第九十二話 成長の止まらない男

 二人の叩き合いは全くの互角、全くの同じ棋力だった。


 泥沼に引きずりこまれるが如く、局面は一瞬で混沌化する。それは先の南地区で行われた葵玲奈と柚木凪咲の試合なんかとは比べ物にならないほどの混沌具合である。


 一手のミスすら許されない中盤戦。一瞬の隙すら見せられない攻防戦。


 そんな状態であるにもかかわらず、二人は奈落の上で綱渡りでもするかのように嬉々として足を進ませる。いいや、綱渡りをしながら殴り合っている。


 二度の千日手を経て互いに疲労が溜まっている。その上でこれだけ激しい勝負を繰り広げられるのは、まさに天才の所業。


 修羅を駆け抜ける眼をしている真才に対し、赤利は久々に命の削り合いを実感する。


(あの角捨て以降、こちらは一切悪手を指していない。なのに局面はずっと互角のままだ。……ということは、逆算するとあの角捨ては悪手じゃなかったということになるな)


 AIが導き出した結論にようやく赤利の思考が追い付く。


(いいぞ。これがお前の本気か、渡辺真才──)


 歯が見えるほどの戦いに餓えた表情を浮かべる赤利は、真才からタダで貰った角を投げ捨てるように盤上に放った。



『【黄龍戦・団体戦】について話し合うスレPart100』


 名無しの687

 :青薔薇も角捨てたぞ!


 名無しの688

 :!?


 名無しの689

 :はぁ!?


 名無しの690

 :応酬がヤバすぎる


 名無しの691

 :ただやん。取るとどうなんの?


 名無しの692

 :>>691 AIによると、取れば△9六馬から詰むっぽい。そんで下に逃げると馬逃げつつ飛車の利きを通されて間接的に崩壊する。逃げつつ端歩取れば一見大丈夫そうに見えるけど、純粋に飛車取られて攻めと守りに馬を利かされるとどうしようもなくなる。だから右に逃げるしかないっぽい。ワイは見えんかった


 名無しの693

 :>>692 バケモノか?


 名無しの694

 :>>692 いや普通みえねーよw


 名無しの695

 :>>692 端歩取って逃げても詰み筋に入るのかよ、こっわw



 赤利によって盤上に放たれた角は、黄泉よみへの道を誘う亡霊である。


 しかし、真才はこの手に一切動じることなく、赤利の放った角を無視するように右側に王様をスライドさせる。



『【黄龍戦・団体戦】について話し合うスレPart100』


 名無しの700

 :取らない!w


 名無しの701

 :取る気配すらみせてないw


 名無しの702

 :見切ってて当たり前みたいにスルーしたなw


 名無しの703

 :当然のようにノータイム指しかよw



 読みに読みを重ねてその上を目指していく知略戦。相手の思惑は見抜いて当然で、見抜かれることもまた読めて当然。


 そんな二人の攻防は指し手を重ねるごとに激しさを増す一方で、一向に優劣がつかない。


「……」


 あまりにも次元の違う戦いに、観戦席に足を運んだ天王寺魁人は思わず呆気に取られていた。


 他の観戦者も真才と赤利の戦いについてこれず、漠然と棒立ち。何が起こっているのかその瞬間は誰も理解できないまま、後になって数手前の手の意味を知るという状況に陥っている。


「アイツ、青薔薇と互角にやりあってるのか……?」

「じょ、冗談だろ……?」


 中央地区の面々は対局中なのにもかかわらず瞠目して大将試合に視線を向ける。


 凱旋道場に君臨してから数年。これまでの戦績からみても、青薔薇赤利とまともに戦える人物なんてそれこそ数えるほどしかいなかった。


 吹けば飛ぶような背の高さと小さな体型、知能など無さそうな子供らしい表情。しかし、その身に秘める頭脳は他者を圧倒しすぎて誰も力量を図ることができない。


 天才は孤独として、その本領を発揮する間もなく死を迎える。これまでの戦いでそんな圧勝劇を何度も目撃していた中央地区の者達は、今の青薔薇赤利の姿に思わず震えあがる。


 彼女の全力がここで明らかになる。そして、それを上回る存在が生まれ出るかもしれない。


 不安と焦燥、期待と恐怖。そんな様々な感情が渦巻く中で、ただ一つ生き残ったのは興味である。


 この激闘の末にたどり着く結果で何が起こるのか。それは人間として抗えない本能から呼び覚まされる感情であり、制御できるものではない。


 そんな多くの興味を惹く二人の対局は、終盤のねじり合いに突入していた。


 ※


 人の数だけ戦術が生まれ、人の数だけ戦い方がある。


 決して同じ局面が生まれることはなく、毎回違った局面での戦いを強いられる。それが将棋だ。


 ならば、その無限にも等しい局面の数からたったひとつの理想的な形を掴んで手繰り寄せることもできるはずだ。


 答えを見つけに行くのではなく、答えを自分から作り出して、そこへ歩みに行く。


 未来の創造、思考の逆算。先を読むという行為の本質。


 将棋といえば先を読むこと。なんて言われているが、実際にどれほど先を読んでいるか正確に把握できる者は少ない。


 ──どんな天才であっても、完璧な先読みは10手前後が限界と言われている。


 常に先を読みつつ、手を指した後も読みを続けることで、結果的に何十手も読んでいるように錯覚するだけ。


 もしくは、100通りや200通りと言った膨大な分岐のパターンを読んでいるだけの場合もある。そして、それらを全て読み終えても手数にして1手にすら満たない場合が多い。


 目の前の1手を完璧に読み切ると言うのは、それだけ難しいことなんだ。


 ──でも、ふとできるんじゃないかと思う時があった。



『【黄龍戦・団体戦】について話し合うスレPart100』


 名無しの727

 :あれ、更新止まった?


 名無しの728

 :バグ?


 名無しの729

 :次の手全然更新されんけど、もしかして自滅帝長考してる?


 名無しの731

 :あんだけ早指ししてたのに急に長考し始めたな


 名無しの732

 :もう7分経ったぞ、残り時間大丈夫か?


 名無しの733

 :自滅帝全然指さないな


 名無しの734

 :ここそんなに考えるような局面か?


 名無しの735

 :形勢まだ互角なのに、ここで長考するのはアカンやろ……


 名無しの736

 :時間差があああああああ


 名無しの737

 :この時間差はヤバいな、青薔薇が一気に優勢になったかもしれん



 勉強は苦手だ。どれだけ完璧に覚えようとしても、脳が自然と覚えることを拒絶して上手く思考の中に定着しない。


 多分、嫌いなことだからなのだろう。好き嫌いで人が持つ脳の処理速度は大幅に変化する。


 もしそうなのだとしたら、俺はよほど将棋が好きなのかもしれない。


 ──考えることに苦痛を感じない。先を読むことに苦悩を感じない。


 だってそれが楽しいから。先の手を考えることが純粋に好きだから。だから俺はいつも脳内で将棋を指すほど対局に餓えていた。



『【黄龍戦・団体戦】について話し合うスレPart100』


 名無しの811

 :おいおいおい、いつまで考えてるんだ?


 名無しの812

 :もう20分長考してるぞ……


 名無しの813

 :プロ並みに長考してるじゃん


 名無しの814

 :持ち時間40分の試合なのにこの長考はアカンやろ


 名無しの815

 :もう自滅帝の残り時間3分しかない


 名無しの816

 :一体何考えてるんだ……?


 名無しの817

 :嵐の前の静けさ


 名無しの818

 :風呂から上がったのにまだ考えてて草


 名無しの819

 :もしかして諦めた?


 名無しの820

 :時間いっぱいまで考えて投了でもするつもりなのかな



 遥か果てに浮かんだ天空城。乱戦に乗じて風穴の開いた敵陣。射線上に囲まれた王様と一触即発の自陣。


 ──箱庭の面影が見える。


 出来ないからやってこなかったのではなく、必要ないと思っていたからやってこなかった。


 それは5分や10分という短い時間ではどうやっても間に合わず、膨大な時間と労力を必要とする。決して将棋戦争では実現できない思考の使い方だ。


 でも、今ならできる。


 局面は終盤、形勢は極小ほどだがこちらに触れている。ならば、残り時間の全てを使って完璧な手を指し続けられれば理論上は勝てる。


 そして、その理論が空想でないことを証明するには機械の力を使うしかない。人間の力では決して太刀打ちできない世界の話だ。


 ──人の力では限界がある。


 でも、好きなことなら限界など無いだろう?


「……オマエ、まさか……っ」


 思考時間25分。信じられないほどの大長考の末、俺は口角を上げて微笑みを零した。


 ポタポタと滴る汗をぬぐい、確信を持った目を赤利に向ける。


 「……っ!?」




 ──読み終えたぞ。──51手終わりまで。




 刹那、俺は飛車を見捨てて王様を移動させ、秒読みに入って残り一秒を告げている対局時計を素早く叩いた。


 向かうは天上、絢爛けんらんに輝く城の中だ。





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 今月だけで★3000個も増えたっていう冗談みたいな話

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