第4話 風景を切り取る 1

 帰宅後、日色との詩の勉強会を約束したことを意外と喜んでいる自分を見つけ、悠里は軽く驚きを覚えた。思い返せば、男子と約束をしたのも初めてなら、詩について誰かと話をするのも初めてだ。この高揚感を誰かに伝えたいと思うが、穂波に連絡すると同じクラスなだけに広まって彼に迷惑がかかるかもしれないと躊躇した。こんなことならお友達になれそうな上泉の連絡先を知っていればよかったと少し悔やむ。明日、聞こうと思う。


 夕食を終えた悠里は勉強机の上に詩集を何冊か取り出して並べてみる。


 智恵子抄は外せないだろう。教科書でもやったし。


 中原中也のランボオ詩集もまた、自分にとっては決して外すことは出来ない。


 『はるなつあきふゆの詩』は彼の作詞の参考になるだろうか。それとも、彼は絵本にアレルギーを起こすのだろうか。


 もちろん宮沢賢治や石川啄木も教養として欠かせないだろう。


 悠里は真新しいリングノートを開く。


「夕焼けの ベンチで2人 お茶をして 宵の明星 明日を願って」


 日色のアドバイスに従って、下の句を入れ替えてみた。入れ替えると彼の言うとおり韻を踏むし、意味も異なって取れるような気がする。彼の意見が新鮮に思えた。こうなると『お茶をして』が浮いてくる。




 鰯雲 ベンチで2人 夕焼けの 宵の明星 明日を願って




 悪くない。推敲した甲斐があった。きちんと風景を切り取れた気がする。


 そう。気づきがある。


 彼に詩を語ることできっと自分も確認できることだろうと思う。


 とりあえず全部持っていこう。


 図書室に備えられているものもあるから、借りていって読んで貰ってもいい。


 自分のオタク気質を改めて自覚し、悠里は自嘲しつつ、ベッドに身を投げ出して、天井を見る。


「宵の明星、か」


 ベンチで飲んだお茶の味が何故か思い出された。


 隣には日色がいた。あれはもしかして放課後デートとか言われるものなのではないだろうか、と思い至り、強く瞼を閉じる。


 自分が手で書かないとダメだといったその日のうちに、ノートを買いに来るなんて真面目さがいいではないか。その上、自分が買ったリングノートと同じシリーズのものを買うなんて、かわいいではないか。


 考えすぎだ。自分こそ意識しすぎだ。男の子に免疫がないだけだ。


 自分にそう言い聞かせ、悠里は智恵子抄を開く。




「もしも智恵子が私といつしよに


 岩手の山の源始の息吹いぶきに包まれて


 いま六月の草木の中のここに居たら、


 ゼンマイの綿帽子がもうとれて


 キセキレイが井戸に来る山の小屋で


 ことしの夏がこれから始まる」


(智恵子抄 高村光太郎 青空文庫より抜粋 底本:「智恵子抄」新潮文庫、新潮社 )




 高村光太郎の妻、智恵子が亡くなった後の詩だ。どれほど彼が妻を愛したのか、今もどれほど愛しているのか、切ないほど伝わってくる詩だ。


 光太郎の智恵子への愛は滅んでおらず、21世紀の今も悠里の心を震わせる。


 自分もそんな愛に巡り会いたい。


 そう悠里は願うのだった。




 教室での悠里はいつもと変わらなかった。


 翌日、日色は少し胸を高鳴らせて教室に入ったが、悠里とは軽くいつも通り挨拶をかわしただけで、なにか会話のとっかかりになるようなこともなかった。


 自分が振れば良かったのか、と彼女の背中を見ながら考えたが、そんなことはないだろうと結論づけた。結局、クラスで仲良くして、変に見られるのがイヤなのだろうと思う。日色自身、それが理由で彼女と話せなくなるのはイヤだと思う。


 だから、話を振らなくて正解だったのだと思う。


 日色はリングノートを開き、「話振らなくて正解」とメモる。その後に「だけど話したい限界」と続けてみる。『かい』で韻を踏んでみた。別に自分が限界ではまったくないが、片思いしている男子の様子が目に浮かぶようなので、前後も書けそうな気がする。限界より後悔がいいだろうか。などと考える。


 校内ではスマホをいつでも使えるわけではないから、ノートが手もとにあるのは便利だと思う。


 授業前、悠里の席に穂波がやってきて挨拶する。


「お、新しいノートだ。あれ、桜宮くんも似たようなの持ってるねえ」


 そして穂波は悠里が手にするリングノートと日色が机の上で広げているリングノートを見比べる。悠里は振り返って日色の机の上を見て言う。


「そうなの? リングノート、便利だよね」


「完全に開けるのがいいよね」


 そして詩の一部を手で隠し、日色は愛想笑いする。同じシリーズのリングノートだと穂波にバレたくなかった。穂波は感心したように言う。


「桜宮くんも勉強しているんだ。得意科目は何?」


「僕は現代文と古文と世界史。飯塚さんは?」


「私は英語と物理」


「物理すごいなあ」


 穂波はすぐに返した。


「もし今度、勉強会することがあったら、声かけてもいい? 悠里も一緒だから」


 日色には驚きの発言だった。


「――都合が合えば」


 そう答えるのが精いっぱいだった。穂波は満足げに頷いた。


「じゃあ、エントリーってことで。悠里もいいよね」


「う、うん」


 悠里も少しばかり穂波のエネルギーに圧された様子だった。


 予鈴が鳴り、穂波は自席に戻っていく。


「飯塚さんは元気だね」 


「少しくらい、見習わないとな」


 そう自戒気味にいう悠里に日色は思わず言った。


「そんなことないよ。浜元さんは今のままでいいよ」


「え?」


 悠里が聞き返したタイミングで担任が入ってきて、ホームルームが始まった。


 日色は自分でも説明できない発言を無理に彼女に説明せずに済んでホッとした。


 そのまま放課後まで時間は過ぎ、日色は緊張しながら図書室に向かった。この気持ちに名前をつけるのなら、期待だ。何に対する期待ではない。漠然とした何かだ。


 図書室に行くのは入学したばかりの頃に校内を巡ったとき以来だった。4階の行き止まりにある。入り口の扉は開け放たれている。

 

 亜麻色の髪の美少女が貸し出しカウンターの中に見えて驚く。彼女はカウンター越しに悠里とスマホを手に話をしていた。


「彼が桜宮くん」


 悠里が顔を日色の方に向け、同じく美少女も向けた。確か彼女は上泉といったはずだ。校内の有名人である。双子で性格が随分違っているらしく、表情が硬いので鉄仮面と言われている方だろう。


「図書室にきたの初めてみたいなものだよ」


「ようこそ」


 上泉が言い、悠里が苦笑いする。日色は2人に頭を下げる。


「初めまして」


「私に気を遣わないでどうぞ本を見ていってね」


 まだ放課後始まってすぐの時間だからか図書室には2人以外の姿がない。


「ども」


 悠里は窓際の席に日色を招き、詩集らしき本を4、5冊置いた。


 開け放たれた窓から秋風が静かに忍び込み、悠里の前髪を少しだけ揺らした。


「浜元さん、ありがとう」


「いいえ。今日、詩の話ができるの楽しみにしていたの」


 悠里が座った席の向かいに日色も座る。


「僕はなんにもしていないも同然だから、いろいろ教えてくれると助かります」


「書き始めているならそれだけで大きいと思うの。だって普通の人は自分の中にあるなにかを形にしようなんて思わないから」


 日色はそれは分かる気がする。


「短歌作ったの面白かったよ」


「私も」


 だからこそ今日、続きをしようと彼女は考えたのだろう。


「創作ノート、何か書いた?」


「うん。さっそく。まだ見せられないけど」


 今日、書いた断片を見せたら自分が朝、何を考えていたかなんてすぐに分かってしまうだろう。悠里は話しかけられなかった当の本人なのだから。それには気がつかないかも知れないが、慎重さが必要だと日色は思う。


「形にならなくても、誰か別の人の意見があると、助かるよ。よければ見せてね」


 そういう悠里の表情は少し恥ずかしげだ。


「上泉さんの受け売りみたいなものだけど」


「そうなんだ」


 カウンターの中の上泉は日色が振り返ると小さく手を振った。詩の勉強会を見守っている様子がうかがえた。


「それで、今日は、いろいろ用意しましたが、桜宮くんの作詞の参考になるといいなと思いまして、こちらを選びました」


 「新修宮沢賢治全集 第六巻 筑摩書房」を前に差し出した。

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