第6話 日常の大切な1コマを 1

 6限目が終わってもまだまだ暑い9月だった。そろそろ少しくらい涼しくなって欲しいと日色は思う。


 日色は帰り支度をして4階の自習室に向かう。自習室はディスカッションで模造紙を広げて作業することもあるので広いテーブルが置かれている。放課後の自習にはもってこいのテーブルだ。


 自習室に着くと、もう黒峰の姿があった。短めの髪に真っ黒に焼けた肌はいかにも体育会系だ。日色が彼と話す機会はあまりないので少し緊張する。


「参加する男子ってもしかして桜宮?」


「黒峰くんがくるって話は浜元さんから聞いているよ」


 日色は黒峰の向かいに座る。


「じゃあ、もう1人の女子は浜元さんか。全員で4人?」


「そうみたいだね。早めにテスト勉強を始めるのはいいことだ」


「飯塚に言われなかったらまた放置するところだった」


 黒峰はうんざりだという顔をする。


「飯塚さん、クラスのムードメーカーだものね」


「あいつは中学のときから変わらないよ」


「同じ中学だったんだ?」


「ああ。まあ、こんな感じで勉強会よくしてた。この高校に入れたのも飯塚のお陰でもあるから、頭が上がらないよ。」


 黒峰は心の底から頭が上がらなさそうな顔をする。この学校は南房総では進学校になる。特進クラスでなくても普通に都心の大学に進学するレベルだ。黒峰は穂波に感謝してはいるのだろう。


「飯塚さんは面倒見がいいんだね。浜元さんの席の近くになっただけで僕を勉強会に誘うんだから」


「それはあいつが『恋の予感~♪』とか言って、浜元さんと桜宮をくっつけようとしているだけだと思うぞ。ああ、そういうことか、今日の勉強会」


 黒峰は頭をかいた。それはどうだろう。昨夜の悠里のメッセージはそんな感じではなかった。他人の恋の面倒は見られても自分の恋には臆病らしい。あ、これはいい。日色はリングノートにこのフレーズをメモする。


「何してるんだ?」


「アイデアノートに歌詞のアイデアを書きためている」


「そういや桜宮、ギター小僧だったっけ」


「今度はコピーじゃなくてシンガーソングでいきたくて」


「文化祭の弾き語り、人だかりできてたもんな」


 入学してそれほど時間も経っていない6月、この学校ではいきなり文化祭がある。その際、軽音同好会の存続をかけて新入生の日色が1人で体育館のステージに立ち、何曲か披露した。割と生徒が集まってくれたのは嬉しかった。悠里がそれを知らなかったのは彼女が体育館に来なかったからだろう。


「同好会の荷物置き場を死守するために頑張る」


「ギターかさばりそうだしな」


 黒峰の理解が得られて嬉しい。


 そんな会話をしていると穂波と悠里が自習室に入ってきた。


 テーブルの席の並びを見て彼女たちは目配せし、黒峰の隣に穂波が、日色の隣に悠里が座る。悠里を見るとGJと顔に書いてあるように見えた。どうやらこれで良かったらしい。悠里の、ひいては穂波の助力になれて良かったと思う。


「なんで自習室来てノートすら広げていないかな」


 穂波が黒峰にツッコミをいれる。


「来たばかりなんだよ」


「赤点回避しないと部活も危ないだろ? やっとけ」


「言われるまでもねえ」


 関係性がわかる会話だ。尊いとはこのことかと日色は思う。 


 各々自習を始める。科目は別々だ。日色は苦手な英語を始める。単語の暗記とその単語に付随する熟語の暗記をし、それを確認するために英文を書く。手で書くのは暗記には特に重要だと改めて思う。


 穂波は早々、黒峰の世話を焼いて勉強を教えている。いいことだと思いつつ、日色は自分の勉強に集中する。どうせ勉強会に付き合うのならとことん勉強するまでだが、隣に座る悠里が気になる。距離的には授業中より、詩の勉強会のときよりずっと近い。悠里が耳打ちしてくる。


「今日はありがとうね。いきなり」


「どうせ用事なんかないから」


「でもほら、勉強会なんてそうそう気乗りしないよね」


「そんなことは――」


 悠里はニッと笑い、日色が目をそらす。


 目をそらすと正面の2人の視線に気づく。穂波と黒峰は一瞬ニタリと笑い、何事もなかったかのようにノートに向かう。


 どうやらこちら側も黒峰がいうように穂波の計画の一部だったらしい。悠里は分かった上で穂波の協力をしているのだろうなと思う。それでもいい。悠里と授業時間以外の同じ時間を過ごすチャンスはそうないのだから、不都合がない限り受け入れよう。


 30分ほど過ぎて日色は一度離席する。廊下でストレッチをする。どうにも肩が凝るのはギターばかりやっているからだろう。足音がしたので振り返ると悠里がいた。


「これ、渡しておこうと思って」


 そして1冊の絵本を日色に渡した。


「『はるなつあきふゆの詩』」


「詩とあるでしょう? 詩の絵本なんだ」


「次のテキスト?」


「正解」


 昨日の今日なのに彼女はやる気満々だと日色は嬉しく思う。


「そっか。わかった。あと、昨日、少し作詞が進んだんだ」


「それは良かったね」


「君のお陰だ」


「いやいや。ひいては図書室の仙人のお陰だよ。実は上泉さんにアドバイスされたからやってみようかと思ったんだ」


「それでも始めたのは浜元さんだ」


 その事実は変えようがないと日色は思う。


「照れるよ」


「照れてください。それだけのことをしているんだから」


 日色はそう言葉にすることが嬉しい。


「いつになるかは連絡します」


 日色は頷いた。あまり離席時間が長いと変に思われるかもしれないと考え、戻ろうとしたが、悠里に袖を一瞬掴まれた。悠里は唇に人差し指をあてていた。


 そっと日色が自習室の中を見ると穂波が黒峰の勉強をみてあげていた。


 絵になるな、と日色はリングノートをポケットから取り出す。




 勉強を見てくれる君 髪の匂いに胸が高鳴る




 ささっと一節、書いてみる。悠里がそれをのぞき見る。


「少女マンガチックだ」


「この勉強会の一幕を切り取るとこうかな、と」


 しかしそれは穂波と黒峰のことだけではない。自分自身が悠里の髪の匂いを嗅いだときに思ったことでもある。


「私ならこう。『どうして気持ちに気づいてくれないの 心の中だけで彼の頬をつねる』」


「少女マンガチックで対抗する?」


「一応、私も乙女で現役女子高生ですよ」


「一応もなにもまだなってそれほど経っていないよね」


 日色は笑いをこらえきれない。


「桜宮くんの一節と私の一節を並べて男女デュオしたら面白そう」


「その発想はなかった」


 悠里も笑う。


「浜元さんは歌える?」


「中学のときの合唱くらいだから歌えるとは言えない」


「残念」


 会話が弾むのが日色は嬉しい。


 そろそろ戻ろうかと自習室に入ると2人は元の通り、それぞれ勉強をしていた。こちらが見ていたのだから、あちらも見ていたと考えるべきだ。自分が黒峰から何か言われることはないだろうが、穂波から悠里が後でなにか突っ込まれるのは間違いないだろう。


 日色と悠里は席に戻って勉強を再開する。勉強ははかどり、勉強会は下校時間まで続いた。穂波と黒峰とは昇降口で別れる。2人とも同じ方向で自転車通学だ。悠里とは校門で別れたが、日色は同好会のロッカーからギターを取りに戻り、ギグバッグを担いで海を見に行くことにした。


 北条海岸に着いてもまだ明るい時間だった。


 もう日差しはきつくなく、日色は階段に腰掛け、チューニングし、コードを奏でる。


 この歌詞にはどんな旋律が合うんだろう。


 そう考えるのが楽しくて、いろいろ試した。


 それだけで日色の時間は飛ぶように過ぎていった。

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