第八十一話 南地区の崩落

「……あら、意外ね」

「あ? ……なんだ、いたのか」


 黄龍戦の会場にて、西地区の元王者である成田聖夜なりたせいや舞蝶麗奈まいちれいなが邂逅した。


 珍しく学生服じゃない麗奈は、白いブラウスに袖を通さないコートを羽織っており、いかにも休日っぽい私服の格好をしていた。


 対する聖夜の方はジャケット一本と言った感じで、ちょうど大学の帰りである。


「天竜はどうした?」

「師匠なら自宅。結果の見えている試合だから今日はいいって」

「へぇ、アイツは西地区が優勝すると思ってるのか」

「別に西地区とは言ってないわ」

「でも、目を付けてるんだろ?」


 聖夜はそう言って会場の中へと視線を向けた。


 目を向けた先では西地区と南地区の戦いが終盤戦に突入しており、既に大勢の予想が付き始める頃合いだった。


「天王寺の奴、しくったな」

「実力よ。相手を甘く見た結果ね」


 二人はいい合いながら会場に入ると、観戦席の方に座る。


 そして、天王寺魁人と渡辺真才、両地区のエース対決が行われている試合に目を向けた。


「自滅帝か」

「ネット界最強のプレイヤー。アマチュア界ではまさに敵無しといったところかしら」


 麗奈は率直にそう告げる。そして聖夜もその言葉に同意した。


「自滅帝はネット界では常連の名だ。最初から強かったわけじゃない。俺も過去に何度か戦って勝ったことあるが、今のアレに勝てる自信は無いな」

「天下無敵の成田聖夜様がそこまでおっしゃるなんて、随分と弱気だこと」

「フン、そういうお前はどうなんだよ。麗奈?」


 聖夜は真才たちの戦いを見ながら麗奈に問う。


「師匠が苦戦するレベルなんでしょう? 私では10回に2~3回勝てればいい方ね」

「そりゃあいい。さっそくお前と戦わせて、その無敗で作った天狗の鼻を折ってもらおうぜ」

「なによそれ。青薔薇赤利じゃあるまいし、私は無敗に興味なんて無いわよ? 戦績だけなら師匠の方が上だしね」


 まるで自分は天竜一輝より下だと告げる麗奈だが、その実態は実のところ三竦さんすくみである。


 西地区の3強。天竜一輝、舞蝶麗奈、成田聖夜。この3人の戦績はほとんど変わらない。


 居飛車一筋とナイフのように切れる指し回しで幾多もの大物を打ち破ってきた天竜一輝。全ての戦法を使えるオールラウンダーである舞蝶麗奈。緩急の攻めで相手を翻弄することに特化した成田聖夜。


 全国大会でも爪痕を残すほどの大物であるこの3人が、同じ西地区に生まれ出たことは奇跡としか言いようがなかった。


 そんな3人が今回の黄龍戦で不在という事実。それは多くの者達にとって不安の種になっている。


 一体今、西地区で何が起きているのかと──。


「そういや天竜の奴、次回の名人戦にはもう出場すること決めたんだっけか?」

「ええ。既に例の対策も完成しつつあるみたいだしね。あーでも、自滅帝の対策もしなきゃいけないとも言ってたわ」

「選ばれた人間は大変だな」


 聖夜はそう言って、持っていた缶コーヒーの蓋を開ける。


 目線の先で行われる西地区と南地区の激戦、それも終わりへと近づいていた。


「くっ……!」


 天王寺魁人の苦戦顔に、珍しいものが見れたと聖夜は笑みを零す。


「あの天王寺にあそこまでさせるとは、自滅帝の強さは計り知れないな」

「自滅帝だけじゃないわ。他のメンバーもみんな強い」


 麗奈はその慧眼で、明らかに棋力が増している西ヶ崎の面々を見据える。


 それにならって聖夜も他のメンバー達の方へ目を向けた。


「……確かに強くなってるな。しかも各々個性がある。平凡な指し回しをしていない」

「既存の型を流用しないのは正しい選択ね。誰かの作った道を歩けば先人の壁は越えられない」


 麗奈と聖夜は互いに正しい目線で西ヶ崎のメンバーを評価する。


 二人の思考に慢心はない。それは天竜一輝から受け継がれてきた"相手を正しく視る"という大局観を常に心掛けているからである。


 それに対して、南地区のメンバーはまだ実戦経験が浅いのか視野が狭い。


「あ……あぁ……」


 神童と期待されていた柚木凪咲は既に戦意を喪失している。


 そして、その手に持っている駒が盤上に落ちたとき、時計の秒数は0を刻んだ。


「ありがとうございましたっすー!」


 葵玲奈のその一言が起点となった。


「……!?」


 天王寺魁人が信じられないようなものを見る目を葵に向ける。


 同時に南地区の他の面々も絶句して葵の方に目を向け、その言葉が敗北ではなく勝利の宣言であることに納得のいかない表情を浮かべていた。


「……ま、負けた」

「ありがとうございました」


 次いで東城と深嶋の戦いも決着を迎える。


「嘘だろ……?」


 天王寺魁人の虚しい声が響いた。


 その後も南地区は次々と決着がついていき、どれも西地区の勝利で幕を閉じていく。


 肝心の魁人と真才のエース対決も既に結果は見えており、ここから逆転できる隙も余裕も魁人には見出せなかった。


「圧倒ね」

「だな」


 快勝にも等しい戦いを繰り広げる西地区の戦いに、麗奈と聖夜は感心の声を上げた。


 ──しかし。


「負けました」

「え?」


 南地区に対して圧勝する西地区の面々。その中でたった一人だけ投了の言葉を口にした者がいた。


 ──来崎夏である。


 対戦相手も驚きのあまり呆然として来崎を見つめていた。


「……え? 投了?」

「はい、投了です。負けました」

「……???」


 対戦相手は勝ったにも関わらず、納得のいかない表情で盤面に視線を下ろす。


 まだ決着はついていないものの、局面の形勢は来崎が優勢だった。


 そう、優勢だったのである。優勢だったのにもかかわらず来崎は投了を口にし、静かに席を立ちあがった。


 そんな来崎の行動に、南地区の面々は戸惑いを浮かべる。


「……あの子」

「ああ、あれはヤバいな」


 覇気のような何かが纏った背中を一瞬だけ刮目した麗奈と聖夜は、互いに苦笑しながら来崎の後姿を見送った。


 しかし、そんな来崎の意図を知らない天王寺魁人は怒りを露わにした。


「優勢なのに投了……? どういうことだ、舐めてるのか……!」

「言葉を返すようで悪いけど、自分だって青峰龍牙との対局で戦わずに試合放棄していたんだから、舐めているなんて言われる筋合いはないな」


 真才は真剣な表情でそう言い返した。


 そして盤面に置かれた駒に手を添えると、軽くつかんで裏返す。


「──さて、寄せるぞ」

「ぐっ……!?」


 そこから一転して攻め続ける真才。その激しい攻めは魁人の守りを一瞬で総崩れさせる。


 守る、受ける、対応する。そんな行為の全てを読み終えた真才の攻撃は、まるで未来から弾丸の五月雨さみだれが降り注ぐような恐怖に包まれた。


 これぞ自滅帝、戦慄の棋風である。


 そもそも秒読みの将棋に追い込まれた時点で、魁人に勝機などなかった。


(これがいただきか……っ!)


 端から端まで全ての駒が銃口を向けてくるかのような指し回しは、本当に同じ将棋をやっているのかと疑問にすら思う。


 ギリギリの攻防の最中、僅かな隙を見つけて反撃に出ようとする魁人だが、その手は既に用意された罠である。


 嵌れば敗北までの手が早くなり、嵌らずとも敗北までの道は確定している。


 ここから逆する術があるのならば、神にすら頼みたい気分だ。魁人は心の中でそう諦観した。


「……投了する。俺の負けだ」

「ありがとうございました」


 天王寺魁人の投了により、西地区と南地区の試合の全てが終了した。


 7戦6勝1敗。大勝と言っても差し支えないほどの戦績を残して、西地区は決勝への切符を手にしたのだった。





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 ついに現代ドラマで年間1位を取ってしまいました。

 これ現実……?

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