第3話 ノートに書いてみよう 3

 日色は文房具コーナーの前で結構悩んでいた。ノートを選ぶのなんか、小学生のとき以来かもしれない。


 真面目に、文字にして、自分の手で書く。


 悠里に言われるまでもなく大切なことだと日色は思う。今まで何もしていなかったも同然の自分が恥ずかしく思い、きちんとノートと筆記用具を買おうと思い立ったのだが、形から入るのも何か言われそうだと考えてしまったのだ。


「――意外と意識しているな」


 日色は拳を握りしめた。もちろん、意識している対象は悠里だ。


「チョロいなー。少し話しただけなのに」


 女の子に免疫がないのが悠里にはバレバレだろうなと思う。


「桜宮くん、何探しているの?」


 突然、考えていた当の本人の声がして日色はびくっと身体を震わせた後、振り返った。


「浜元さん」


「もしかしてノートを探しに来た、とか」


 悠里が少し首を傾げる。かわいいなあ、と日色は思う。


「――形から入るタイプではないんだけど、気になったので」


 日色は単純な人間だと思われたくなくて、否定のニュアンスを少し入れて答える。


「やっぱりそうなんだ。私もね、ノートを買いに来たの。内緒にしてくれてる、よね?」


「うん」


「あと、言い忘れていました。アクリルパネルありがとう。窓際の席が快適になったよ」


 悠里は作り笑いをしたように見えた。作っている笑いではないと思いたかったが、可愛い女の子の前だとどうしても自嘲的になりがちだ。しかし日色はそんなことをおくびにも出さず、小さく頷く。


「どういたしまして。こんな時間まで何していたの?」


「図書室のカウンター当番」


「図書委員なんだっけ」


「うん。他の人が何やっているかなんて普通、覚えていないよね。桜宮くんこそ、何をしていたの?」


「僕は同好会。といってもだいたい僕1人だけど」


「初耳だね。学校に同好会なんかあったんだ?」


「軽音同好会。幽霊会員ばっかりだけど。同好会でも倉庫の一部を物置として貰っているから楽器を置くのに助かっている」


「作詞ってそういうことだったんだね」


 すぐに返事が返ってきて、日色は軽く驚く。


「話が早いなあ。浜元さんは人の話をよく聞くタイプなんだね」


「そんなことないよ。普通だよ」


 悠里は目をそらし、失敗したかなと日色は少し落ち込んだ。


「書くの?」 


 悠里が言うのが詩のことだと分かる。


「少しでも、先に進めればと思っていて。1人だと何をすればいいのか分からないから」


「分かるなあ」


「え?」


 次々と予想外の言葉を掛けられ、日色は口を小さく開けて言葉を失ってしまう。


「私、変なこと言った?」


「ううん、浜元さんも同じなんだなと思って」


「他に詩を書いている人なんていないもの」


「それはなかなか会わないかもね」


 他の客が迷惑そうに文房具売り場の通路を通っていったので日色はばつが悪くなる。


 悠里はすぐにリングノートを手にして、レジに向かう。彼女が買うものは決まっていたようだ。日色も彼女が手に取った棚からリングノートをとり、悠里の後ろに並ぶ。


 悠里はレジが終わると店外に出て行き、日色はリングノートと選んであった使い捨て万年筆を購入する。


 日色が本屋を出ると悠里が待っていた。もう立ち去ったと思っていただけにまた驚く。


「格好良く飲み物でも持って待ち構えようと思ったんだけど、近くに自販機がなかった」


「どういうこと?」


「アクリルパネルのお礼をしないとと思って。ノートも拾って貰ったし」


「そんなのいいよ」


「そうかも。だけど、ちょっとこういうのネタになりそうだから、もう少し寄り道しない?」


 すぐ近くにスーパーがある。こういう姿勢が自分に足りないのかなと思う。


「そういうことなら喜んで。でも、自分の分は自分で買うよ」


 日色は悠里と連れだってスーパーに行き、日色は缶コーヒーを、悠里はペットボトルのお茶を買った。そして入り口のベンチに2人で腰掛けた。隣に座ると悠里の髪から柑橘系の匂いが漂ってくるのが分かった。とても好ましい匂いだな、と日色は思う。


 空はもう赤く染まり、いわゆる鰯雲いわしぐもになっていた。


 ペットボトルと缶を開け、それぞれ一口飲む。


「夕焼けの ベンチで2人 お茶をして 今日一日の 反省会を」


 悠里が考えながら五七五・七七をそらんじる。


「短歌もやるの?」


「うん。やっぱり間口は広い方がいいからね。ちなみに夕焼けは秋の季語だから上の句だけでもちゃんと俳句になる」


「下の句はイマイチ」


「推敲しよう」


 悠里は買ったばかりのリングノートに今、そらんじた分をささっと一首、記す。


「明日を思って」


「いいね」


 悠里は相づちをうつ。


「思い浮かばない」


「夕空仰ぐ」


「上の句と被らない?」


「あ、金星見つけた」


 日色は西の空、夕焼けの中にひときわ輝く宵の明星があるのをみつけ、悠里が早速それを採用した。


「明日を願って 宵の明星」


「夕焼けの ベンチで2人 お茶をして 明日を願って 宵の明星」


「悪くないね」


 悠里は笑い、またリングノートに記す。その悠里がまたかわいくて、日色は自分のチョロさ加減を呪うが、それでも会話を続けたくて、懸命に考える。 


「宵の明星が先の方が、『て』と『て』で終わって韻を踏んでいいかも」


「参考にするね」


 ふふ、と悠里は笑い、そして驚いたような顔をする。


「どうしたの?」


「桜宮くんって話しやすいんだなと思って。こんなに普通は話せないかな」


「言葉を紡ぐっていう、同じことに向き合った結果で、僕が話しやすいのとは違うと思うけど……」


 そう言ってもらえて嬉しい、という言葉を日色は飲み込む。


「それは大きな要因だと思うけど、そもそもそういうことをしているということでベクトルが似ているんだよね」


「そうだね。たぶん。ネタになった?」


「ネタどころか、もう一首できたじゃない?」


 日色は頷く。悠里は嬉しそうだ。


 彼女はどんな明日を願うのだろう。その笑顔を日色は好ましいものとして見る。


「明日の放課後は何しているの?」


「いや、特になにも」


「じゃあ、図書室で詩の勉強をしようか」


 日色はそう言いながら、少し俯き加減で自信なさそうに上目遣いをする。彼女にあざとい自覚はないだろう。日色が断れるはずがない。


「いいの?」


「桜宮くんがこつを教えてって言ってきたんでしょう?」


 日色は頷く。


「でも、教室では内緒でお願いします」


 悠里はペットボトルの蓋を閉めて立ち上がった。


「約束するよ」


 悠里は小さく手をふって駆け出し、立ち去った。


 日色は缶コーヒーを飲み干し、まぶしさを増す宵の明星を見る。


「あ――僕は今、明日を願っている」


 日色が自分の気持ちに気づくと、脳裏に彼女の笑顔が蘇る。


 明日の意味は、人によって、もちろんそのときによって違うだろう。


 今の日色にとっては、『楽しげな未来予想図』という意味になるだろう。その言葉がぴったりとはまると思う。


 悠里ほどもかわいい女の子と放課後一緒に過ごせるのだ。それは今までの彼の短い人生の中ではなかったことだ。


 内心、快哉を叫びつつ、日色は空き缶をゴミ箱に投じたのだった。

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