繰り返すことないんじゃない?」


 悠里も彼と同じように自分の顔が赤くなっているのではと思う。


「私の髪、なんの匂いがする?」


「え、なんでいきなり?」


「この前のメモしていた一節」


「あ……」


 日色も思い至ったようだ。幾分ためらいながらも、聞かれたから仕方ない、勘弁するかというように口を開いた。


「――柑橘系のシャンプーとリンスの香りがします」


「うん。好きなんだ。柑橘系の匂い」


 何を私たちは言い合っているんだと悠里は自問する。


「大丈夫? 僕、臭わない?」


「大丈夫に決まっているじゃない。何いっているの?」


 日色がボケてくれて助かったと悠里は思う。


「気になるよ」


「そもそも、聞いた私が悪かったです」


「気分を害さなければいいんだけど」


「こんなことで嫌ったりしない」


 悠里は笑ってみせる。日色は大切な詩の仲間だ。それは間違いない。


「よかった」


 日色は安堵したように微笑んだ。その微笑みを見て、悠里は自分の頬がまた紅潮し始めるのを感じた。




 下校時刻まで一緒に『はるなつあきふゆの詩』を読み込んで、解散した。


 1冊分の詩となるとかなりの量になる。


 日色には冬のシーンでは肌寒く感じられたし、夏のシーンではまさに今の暑さを思い出せたし、春と秋の穏やかで心地よい気候はそのままに、季節が移ろう厳しさと期待のシーンは、心の動きを捉えられた。絵本は豊かだと日色は思う。もし自分が絵を描くことができたのであれば、別にギターを奏で、歌わなくてもいいと思うくらいだ。


 悠里と校門で別れ、日色は市立図書館まで歩いて行き、ブックポストに絵本を投函する。こんなことでもなかったら図書館に来ることもなかっただろう。


 詩を読むことで、彼女と話をすることで、自分の世界が少しずつ広がっていることを日色は実感する。


 自分の興味のあること、自分に関係のあること、自分がわかることだけを周りに置いたら、それは世界が広がるはずがない。こんなにも世界は開かれているのに、触れずにいるのはもったいないとしか言えないだろう。


 そして世界を広げることは今までは全くの他人だった人と関わりを持つことだとも思う。その筆頭にいるのが悠里だ。同級生だが、先生だ。


 今、自分が彼女に教えて貰ったことを考え、ちょっとした未来までに自分が確信できることを自分の胸の中に育んで、それを彼女がしてくれているように悠里に伝え、2人でわかり合えたらいいと日色は思う。


 それは難しいことかもしれない。難しくても回を重ねればきっと確信に近くなっていくはずだと思う。


 夕日の中、日色は家路につく。


 この光景を言葉に変換するなら、どうなるんだろうな、と考えながら。

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