第九十三話 天上の戦い

 生まれながらに天賦の才を授かり、歳を重ねるごとに才覚を増す。


 青薔薇家の最高傑作として名を馳せた天才児は、往々にして我が道を歩み始めた。


 所詮は道楽の一端。知能に長けた自分を推し量るための枠。将棋をそんな風に考えていた赤利は、ある日自身の人生を左右する男と出会った。


 ──玖水棋士くなぎし竜人たつと。棋界の英雄として幻を魅せ続けたプロ棋士である。


 彼の存在は奇跡とまで言われており、その誰にも真似のできない逸脱した棋風は多くの者に衝撃と戦慄を与えていた。


 赤利はそんな玖水棋士を前に堂々と対局の申し出を告げる。


 練習対局を意味するVSブイエスではなく、手加減無しの本気の対局である。


 それまで絶対王者として県のトップに君臨し、全国の猛者たちを食い破ってきた赤利には明確な勝算があった。


 それは慢心と言ってもいい。


 持ち時間は互いに120分の60秒。プロ向けの長考を前提とした本格的な戦い。


 対局が開始されると、赤利はいつも通りの早指しで玖水棋士のペースを乱す。序盤の定跡では無駄な思考を浪費せず、終盤へ向けて時間を温存する。アマチュア界では至極真っ当な戦い方である。


 ──それから4分。たった4分後の出来事である。


 手数にしてたったの19手。互いに戦法を確定するような段階で、赤利は盤上を見下ろしながら沈黙と動揺を浮かべていた。


 ──投了である。


 何が起こったのか分からない。気付けば負けていた。そんな信じられない状況に、青薔薇家の者達も絶句する。


 まるで魔法でも見たかのような不思議な感覚と、見たこともない一手を放たれた驚きに、赤利は言い返す言葉すら見つからなかった。


 そして、この一手は後に新手しんての定跡として将棋界に広まることとなる。


 棋戦でもない戦いで、VSでもない一般人との戦いで、玖水棋士はその場で新手を発掘したのである。


 そんなことがあり得るだろうか。そんな規格外の存在がこの世にいることを許されるのだろうか。


 ──その衝撃的な出来事は、赤利の将棋人生を大きく左右するには十分すぎる理由だった。


 ※


 韜晦とうかい晴れて本格化したその姿に、赤利は自身の心臓を握られた感覚を覚える。


 陰キャのような格好と立ち振る舞いをしていたはずのその男は、別人のように180度変わって見えた。


「っ……」


 生涯を通してこの感覚を覚えたことは数えるほどしかない。


 赤利は脳内で2分ほどの確認を挟んで、勝負手となる次の一手を繰り出す。


 ──が、その手を指した瞬間に真才から切り返しの手が放たれる。


「なっ……!?」


 先の角捨てにも勝るほどの勝負手を1秒の考慮もせず返される。


 そんなことがあるだろうか?


「……オマエ、どこまで視えてる?」

「……」


 極致に至った真才の思考は、あらゆるノイズを除外して盤面だけを精査する。


 赤利の声など届いている様子もなかった。


 奈落の上で綱渡りをし、互いに殴り合っていたはずなのに、今の真才からはまるで自分だけ空を飛ばれているかのような理不尽さを覚える。


 ──危機感。


「……ッ」


 赤利は再び5分ほど考え、今度は真才の想像もつかない妙手を放つ。


 瞬間、ノータイムで返される。


「なんでっ……?」


 震える手を誤魔化すように、今度は分岐の多い考えさせる手を放つ。


 瞬間、当然のようにノータイムで返される。


 ──危機感が止まらない。


 あらゆる相手の手を看破し続けてきた自分が、あらゆる秀才たちを出し抜いてきた青薔薇家の最高傑作が、この瞬間に至っては真才の手のひらの上で踊らされている。


 赤利の前に映っていたのは、かつて自身の心を折った玖水棋士竜人の影である。


 そんなわけはない。真才と玖水棋士には何の因果関係もない。


 だというのに、目の前の男からは常人の気配を感じない。まるで開闢かいびゃくを与える一手を放つ存在。新たな世界を作り出そうとする玖水棋士の面影を想起させる。


 全てを読まれているのか? 最初から最後まで全てを見切られているのか?


 ──まさか自分が、青薔薇赤利が敗北させられるのか?


 その思考に至った赤利の脳裏に響くのは、かつて天竜一輝が放った一言である。


『人を比べるのはあまり好きじゃないが、今のお前と同格かそれ以上だと思うぞ?』


 真才に打ち破られた元西地区の王者の言葉。常に前線を切り開き、圧倒的な将棋を繰り広げる彼の将棋に、赤利は初めてのライバルを得たと思っていた。


 そんな男から出た冗談のような一言に、当時の赤利はあり得ないと首を横に振った。


 ──冗談じゃなかった。冗談ではなかったのだ。


「……クク、ククク……っ、あっはははっ──!!」


 久しく忘れていた敗北を感じさせる将棋に、赤利は思わず笑いだす。


「面白い、面白いのだ。まさか赤利がここまで追いつめられるとは思わなかった。想像以上だ、渡辺真才」

「……そりゃ、どうも」


 片手間に視線を上げた真才が、感情の籠っていない警戒した声でそう返事をする。


「このままだと赤利は負ける。そうなんだろう?」

「……」


 フッ、と思わず瞼を閉じる赤利。


 それから数秒、僅かな沈黙を経て開いたその瞳に、真才の警戒心は限界を超える。


 ──雰囲気が変わった。


 瞳孔は開き、その瞳の奥に確かな信念が宿される。


「──分かった。もう格好をつけて"本気"で相手をするのはやめにしよう」


 ざわつく会場と絶句する中央地区の面々。


 赤利は熱のこもった右腕の袖をまくり上げると、左手で髪の毛をぐしゃりと握りしめながら思考の態勢へと入った。


「──"全力"で潰す」


 青薔薇赤利の全力。──それは、凱旋のエースとしてのプライドを捨て、何がなんでも勝ちにいくと、そう宣言したも同然である。


 次の瞬間、赤利は持っていた金駒かなごまを真才の楼閣へ放り投げた。


 ──逸脱した捨て駒である。


 それもまだ王のいない城、攻撃するには全くもって無意味な場所にである。


 そこへ赤利は嬉々として駒を捨てに行く。


 明らかな悪手。正気を疑う一手。──だが、真才の読みは瓦解する。


 このまま読みの果てで自滅流が動き出し、城に入って完成すると言うのなら、事前にその城を壊せばいい。


 赤利の放つ弾丸は、空を切り裂いて真才の城に風穴を開ける。天空に作られた楼閣を砂上のものにしたのだ。


「あはははっ!」


 プライドを投げ捨てためちゃくちゃな指し回し。凱旋の名に似つかわしくない悪手を勝負手として放つ邪道である。


 だが、その威力は常人の放つ力量を一瞬で飛び越える。


 赤利の手は真才の想定していた終局までの手数を崩壊させ、僅かにプラスされた形勢と引き換えにさきほどの25分で得た思考を無駄なものとして消化させる。


 それは、今の真才が抱えている唯一とも思える弱点だった。


 しかし、それを受けた真才は闘争に燃えるような喜びを胸に、赤利の一撃に対してかつてない表情を浮かべる。


 その表情を見た赤利は、これ以上ないほど狂気的な笑みを浮かべて──。


指すやるぞ」

「ああ」


 そこで初めて、二人の意見が一致した。


 真才は赤利の放った手を逆用するかのように、攻めの起点として作り替える。


 それは、本来であれば長考を必要とする鬼手のようなものだった。


 だが、真才はそれを難なく指す。無論考えずに指せたわけではない。さきほどの25分の思考の中にはこの手順も存在していた。


 そう、赤利の覚醒も想定済み。数十手後に敗勢になると悟った赤利が軌道を変え、悪手を放ってまで勝利を目指してくることなど真才にとっては想定内。むしろ予想のど真ん中だった。


 ──相手を侮らない将棋とは、そう言うことである。


「い、異次元だ……」

「な、なんなんだ。こいつらの将棋……」


 外野で観戦していた東地区と南地区の選手達が、絶句しながらそう言葉を漏らす。


 将棋の平均手数は110手前後。しかし二人の手数は既に200手を越え、それでもまだ決着がつきそうにない。


 持ち時間が無くなって1手40秒という牢獄に監禁された真才だが、その手は全く衰えない。


 対する赤利の持ち時間は3分。ここまで来れば時間差などあって無いようなもの。


 極限まで走らされる脳は、疲労を覚えることもなく全速力で飛ばし続ける。


 これが千日手を二度も挟んだ者達の戦いとは到底思えない。それほどの気迫と熱気が周りを圧倒して吹き荒れる。


「……こんなの、アマチュアの戦いじゃないぞ……」


 天王寺魁人は二人の戦いから目が離せずにいた。


 その横で玄水と共に観戦していた哲郎は、プライドを捨てた赤利に関心を浮かべていた。


「赤利君が全力を出したのは、天竜君以来ですか」

「ああ、じゃが当時から随分と強くなっているはずじゃ」

「そんな彼女を前に一歩も退かず、正面から戦って拮抗しているとは……」

「拮抗? 何を言っとる。──盤面をよく見てみろ」

「……?」



『【黄龍戦・団体戦】について話し合うスレPart101』


 名無しの5

 :おいおいおい……


 名無しの6

 :どうなってんだこれ……


 名無しの7

 :青薔薇が押されてるのか……?


 名無しの8

 :ヤバすぎる


 名無しの9

 :レベルが高すぎてついていけない


 名無しの10

 :形勢は?誰か評価値貼ってくれ


 名無しの11

 :>>10 『評価値』先手+1800 渡辺真才・優勢


 名無しの12

 :>>11 は? +1800??


 名無しの13

 :>>11 うせやろ?


 名無しの14

 :>>11 青薔薇が劣勢ってマジで言ってる?


 名無しの15

 :>>11 はあああああああ!?


 名無しの16

 :>>11 これはガチでアマチュアの時代変わるぞ


 名無しの17

 :>>11 互角にしかみえんのにそんな差が開いてるんか


 名無しの18

 :>>11 やっぱさっきの金捨ては悪手だっただろ。なんで急にあんな意味の分からん手を指したんだ?


 名無しの19

 :>>18 それを理解できないうちは一生青薔薇に勝てないぞ、俺もだがな


 名無しの20

 :>>18 良い悪いで判断するのは初心者の思考。相手は人間なんだから悪手が最善手に変わることもある


 名無しの21

 :そもそもここまでレベル高くなると、もう俺らが上から物申せる域じゃなくなってくるしな


 名無しの22

 :まぁそうだね、これは本人達しか理解できない達人の境地だろうし


 名無しの23

 :てか自滅帝ってこんな強かったんだな。将棋戦争やってるけど全然知らなかったわ


 名無しの24

 :>>23 名前は知ってても対局は見たことがないって人の方が多いと思う


 名無しの25

 :>>23 いや、ワイ自滅帝のスレ民だけど大会前はここまで強くなかったよ


 名無しの26

 :>>25 じゃあ対局中に成長したってことかよ……


 名無しの27

 :>>25 戦いの中で成長するとか漫画やアニメのそれじゃねぇか


 名無しの28

 :すまん、自滅帝舐めてたわ……こんなんもう場違い選手権やん

 

 名無しの29

 :この棋譜は永久保存版だわ






 ──────────────────────

 何やら【愛され作家の新星賞】に選ばれたものの

 いつものように作者はこの数日間まったく気付かず……

 

 次回から各仲間視点での対局が描写されます。

 東城→葵→部長→真才→来崎→佐久間兄弟を予定

 

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