第六十七話 死神の『耀龍ひねり飛車』vs自滅帝の『耀龍楼閣』

「それでは、黄龍戦・県大会を始めてください」


 マイクを持ったスタッフの掛け声と共に、会場に座った約30名の選手達は一斉に対局時計を叩いた。


「……チッ、調子に乗りやがって。まぁいい、軽く遊んでやるよ」


 開始早々、環多流は素早く駒を掴みノータイムで一手目を繰り出す。


 得意げな指し手から繰り出される一手は飛車先を突く常套手。諸事万端すべての選択肢から決められたその一手により、環多流の戦法は早々に確定する。


 ──居飛車。つまりは俺と同系統の戦法だ。


 俺も環多流を真似て飛車先を突くと、環多流は更に飛車先を突き越した。


相居飛車実力勝負か? 随分と自信家だな」


 環多流の言葉に俺は反応せず、条件反射で飛車先を突く。


 これにより互いの飛車先が限界まで突き越された形となり、プロの棋戦でもよく見られる『相掛あいがかり』と呼ばれる戦型に定まった。


 相居飛車の戦いは常に実力と研究の応酬戦。一手のミスも許されず、一手の隙も見せてはいけない。


 そう、まさにあの天竜一輝との戦いを彷彿とさせるようなやり取りだ。あの時は角換わりだったが、今回は相掛かり。どちらもプロ間でよく採用される将棋だ。


 あの時の二の舞にはさせない。そう意気込んだ俺はしっかりと小駒にも目を行き届かせ、いつでも自滅流へと移れるように態勢を整える。


 そんな俺を見て鼻で笑った環多流は、飛車先の歩を交換して中段飛車に浮いた後、端歩を突いて違和感のある流れを見せた。


「──なんてな?」


 環多流はそう呟くと、飛車を逆サイドに転換して相掛かりから大きく外れた戦型へと組み替える。


「相掛かりだと思ったか? 残念~! 『耀龍ようりゅうひねり飛車』でしたー!」


 環多流はまるで俺を引っかけてやったかのような似非笑いを見せる。


「……耀龍?」

「知らねぇのか? 浅学だな。もっと定跡書読めよ、西地区の大将さんよ!」


 そう言って環多流は意気揚々と即効性のある攻めを展開していく。


 居飛車と見せかけた振り飛車、相掛かりからの飛車の転換は俗にいう『ひねり飛車』と呼ばれることが多い。


 しかし耀龍、耀龍か……。


 環多流は俺が耀龍を知らないと思っているのだろうが、俺の呈した疑問はそこじゃない。


「……」


 対局開始から15分。互いに中盤の陣形を整え、いよいよ戦いが始まろうとしていた。


 環多流の将棋は特徴的だった。使える駒は使い、使えない駒は捨て置く。まさに合理主義者の塊のような指し方だ。


 しかし、それが耀龍の一片にも触れていないことを環多流は理解しているのだろうか。


 耀龍たる事の根底を、その根源たる知識の偉大さをまるで分かっちゃいない。


 ──俺はふと横を向く。


 空席となった3つの椅子をそのままに、本来であれば戦うはずだった東地区の選手達は、無慈悲に時計を叩いてふんぞり返っている。


 対戦者がいない場合でも、既定の時間になれば勝手に対局が開始される。


 それはつまり、負けではない。


 西地区の選手がその場に来ていなくとも、東地区はそのまま対局を続行する必要がある。その場に対戦相手がいなくとも、対局が終わるまでは離席扱いだ。


 佐久間兄弟と武林先輩が座るはずだった場所は、ただ静かに時計の針を刻み続けて命の寿命を削っていく。


 大会の持ち時間は40分。長いようで短い時間だ。それに、互いに消費する対人試合と違って無人の対局は一方的に時間が過ぎていく。


 仮にこのまま時間が過ぎれば、時間切れで東地区の勝ちとなるだろう。


 だが、それでも俺達は慌てなかった。東城も、葵も、来崎も、その空席に対する不安は抱いていない。


 ──信頼とは、そういうものだから。


「よそ見してる余裕があるのかよ? お前の手番だぞ?」


 環多流は煽るようにそう告げながら、意味もなく対局時計のボタンを軽く叩く。


 挑発ともとれるその行為に、俺はただただ深いため息をつくばかりだった。


「……はぁ」

「何ため息ついてんだよ。もう諦めたのか? まぁ大して攻めの陣形も整えられてないこの状況を見れば投了する気持ちも」

「話にならない」

「……あ? なんだと……?」


 環多流の話をぶった切った俺は、自分に呆れを告げるような言葉と共に環多流を見上げ、その本心を露わにした。


 俺にとって、この試合は天竜以来の実戦将棋だ。短時間で終わる将棋戦争を除けば、強者と戦うのは本当に久々だった。


 だから、ずっと警戒していた。


 どんな手を講じてきても対応できるように、あらゆる策を事前に用意していつでも実戦に活かせるように準備していた。天竜一輝の二の舞にならないように、同じ轍は踏まないように、東地区の戦法を全て頭の中にインプットして臨んだんだ。


 なのに、なんだこれは?


「話にならないだと? テメェ誰に口きいて──」


 これはあまりにも、──弱すぎる。


「……あ?」


 環多流の言葉を遮るように、俺は攻めを無視して囲いを発展させていく。


 その間に環多流は俺の陣形を崩そうと揺さぶりをかけるが、俺は全ての駒を活躍させながらその攻めをいなし、上空に城を築く。


「な、何やってんだ、お前……?」


 王様を一段、また一段と上げると、その度に環多流の眉がヒクつく。


「は……? は……?」


 その指し方に見覚えがあるのか、それとも俺の指し方に不気味さを感じたのか、環多流は嫌な汗をかき始めた。


「耀龍の言葉の意味を知っているか?」


 俺は環多流にそう尋ねた。


「あ……?」


 環多流の使った耀龍ひねり飛車は確かに有力な戦法だ。これと類似した名前を持つ耀龍四間飛車と合わせて、一時期はプロ間でもよく使われていた戦法だった。


 だからこそ、分かる。


 遊び駒だらけの乱雑した駒組。我流で勝ってきたことが明らかな基礎のなっていない戦い方。必要な駒だけを動かし、必要のない駒を使わない身勝手な采配。


 環多流のそれは、何ひとつとして"耀龍"の形を作っちゃいない。


「『あらゆる駒を耀かがやかせ、龍の舞を披露し勝利へ導く。』それはまさしく理想の将棋。──"耀龍"であると」

「……っ!」


 唖然とする環多流に、俺は容赦なく自滅流を完成させた。


 ※


『【急募】最近の自滅帝の戦法に名前を付けようの会』


 名無しの1

 :自滅帝オリジナル


 名無しの2

 :>>1 却下


 名無しの3

 :>>1 何でもかんでもオリジナルつければいいと思うな


 名無しの4

 :中段玉やろ


 名無しの5

 :空中楼閣


 名無しの6

 :>>5 それはもう既にあるやつやん、それに空中で戦わないときもあるし


 名無しの7

 :自滅流空中楼閣でいいんじゃね?


 名無しの8

 :全部の駒使ってるんだから空中楼閣ともちょっと違う気がする


 名無しの9

 :もう普通に自滅流でよくねーか


 名無しの10

 :>>9 結局これが安牌


 名無しの11

 :耀龍楼閣(ようりゅうろうかく)


 名無しの12

 :>>11 お


 名無しの13

 :>> 11 ええやん


 名無しの14

 :>> 11 なんで耀龍?


 名無しの15

 :>> 14 全部の駒を使ってる上に将棋の理想だから


 名無しの16

 :>> 11 これでFA


 名無しの17

 :>> 11 これに決定


 名無しの18

 :自滅流、またの名を自滅流『耀龍楼閣』で決まりか


 ※


「……なんだ、これ」


 対局開始から30分、俺の駒台から持ち駒が溢れ出る。


 俺はその駒達を散財するかのように使い、環多流の強固な美濃囲いを瞬く間に崩壊へと追いやった。


「なんでだ、なんで、いつの間にこんな形勢に……っ! お前一体なにしやがった……!?」


 焦ってそう問い詰める環多流だが、俺はその問いに答えるべき解答を持ち合わせてはいない。


 だって将棋は相手と共に現行して作り行くひとつの作品なのだから、自分の軌跡を辿ればおのずと原因にたどり着くようにできている。


 そこに対して問う"何故?" ほど無意味な自問自答はない。


 環多流は必死に俺の王様へと迫ろうとするが、空中に作られた城にその弾丸が届くことは無い。外壁を破ろうと大砲を撃っても、地上に隠れた伏兵に止められるだけだ。


 将棋に無駄な駒なんてひとつもない。全てを使わなければ本物には届かない。


 ──俺が本物の耀龍を見せてやるよ、環多流。


 ※


 まだ中盤戦、終盤にすらたどり着いていない状況で、環多流は冷や汗を浮かべながら舌打ちを繰り返していた。


「ば、バカな……。なんでこの俺が、こんな奴に……ッ」


 環多流の犯した唯一の間違いは、目の前に座る渡辺真才をただの将棋指しだと勘違いしたことである。


 それに生じて起きた主導権の奪取に、環多流自身すら気づけなかった。


 ──将棋には、勝負の手番を握る主導権が存在する。


 環多流が死神と呼ばれる所以は、その絶え間ない攻撃性と、人心を掌握するかのような罠の張り方に由来するものだ。


 だが、それはあくまで主導権を握った状態で出来る芸当。──今の環多流には、勝負の手番を握る主導権が一切渡っていなかった。


 何故なら、目の前の男が終始全ての主導権を握っているからである。


「み、認めねぇ、俺は認めねぇぞ……! おい、審判! この男には不正をしている疑惑が掛かってる! コイツの身辺を調べろ!」


 そう言って環多流は近くにいた審判を呼びつける。


 だが、審判は真才の顔を見るなり恐怖にひきつったような表情を浮かべて息を呑んだ。


「か、彼は不正をしていません」

「あぁ!? 見ただけじゃわかんねぇだろうが! ちゃんと服の中まで確認しろよッ!」

「し、審判員である私が不正をしていないと言っているんだ。彼の身の潔白は本大会の責任者である立花徹さんも認めている。疑う余地はありません」

「は……? 立花が認めてるだと……? そ、そんなバカな、そんなはずねぇだろ……!! 青峰龍牙でも、青薔薇赤利でもないお前が、素の実力で俺を上回るなんてありえねぇだろうが……!!」


 環多流はそう言い捨てて盤に目を向けようとするが、その盤面を見れば見るほど表情が歪んでいき、やがて指先が小刻みに痙攣しだす。


(なんだ……? ふ、震えているのか……? この俺が……!)


 感じたこともない戦慄に、環多流の思考は一気にぐちゃぐちゃになる。


(こんな恐怖、今まで一度も……!)


 環多流は歯を噛み締めながら真才の瞳を睨む。そこには荒んだ色と修羅を潜り抜けてきた傷跡、水底に引きずり込まれるような野心と激しく燃える炎の灯が映った。


 環多流はその瞳を覗いて恐怖する。恐怖に慄き戦慄する。


 将棋指しが戦慄を覚える瞬間などひとつしかない。


 ──圧倒的な格上と対峙した時だけだ。


(なんなんだこの指し方は……! なんでこんなに隙がないんだ!)


 理由など見つかるわけがない。相手にならないと思っていた男の驚異的な強さ、それは環多流の考え得る最悪の状況をゆうに塗り替えてしまうほどの衝撃なのだから。


 だから、自然と行き着いてしまう。自然と過去を振り返って気づいてしまう。


 その理由を探しに、自らどん底に行きつく結末へと答えを探しに行ってしまう。


『あの、ワタルさん、ひとつ気になる点があるのですが……』

『なんだ? 言ってみろ』


 頭の片隅に残っていた記憶の復元。それはたったの5秒で済み、たったの5秒で血の気を引かせた。


『先日、ネット将棋で名を馳せている"自滅帝"というアマチュアが、13日後の大会に出場するという宣言を行ったらしいのですが……その宣言から13日後は我々が参戦する黄龍戦の県大会開催日と合致します』


 点と点が繋がってしまった。


「……はっ?」


 そんな環多流の素っ頓狂な声が、会場内に響き渡った。




 ──────────────────────

 ★2500突破してたの今気づきました!うれじいよぉ……!

 あと個人的な報告なんですが、将棋大会で優勝しました

 ぴゃーー(鳴き声)

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