第5話 平和になろうとしてる世界で
感情を抑圧していたものが無くなったのだろう。
戦争が終わってから、彼女は涙を流すようになった。
初めて慟哭したのは、彼女の家族が眠る墓に来た時だ。ここに来るまでは思い出を語ってはにかんでいた彼女だったが、墓に近づくにつれ、笑顔は泣き顔に変わる。
入道雲の立ち上る夕暮れ。
彼女は墓石に温もりを求めるように触れ、子供のように泣きじゃくった。
「……ここにいる家族を、守りたかったんだ」
墓石の前で震えながら蹲る。
初めて見た彼女の弱い部分に、どうすれば良いのか、どう声をかければ良いのか分からなくなる。
嗚咽を漏らす彼女はまるで、亡き家族に懺悔しているようだった。
「けど、守れなかった。守れなかったんだよ。家族も、戦友も、私は多くを失ってしまった。失いたくないから足掻いたのに、彼らを置いて、私だけがのうのうと生き延びている。家族を守って死ねるのなら、本望だったのに。家族は皆、私の預かり知らぬ所で死んでしまった」
「なら、」
「言わなくていい。同期の内、お前だけは生き残ってくれた。それだけで良いんだ。それだけで、私は幾分か救われる」
暫く一人にしてくれないか、と彼女は言った。
ここで、側に寄り添えたら、どれだけ頼りになる友人だと言われたのだろう。俺も、少しは彼女に格好がつけられたのかも知れない。
けれど、その姿は、父親を亡くした時の俺と良く似ていて、誰にも傷口を触れてほしくないように見えた。
ただ、悲しみを垂れ流していたいだけのように見えたから、俺は羽織だけ彼女の頭に置いて、墓を後にする他なかった。
彼女は、周囲の女性よりも力が強く、魔法の技術もあり、戦争に向いている。「性別ならではの幸せに興味はない」と明け透けに言い放てる強靭な精神力もある。
訓練兵時代も、戦時中も、誰もが彼女を「特別だ」と言った。実際、俺も心の何処かでそう思っていた。
けれど、実際はそうでは無くて。
彼女は家族のために戦う、普通の人間だった。気高く笑っていたのは、きっと自分を恐怖から欺くためだったのだろう。「少しだけ夜が怖い」と、俺を酒屋に誘っていたのも、戦場のことを今でも夢に見るからだ。
彼女は、周囲よりも少しだけ我慢強かっただけだ。
その皮を外せば、特別でもなんでもない、普通の女性なんだ。
同期たちを全員実家に帰し終えた俺たちは、列車に揺られていた。
「坊主の同期がいただろう?」
座席に浅く腰掛けて背筋を伸ばしていた彼女が、独り言のように言った。
「アイツ、私を、私と同じくらいの妹に重ねて、心配していたそうだ。アイツの母方から聞いたよ」
全く、余計なお世話だと、彼女はヘラりと笑った。俺は、しんみりとした気持ちで呟く。
「良いやつだったよな、アイツ」
「…ああ。そうだな」
彼女の短くなった黒髪が揺れ、米神あたりに付けられた質素な簪が、艶やかに光を反射する。
哀愁の漂う笑みに、手を伸ばそうとして引っ込めた。
「結婚しないか?」
「断る」
酒屋でスルリと漏れた言葉は、彼女によってバッサリと切られた。だろうなと納得しつつ、少し傷ついた。
「理由を聞いてもいいか?」
「お前のような弱虫に娶られるなど、死んでもごめんだ。結婚は人生の墓場と言うが、お前と結婚でもしたら墓場どころか阿鼻叫喚地獄行きだろうよ」
「いいだろ別に地獄行きでも。お前のことだから、自分はとっくに地獄行きだとでも思ってるんだろ? 一緒に着いていってやるよ」
「馬鹿を言え。私と結婚しようがしなかろうが、お前も他の兵士たちも、敵味方問わず地獄行きだ。きっと、そこで宴会でもしているに違いない」
「地獄で宴会か…。お前も、案外愉快な事を考えるんだな」
「馬鹿にしているのか?」
「全然?」
わざと惚けて見せると、彼女は怪訝な表情を崩して、クスリと笑った。
襟の寄れたシャツに、軍服を彷彿とさせる緑のズボンを履いている。彼女が女物の服を着ているのを見たことがないが、今の砕けた感じの彼女は、美しいというよりも、可愛いかった。
「お前が死ぬまで、求婚し続けてもいいか?」
「却下だ。お前は撤去員としてお前の幸せを掴むといい。私は、復興作業で国中を駆け回ることにしよう。島人は七割残っているし、島長が五体満足で、故郷の心配はいらないだろうからな。なに、適度に顔は見せるさ」
「そうだな」
戦争が終わっても、後始末が残っている。苦しい生活はまだ続くだろうし、この先この国がどうなっていくのか、誰も予想できない。
けれども、袖を捲って口角を上げる彼女は、生き生きとしていた。
一年後、彼女はあっけなく亡くなった。
足が使えなくなっても床に入らず、車椅子に乗って、最後まで復興作業を手伝っていたらしい。金槌を振り下ろした体勢で、眠るように事切れたそうだ。
「300連敗で終わったか…」
彼女の訃報を受け取った俺は、暫くの間、ぼうっと過ごしていた。酒に浸かって、なるべく現実に向き合わないようにした。
好きな女が死んだなんて事実を、受け止めたくなかった。
「兄さん! 手紙が来てますよ!」
妹に手渡されたのは、一通の手紙だった。
ーー彼女からだ。
ちょうど、彼女が亡くなる3日前に書かれたらしい。彼女は、自分の死期を悟っていた。
便箋を広げると、彼女らしい達筆な文字が目に飛び込んできた。
『やあ。私に300連敗した戦友よ。お前のその努力と愛を評価して、私から一つ魔法を贈ろう。
その前に、私がこの魔法を贈ることに決めた理由を少しばかり聞いてほしい。
この魔法は、世界で最も意味のない魔法と言われたものだ。生活には必要なく、戦争にも使えない、命を削るだけの無駄な魔法。そう、評価されてきた。
私がこの魔法に出会った時、魔法と自分を重ねていたよ。
私は女で、女が戦争のど真ん中に行くことは意味がないと言われてきた。今思えば、私を戦場へ行かせないための優しい嘘だったのだろうね。
けれど、私は自分が戦地へ行ったこと、お前たちと過ごした年月を、無意味だとは思わないよ。
だって、私の選択に意味があるかどうかは、私が決めるのだから。
時間が少ないとしても、私は十分に生き、十分に死んだ。そこに、意味がないなんて言わせはしないさ。
そう言った意味も込めて、お前にこの魔法を送るよ。
この魔法は、お前に力や知識を与えてくれるわけではない。
けれど、お前の人生に、少しの温もりをもたらすだろう。
肌寒い季節になったが、好きなように生きろよ。私は宴会の準備でもしながら、地獄で待っている。
最後に。
私はお前に愛されたことを、誇りに思う。
ずっと想っていてくれて、ありがとう。
敬具 ゴリラ戦友』
「…ははっ。お前、最後に笑わせてくるの、卑怯だろ……」
ぽたりと、手紙のインクが滲んだ。
慌てて目を擦って、笑う。笑い泣きなのか、泣き笑いなのか分からなかった。
手紙を見て、「アアもう彼女は死んだのだ」と、腑に落ちる。そこからジワジワと絶望に似た悲しみが溢れてきて、どうしようもなかった。
その日、俺は一晩中泣いた。
泣いている途中で辞書が頭に落ちてきて、彼女に殴られたことを思い出して、また泣いた。
彼女の死から、半年以上が過ぎた。
俺は今、地雷魔法陣撤去員の仲間と共に、彼女の故郷である島に赴いている。
地雷魔法陣は、鉱山のある場所にまでは展開されていない。実際に当時の現場にいた俺と彼女、そして他の兵士たちの総意見だった。
魔法陣撤去の邪魔になる荷物は、持ち運べない決まりになっている。
代わりにと、ボロボロの人形に黙祷し終えた俺は、手のひらから小さな魔法を生み出した。
『世界一、意味のない魔法』
俺にとっては大切な魔法。
彼女に託された、唯一の魔法。
一輪の花だけを、生み出す魔法。
「おーい! こっちに地雷魔法陣の密集地あったぞー!」
「おー! 今行くー!」
仲間の元に駆けていく。
俺がさっきいた場所には、瓦礫のベッドに寝かされた人形がいる。
彼女は、一輪の花を大切そうに抱えて、笑っていた。
彼女が特別ではないことを、俺だけが知っている かんたけ @boukennsagashi
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