第5話 風景を切り取る 2

 付箋がついている箇所を日色は開く。




「恋 宮沢賢治




 草穂のかなた雲ひくき


 ポプラの群にかこまれて


 鐘塔白き秋の館




 かしこにひとの四年居て


 あるとき清くわらひける


 そのこといとゞくるほしき」


 (青空文庫より抜粋 底本:新修宮沢賢治全集 第六巻 筑摩書房)


「うわあ。すごい伝わってくる」


 日色は口の中で詩を言葉に代えて読んでみる。音が気持ちいい。


「五七調だ」


「口にすると分かることがあるよね」


「情景がすごい.ポプラと草の緑と白い雲と、たぶん、青い空と浮かぶ」


「切り取ったみたいだものね」 


「後半も好きな人の笑顔の写真を切り取ったみたいだ。きっと清楚な人だったんだろうね。上品な感じがする。最後に愛おしい気持ちを置くのがずーんとくる」


 宮沢賢治がこの女性を好きだった気持ちが、今も自分を通して蘇るかのようだ。


「参考になったかな」


 日色は頷いた。自分の中に恋の感情が生まれたら、どんな詩になるだろうと想像する。すると日色は当然のように悠里に顔を向けてしまう。彼女は少し自分に優しくしてくれているだけなのだからと日色は自制する。


「風景を切り取ると詩っぽくなるよ」


 悠里が今日の重要なところを意識して言葉にした。


「たとえば昨日の夕焼け?」


 日色も思い至り、悠里は創作ノートを広げた。


「お茶の部分を『鰯雲』にしてみた。『鰯雲 ベンチで2人 夕焼けの 宵の明星 明日を願って』。どうかな?」


「鰯雲が先になったら、白い鰯雲が頭に浮かんで、夕焼けになって赤くなった気がする。時間の経過が感じられるかな」


「そうとれるかもしれない」


「深いなあ」


「だからジャンルとして確立しているわけで」


「それはそうだ。ただこの詩の風景は宮沢賢治が好きな人が4年も住んでいたわけで特別なんだよね」


「その情報も大切だよね」


「この『ベンチで2人』は僕らだけど、知らない人が読んだらどうとられるのかな」


「それは人それぞれだよ。それが短歌のいいところで」


「カップルか、夫婦か、親子か」


「少なくとも偶然、外でばったり出会った同級生とは読めないね」


 日色は笑い、悠里も恥ずかしそうに笑った。


「実は2人だけでなく、散歩中の犬も一緒にいるかも知れないし」


「桜宮くん、想像広げてくれるね。確かにいい絵だ。ウチも犬飼っているから、なんか想像してしまいました」


 ふふ、と悠里は笑った。


「浜元さんは犬を飼っているんだ?」


「外国の犬の血が入った雑種の中型犬。お散歩が大好きで」


 その悠里の笑顔に日色はやられてしまう。かわいい。


「いいなあ。ウチはペット禁止だから」


「そうなんだ」


 悠里はそこで言葉を止めた。


「どうしたの」


「ううん。なんでもない。どう? こういう詩の勉強会やったら参考になるかな」


 悠里は思い直したように日色に向き直った。


「とても。詩を目で追って読むだけじゃなくて、口にして、そして感想を言葉にすると理解度がすごい。流されない。解像度があがる。歌って流されるよね。ずいぶん、違う」


「消費の仕方というか――捉え方の違いだよね。考えてみれば別に歌詞だって角度を変えればぜんぜん違うんじゃないかな」


 それは日色が弾き語りを始めて強く思ったことだった。


「どうしてこの詩を選んだの?」


「だって、ラブソングって定番だから。参考になるものを選んだって最初に言わなかったっけ?」


 悠里は不思議そうに聞いた。日色は自分の顔が赤くなるのが分かる。


「そうだった。耳で流されない作詞をしよう。うん」 


 自意識過剰すぎるなと日色は思う。


 少しだけ思ってしまったのだ。詩の勉強会を悠里が今回限りにしたくないのではないかと。そしてその理由が恋の予感だったから、だから『恋』を選んだのだと。そうあって欲しいと日色が暗に願うから思ってしまったのだろう。


「その気づきがあったのなら、詩を選んできた甲斐があったよ」


 悠里は満足げに笑う。純粋に詩が好きなのだ。本当にいい子だなと日色は思う。下心が優先ではないが、まるっきりないわけではない。だから、申し訳なく思う。


「耳で流されないためにどうすればいいのか、考えて、実際に字にしてみるよ」


「偉いなあ。すぐアドバイスを実行に移そうとするんだから。でも、詩の勉強会を続けたら、きっとそのヒントも見つかると思うよ」


 日色は願いが通じたのかとまで思い、嬉しくなる。


「また、詩のことを教えてくれる?」


 悠里は日色の目を見ず、頷き、答えた。


「教えることでまた、気がつくことがあった。それに何より、テーマを絞って考えて、形にしようとするの、面白かった。だから、また付き合ってくれるかな?」


 日色は静かに頷いた。


「是非」


 悠里は俯き、一度そっぽを向いたが、向き直って日色を見た。


「よろしくね。じゃあ、次回開催をお知らせするから連絡先、交換してくれるかな」


 日色は息を止めた。しかし、少し考えてみれば、連絡先を交換することくらい、たいしたことがないタイプなのかも知れない。だからすぐ頷いた。


「あんまり連絡先ないから、増えて嬉しい」


「実は、私も」


 悠里はスマホを取り出し、日色も取り出し、彼女のスマホ画面にスマホをかざす。


 日色はとてもではないが悠里の顔を見られなかった。


 日色は先に図書室を後にする。クラスメイトに一緒にいるところを見られたくなかった。変に噂されて詩の勉強会が自然消滅するのは避けたかった。


 このまま続ければ詩を自分でも書けるのではないか、と高揚する気持ちの中で思う。




「窓際で 秋風受けて 前髪の


 揺れる気持ちに 高鳴る鼓動 


 周りに誰も いないのに 本を片手に 君は呟く 


 話かけなくて正解 君の刹那を 独り占め」




 自然と言葉が繰り出されてきて日色は自分でも驚く。立ち止まり、リングノートに書き記す。朝の「話振らなくて正解」のメモを見て、詩の勉強会で感じた『風景の切り取り』を試してみただけだが、想像以上にうまくいった。AメロとBメロ、サビまでこれでよさげだ。


 しかし自覚する。『君』は悠里以外の誰でもない。


「うわ……これは浜元さんには見せられないや」


 心が直接言葉になってしまい、日色は廊下を振り返る。幸い彼女はまだ図書室の中にいて上泉と話をしていた。おそらく聞こえていないだろう。


 日色はいたたまれなくなって、階段を2段とびで駆け下りていった。




 悠里は入浴後、髪を乾かし終わるとすぐにベッドに倒れ込んだ。


 今日の詩の勉強会はとても楽しかった。その旨はすぐにその場で上泉に報告をした。日色と連絡先を交換したことも話した。彼女のアドバイスを実行するには勢いが必要だったが、なんとかうまくいった。これで教室で変に約束の会話を聞かれて疑われるようなことはなくなったわけだ。


 悠里はスマホの連絡先に日色の名前を見つけ、考える。特に用事があるわけではないから、メッセージを入れるのはどうかと思う。もっと詩の勉強会の感想を聞きたい気もするが、それは今日でなくてもいい。上泉の名前もある。話をしたので今夜、メッセージを送る理由はないが、彼女にお礼のメッセージを入れる。


〔浜元です。今日はありがとう。これからもよろしくです〕


 数分後、返事があった。


〔連絡くれてありがとう。なんか距離感測っちゃって、私から送るのはどうか? とか〕


〔もっと気楽にお願いします〕


 今度はすぐに返事があった。


〔わかったです。おやすみなさいです〕


 悠里はおやすみなさいのスタンプを送った。今晩は様子見だ。少し話したい気もするが、あまり経験がないのでやめておく。


 詩の勉強会がどれほど面白かったとしても、自分の詩も進めたいところだ。しかしもう次回の詩の勉強会のことを考えてしまい、詩集の候補を探してしまう。


「やっぱりこれか」


 悠里は本棚から絵本を1冊取り出す。タイトルは『はるなつあきふゆの詩』だ。


 これなら日色の作詞に役に立つはずだと悠里はページをめくる。


 そんなとき、スマホが着信を知らせた。上泉が返してきたのかと思ってみてみると穂波からだった。彼女からの連絡が一番多いのでそれはそうかと思う。


〔明日、勉強会やるから放課後お願いね〕


〔急だね〕


〔黒峰くんが明日なら大丈夫って情報が入って〕


 黒峰完くろみね たもつはサッカー部のクラス男子で穂波と同じ中学の出身だ。中学のときは活躍したが、怪我で今はそんなに動けていないと穂波から聞いていた。


〔おお。それの情報は拾わないとね〕


〔自習室空いているといいな〕


〔この時期なら大丈夫でしょう〕


 次の定期テストまでまだ少し時間がある。勉強を始める生徒は多くないはずだ。


〔人数、多い方がいいな〕


〔そういえば桜宮くんも誘ってたね〕


〔人数が少ないと意識しているのがバレちゃうので。男子で声をかけているの今のところ桜宮くんだけだからな。女子も今日の明日じゃ怪しいし〕


 中学のときからの片思い相手に意識しているのが周囲にバレたらいくら彼女でも恥ずかしいだろうな、と悠里は思う。応援してあげたい気持ちはもちろんある。


〔桜宮くんは暇そうだから大丈夫じゃないかな〕


〔最近、席が近くになったばかりの割にはよく知っているじゃない?〕


 穂波はこういう嗅覚は効くのだ。


〔軽音同好会だって言っていた。1人だけだけど〕


〔そんな同好会あるの? 非公認?〕


〔公式みたいだよ〕


〔じゃあ、予定はないだろうから大丈夫かな。少し安心した〕


〔頑張れ〕


〔がんばる〕


 そして応答は終わる。ふむ、と悠里は考える。詩の勉強会のためといって教えて貰ったばかりの連絡先だが、友人のピンチを回避するためには目的外での使用も肯定されるのではないか。そう自分に言い聞かせ、悠里は日色のアイコンに指先を伸ばす。


〔こんばんわ、浜元です!〕


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