第百三十五話 『また』
西地区交流戦が始まってから2時間が経過した。
それまで行列を作っていた周りの客数も段々と減っていき、近くの外食店でも空きができるようなレベルにまで混み具合が落ち着いてきた。
そして、肝心の結果はというと──。
「ま、負けました……」
「ありがとうございました」
あれから来崎を止める者は誰もいなかった。
次々に迫る対戦相手をバッタバッタと倒す様は、まるでドミノ倒しを見ているかのようで、ある意味爽快だった。
「うそ……じゃろ……」
最初に来崎を誘った老人が目ん玉を飛び出させながら驚いている。
結局来崎は、初戦から1回も負けることなく全員倒してしまった。
「おい、奥でやってる名人部門の結果見たか?」
「いや、見てない。何かあったのか?」
「中学生くらいの背丈をした女の子が優勝したんだよ」
「なんだって? 田辺さんは? 今日は木村さんも参加してたろ?」
「全員倒しちまったよ」
「マジか……!?」
交流戦は全部で4部門に分かれている。人数だけで見れば先日の県大会にも劣らないほどの大盛況っぷりだ。
そんな中で初参加、初優勝なんて快挙を成し遂げてしまえば、周りから注目されるのも道理。
中には来崎の正体に気づいている者も何人かいたが、だからといって嫉妬の目は飛んでこない。
老人に誘われ、参加費を払い、受付でちゃんと参加権を得ている。来崎はこの場における立派な選手だ。
それに、来崎とて負ける可能性はゼロじゃなかった。タラレバの話だが、あの県大会がなかったら勝負における敗因もいくつか残っていただろう。
敗北とは常に自身の過ちによるもの。将棋に勝因はない、敗因のみだ。だから成長した来崎は本当の意味でその強さを手に入れた。
最後まで諦めないこと。よく言われるその言葉は、一見すると弱者の特権のように思われる。しかし実際は、強者にこそ手にするべきものであり、強者にこそふさわしい武器だ。
「あの三浦さんも負けちまったのか……」
「中盤は勝ってたと思ったんだけどなぁ」
「あの嬢ちゃん、劣勢になってからの方が強くなかったか?」
最後の決勝戦、来崎は一時的にだが劣勢になっていた。
将棋は両者の実力を測る完璧な装置ではない。格差や強弱など関係なく、どんなに差があっても劣勢になることはある。
しかし、勝敗は実力だ。過程でいくら劣勢になろうとも、そこから巻き返すだけの"力"があるのなら、勝つことができる。
そして、その"力"を生み出す最大の要因は『諦めない意志』だけだ。
それまで真剣な表情で指していた来崎が、劣勢になった途端に笑みを零した。
メアリーとの戦いを思い出したのか、それとも俺との戦いを思い出したのか。どちらにせよ、その笑みは闘志の表れだった。
そこからの逆転劇は、もはや語るまでもないだろう。
急激に鋭さの増した指し回しで相手を圧倒、攻守と挟撃を繰り返す緩急の指し手で翻弄し蹂躙。
10分後には焼け野原となった戦場と、打ち取られた王の首だけが残っていた。
「ゆ、優勝おめでとう。嬢ちゃん……」
「ありがとうございます。また誘ってください」
「そ、それはどうかのう……はい、優勝の賞品だよ」
表彰式。そこにはぷるぷると震えながら来崎に賞品を渡す老人がいた。
これはもう、出禁になる可能性がありそうだ。
──さて、肝心の賞品だが、来崎がもらったのはクーポン券もとい割引券だ。
賞品は3位から出るらしく、全てこの近くの店で使える割引券である。
もらえる割引券は3位で1枚、2位で2枚、1位で3枚だ。
初心者部門は5%割引券、中級者部門は10%割引券、上級者部門は15%割引券だ。どれも上限額5000円となっている。
そして、来崎の参戦した名人部門では3万円の割引券がもらえるらしい。交流戦という小さな大会で出るには破格の賞品だ。
来崎は優勝したので3万円の割引券を3枚、計9万円分のお金をもらったのと同義である。
「ふおおお……!!」
目を輝かせながら割引券を見つめる来崎。
この辺りの店でしか使えないとはいえ、9万円だ。まさにミニセレブ。学生にとっては相当高い値段である。
「ありがとうございます、真才先輩! 凄く楽しかったです!」
「それはよかった。俺も見ていて楽しかったよ」
「私の手、どこかおかしいところはなかったですか? 何か間違ってたりしませんでしたか?」
「全然。むしろ俺では読めないような手ばかりだった。もう今では来崎の方が強いよ」
「またそうやって謙遜を……でも、真才先輩が楽しんでくれたならよかったです! はい、どうぞ!」
「え?」
来崎は無垢な笑顔を向けて、手に持っていた割引券を3枚とも俺に渡してきた。
「な、なんのつもり?」
「? これは真才先輩のものですよ?」
「い、いやいや、それは来崎が優勝して受け取ったものでしょ? 俺の手柄じゃないよ」
「でも真才先輩がお金を出したんですよ? 私は将棋を指せればそれでよかったんです。ですからこれは受け取ってください!」
いや、さすがにダメだろう。受け取れない。
だって9万円分だぞ? 9万円。いや、そうじゃない。そもそも金額の問題じゃなくて……。
「いや、さすがにそれは受け取れないよ。お金は俺が勝手に出しただけで、賞品が目当てだったわけじゃないし……」
俺は俺の意志で、来崎の活躍が見たくてお金を出したに過ぎない、決して来崎に賭けていたわけじゃない。
そもそも割引券をもらったところで、俺は普段こんな盛況している繁華街まで赴かないし、取っておいてもド忘れして有効期限が切れるのがオチだ。
「うーん……とはいっても私、普段はこの辺りに来ないんですよね」
「え、そうなのか?」
「はい、今日は真才先輩と……その……デートする……約束だったからで……」
まさか俺と同じ理由だったとは……。
「あ! でしたら、これは二人で使うお金にしましょう!」
「へ?」
来崎は勢いよく俺の手を握った。
「今度"また"二人でここに来ましょう! その時に使えば有意義に消化できます! これなら、真才先輩も納得してくれますよね?」
どこか嬉しそうに、それでいて純粋な笑顔でそう告げる来崎。
「え、また?」
「はいっ! またです! えへへ」
なんてことだ。少しだけドキッとしてしまった。
普段から卑屈で冷静な態度だけが自分の弱い立場を守っていたようなものなのに、来崎の不意に見せる純粋な言動に感情が揺れ動いてしまった。
そっか、デート代。その発想はなかった。
だって、これは1回限りのものだと思っていたから──。
「……来崎は、それでいいの?」
「それがいいんです! ふふっ」
なにか思わぬ収穫でもあったのか、楽しそうに笑う来崎。
気付けば、俺もそれに釣られて笑っていた。
「……そっか、じゃあ、また来ようか」
「はい! "約束"ですよ!」
前の方に駆けていった来崎はくるりと回って後ろに手を組み、普段見せないような妖艶な表情を浮かべて微笑んだ。
俺はそれに紅潮こそしなかったものの、自分でも分かるくらいに心臓が高鳴っていたのを感じていた。
果たしてその感情が芽吹く先には、どんな結末が待っているのか。
「……傲慢だな」
俺は自分の手のひらを見つめながら、小さくそう呟いた。
──────────────────────
次回、ついに。
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