第八十話 強くてニューゲーム

 数多の定跡を覚え、数多の戦法を頭に叩き込んだ。


 それでも強さを実感できないのは、それらを実際に指していないからだろう。


「……」


 文武両道、勉学と将棋の両立。


 パソコンに向かって数時間定跡の暗記をしていた東城は、一区切りついた辺りで力が抜けるように机に突っ伏した。


 このまま定跡を覚えたとして、一時的な棋力の上昇には繋がるかもしれないが、その先に待っているのは再びAIを重ねた研究の日々だ。


 無限の時間をもちいることができるのであれば、このまま定跡手順を全て暗記できるまで覚えていけばいい。


 しかし、将棋の世界はそこまで甘くはない。どれだけ勉強を重ねようとも時間の壁に阻まれる。


 このジレンマを打破するために必要な考え方はひとつ。


 短時間で覚えられるオールラウンドに対応した戦術。色褪せることなくその派生を伸ばし続けることができ、時代の変化に対応できる長命な戦術。


 ──そんな都合の良いものはこの世界に存在しない。


 自分の戦法を作る。なんて言葉では簡単に言い表せるが、この何百年も続いたボードゲームに今さら新しい戦術を生むことは不可能に近い。


 だから凡人は定跡を学び、天才はAIを使って新しい最善手を模索する。プロ棋士ともなれば安易に最善手を採用せず、なるべく形勢を落とさない次善手を採用し、高度な情報戦を繰り広げる。


 多種多様な戦い方が存在するこの盤上の世界では、いかに自分の型に嵌った戦術を選択するかがカギとなる。それ以外の新しい道などそう簡単には見つからない。


「……いや、ひとりだけいる」


 机に突っ伏していた東城は、何かに気づいて思わず顔を上げた。


 まもなくやってくる黄龍戦の地区大会。西ヶ崎高校の将棋部では初となる団体戦での出場が迫ってきている。


 そんな中で先日、偶然にも渡辺真才が将棋戦争のアカウントページの載ったスマホを見せてしまったことがあった。


 その正体は自滅帝。将棋戦争のトップランカーにしてネット界最強の将棋指しだ。


 自滅帝と言えば、戦慄を呼ぶ指し方で相手を奈落の底に叩き落とす将棋を得意としている。それは自滅帝にしかできない指し方で、多くの者達が真似をしようとも参考にならなかった指し方だ。


 ──つまり、自滅帝は自分だけの戦い方を持っている。


 東城は次の日、自滅帝本人である真才にその指し方を教えてもらうことに決めた。


「……いや、別にいいけどさ。……大変だよ?」

「かまわないわ」

「うーん、じゃあ教えるけど……」


 それから真才による自滅帝の全てが明かされていった。


 何故、自滅帝の指し方に多くの者は戦慄するのか。どうやってその指し方を形成しているのか。いつ動き、どこが弱点で、どういった手を繰り出されたら反撃にでるのか。


 細かいポイントから分岐の端まで、自滅帝の指し方を構成しているその理論の全てを真才から教えてもらった。


 そしてざっと3日は経過した後、東城は頭を抱えてため息を零した。


「はぁ、これはすごいわね。聞けば聞くほど覚える気が無くなるわ……」

「そりゃあ、一応これには俺の人生の全ての知識が詰め込まれているからね。数日で覚えられるようなものじゃないと思うよ」


 当然の帰結。そもそもとして、自分だけの戦法を作ることが不可能だというのは周知の事実なのだから、真才が今の指し方を会得するのにどれだけの時間を掛けたのかなんて想像に難くない。


 それでもその片鱗を理解した東城は、腰を上げて立ち上がった。


「でも、理屈は分かったわ。それに、アタシは真才くんの指し方を真似するつもりはないもの。あくまで強くなるための武器が欲しいだけ。その先は自分で伸ばしていくわ」

「……正解だね。その考え方がある限り、誰も東城さんには追いつけないよ」


 東城はハナから自滅帝の指し方を真似するつもりはなかった。


 ただ、それを武器のひとつとする。戦い方のひとつとして持っておく。そこに自分の実力が追い付いたとき、初めてその戦術は意味を成すのだから。


 ──その後、地区大会で東城はぶっつけ本番の試し打ちをしていた。


 最初は好調に進んでいたが、やはりその戦い方が完全に完成するまでは時間がかかる。指し方の変更からまだ日が浅いこともあり、瞬間的な棋力もだいぶ下がっていた。


 おかげで途中の戦いで一度ミスを犯してしまい、そのまま敗北してしまったこともあった。


 しかし、それから今の新しい指し方にも慣れてくるようになり、真才が"自滅流"という新しい戦術を開発したことを聞いたときは、それが今の自分にも活かせる戦術であることを理解した。


 ──東城の戦い方は非常に理論的である。


 自身が培ってきた勉学による脳の回転の速さを活かし、その場における一手で、何が正しく、何が間違っているかを素早く計算する。


 しかし、それは葵玲奈のようにどんな局面でも楽しめる感性を持っているわけではない。あくまで自分が慣れ親しんだ局面にのみその力は発揮される。


 だから、今まで覚えていた古い指し方を忘れるのが怖かった。


 東城の強さを発揮させるには、その戦型を目に慣れさせることが大前提であるからだ。


 ※


「バカな……ハッタリだろ……っ!」


 東城から繰り出される自滅流に、深嶋は冷や汗をかきながら対応していく。


 プロ棋士ほどの大天才が繰り出すならともかく、本人でもない者が繰り出す自滅流など紛い物に違いない。


 そう思って速攻を仕掛ける深嶋に、東城は小さく呟いた。


「アタシ、この前のテストの成績、95点下回ったのよね」

「……は?」


 東城の呟きに、深嶋は眉を顰める。


 東城はこの1ヵ月間、私生活のほとんどを将棋に費やしていた。


 勉強の時間を大幅に削り、睡眠時間を削り、将棋以外の趣味や友達と遊ぶ約束の時間まで削った。


 そしてその間、東城は何度も真才と戦った。5回や10回ではない。数百回である。


 真才も新しい戦法を試したいからと、半ばサンドバッグ気味に東城をKOさせ続ける日々を送ってその感覚を身に沁み込ませた。


 飽きるほど、慣れるほど、戦慄が心地良いストレスになるほど戦ったのである。


 ──自滅帝の指し方など、もう完全に慣れ切ってしまっていた。


 そして慣れた局面であれば、東城の力は100%発揮される。


「この1ヵ月間、本当に大変だったわ。だからその分の借りは返させてもらうわね」


 東城の努力とは何の関係もない深嶋にその鉄槌が下される。


 それは模倣とはまた違う派生した戦い方。相手の陣地に突撃しつつ、"入玉にゅうぎょく"を目指して押しつぶすように戦う真才とは違い、東城はその場で浮遊するかのように王様を浮かせつつ上空から砲弾を連射する戦い方を選択していた。


 それが真才とはまた違った方向で地獄のような戦術だった。


(な、なんでこんな精度が高いんだ……! これじゃあまるで、自滅帝本人と戦っているような……ッ!)


 深嶋の仕掛けはあと一歩というところで届かず、東城のターンに移ってしまう。


 そこから東城は一切の手番を渡すことなく攻めを繋ぎ、あっという間に深嶋の玉形ぎょくけいは崩壊しつつあった。


「くっそ……ッ!」


 慣れない盤面で最善手を繰り出すことは非常に難しい。見たことのない局面に陥れば誰だってミスが多発する。


 自滅帝の指し方に多くの者が追い付けないのは、彼以外その指し方を選ばず、自滅流に目が慣れていないからである。


 その局面に目が慣れている東城にとって、自滅流を応用するなど簡単なことであった。


 ──いいや、簡単なことにするまでの膨大な努力がその実を結んだのだ。


(1勝を取るつもりが足元をすくわれたか……! だが、俺が負けたところでまだ1勝だ。天王寺や凪咲、その他のメンバーがいる限りまだチーム全体で負けたと決まったわけじゃ──)


 そう思って深嶋は周りの様子を探ろうと目を向ける。


「は……?」


 しかし、そこにあったのは絶望だった。


 額に手を当て見たこともない表情で苦しんでいる天王寺魁人。目から光を失って戦慄している柚木凪咲。他のメンバーも懸命に対局しているように見えるが、その表情には明らかな敗勢が見て取れた。


 ──信じられるだろうか。あの南地区が、天王寺道場という由緒ある道場の自慢のメンバーが、全敗への道を辿ろうとしているのだ。


「よそ見してる暇があるのかしら?」


 そこに東城からの強烈な砲弾が飛んでくる。一間龍いっけんりゅうによる完全な寄せ形である。


「……っ!?」


 その間、東城は視線を盤上から一切離していなかった。


 味方の対局などまるで気にしていない。西地区の面々は皆、仲間が勝つと本気で信じている。


 自分の代わりに誰かが勝ってくれるなんて、そんな甘い考えを持つ者は西地区には存在していない。


 自分が勝たなければいけないのだと、自分達は戦場に来ているのだと、西地区のメンバーは皆それを理解していた。


 理解できていないのは、この場にて深嶋だけである。


「な、なんなんだ……こいつら……!」


 そこで初めて、深嶋は西地区の本当の恐ろしさを知ったのだった。





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 こんな場所くらいでしか述べられないのですが

 沢山の方から面白い、続きが読みたいと言ってもらえて本当に嬉しいです。

 その言葉が執筆の意欲に繋がっていることは間違いありません。


 感謝、次も楽しんで待っていてね

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