第六十八話 欠けていたピースが埋まるとき

 遊馬環多流にとって、将棋は自分の知略を試すゲームのひとつだった。


 どんなに高尚な人間でも、どんなに権利を持つ人間であっても、盤上の場では皆等しく自らの知を懸け、賢き者だけが生き残る。


 自分より価値のある人間が崩れゆく様を見るほど愉悦に浸れる瞬間はない。


 あらゆる暴虐で人を陥れ、あらゆる酷薄で金をむしり取る。その行為自体に環多流は幸福を感じていた。


 だが、それらは常にリスクを伴う。


 いかなる方法を駆使しても、バレずに証拠を消したとしても、やってしまった痕跡というものは必ずどこかで露呈する。


 しかし、盤上の世界に善悪はない。敗北という結果は己の責任と共に自白する。それが将棋という残酷な世界の真実だ。


 環多流の唯一の愉しみは、この世界に本気になっている人間を叩き潰し、その絶望に歪んだ表情を見ることである。


 ゆえに、自分が負けることには一切の恐怖を覚えない。負ける戦いは最初から捨て、勝てる戦いにだけ挑む。それが環多流のやり口だった。


 そんな自分と同じ考えを持った北地区のエース、青峰龍牙とは水と油のような関係で、よくエースの座をかけて大会で衝突することも多かった。


 しかし、互いに外道を好む人間であるため、簡単には策に嵌らない。両者とも勝った負けたを繰り返す日々だ。


 そんな中で唐突にやってきた銀譱道場からの勧誘は、まさにちょうど良いタイミングだった。そしてこれを好機と捉えた環多流は、それまで居た北地区を離れ東地区へと移ることに決めた。


 東地区へと移った環多流は、日も浅いうちに銀譱委員会と第十六議会の対立を嗅ぎつけ、その小競り合いに興味を持ち始める。そして、自身の悪知恵が活かせる場面があると知った環多流は面白半分で銀譱委員会に手を貸すこととなり、その傍らで東地区のエースとして銀譱道場を仕切るようにもなっていった。


 しかし、環境が変わっても性格は変わらない。環多流は自らの悪知恵をより激しく使うようになり、その牙は議会の息が掛かっている中央地区にまで噛みつくようになっていく。


 環多流にとってこれらの行為は全てゲームのようなもの。仮に自分が負けたとしてもなんら痛手を負うことは無い。


 中央地区の代表的な道場である『凱旋がいせん道場』は、通称"無敗道場"とも呼ばれており、特定の試合で負けることが許されず、仮に負けてしまえばそれだけで後の将棋人生を絶たれた者もいるくらいの厳格な道場だ。


 そんな道場の面々を潰しにかかり、他人の人生を破滅させるのが最近の環多流の趣味の一環だった。


 負けることに恐怖する者達と違い、自分は負けることになんのリスクも負っていない。


 夢を追いかける者達の断罪、それは知識を使った暴力という手法そのもの。


 ──では、そんな遊馬環多流にとっての"敗北"とは何か?


「お、お前、自滅帝……なのか……?」


 震えた声でそう問う環多流。


「うそ、だろ……? 冗談だよな……?」


 真才がその問いに答えることはない。ただ黙って盤上に手を伸ばし、環多流の王様を食いちぎる。


 その度に肉片が1枚、また1枚と飛んでいき、鉄壁の要塞を築いていた耀龍の輝きは瞬く間に消えていく。その間にも真才の空中要塞は侵攻を続け、やがて環多流の陣地に城ごと突撃していった。


(こんな、こんなバカみたいな指し回しをするヤツは世界に一人しかいねぇ……! 仮に誰かが真似たとしても欠陥品になる戦い方だ! それをまともに使いこなすのなんて……じゃあ、やはり今俺の目の前にいるのは……っ)


 滝のように冷や汗が流れる。


 狂わせたはずの歯車は、強大な力によって無理やり引き戻される。


「……おい、まさか、さっきの写真は──!」


 なまじ頭の切れる環多流だからこそ、その意図を理解してしまう。真才の行った行動のひとつひとつに恐怖を感じ始める。


 世論は、既に変わり始めていた。



『【黄龍戦・団体戦】について話し合うスレPart95』


 名無しの130

 :【速報】渡辺真才の正体、自滅帝だった。(証拠あり)


 名無しの137

 :>>130 ああああああ!?!?


 名無しの138

 :>>130 は!?


 名無しの139

 :>>130 はぁ!?


 名無しの140

 :>>130 ちょまっ


 名無しの141

 :>>130 え、これガチ?


 名無しの142

 :>>130 うせやろ?


 名無しの143

 :>>130 うそでしょ?


 名無しの144

 :>>130 え?


 名無しの145

 :>>130 マジで言ってんのこれ……?


 名無しの146

 :>>130 え?じゃあ何?俺ら自滅帝を不正者だってバッシングしてたってこと?


 名無しの147

 :>>130 あかん、頭痛くなってきた


 名無しの148

 :>>130 これ事実なら渡辺真才を批判してた奴ら全員土下座案件じゃねーか。マジすまん(土下座)



(マズい……マズいマズいマズいマズい……!!)


 今、ネット界隈がどうなっているのか想像に難くない。


 世論を操った環多流だからこそ、その流れの変化をたやすく想像できてしまう。


 今まで自分が仕掛けたと思っていた一手は、相手にとって最大の反撃を与える隙を作ってしまった。


 だが、この場で止める方法などもうどこにもない。



『【ヤバい】自滅帝とかいう正体不明のアマ強豪www【十段おめでとう】Part38』


 名無しの359

 :【速報】自滅帝の正体、渡辺真才(証拠あり)


 名無しの360

 :>>359 あーあwww


 名無しの361

 :>>359 やっぱりじゃん!


 名無しの362

 :>>359 確か不正してたって疑われてた人だっけ?


 名無しの364

 :>>359 あー不正疑われてた人か。そりゃ疑われるわな、あんな強かったらw


 名無しの365

 :>>359 うわ、マジかよ。批判してた奴らヤバくね?


 名無しの366

 :>>359 衝撃すぎるw


 名無しの367

 :>>359 ひえーーww


 名無しの368

 :>>359 SNSで袋叩きにしてた連中、全員通報しました^^


 名無しの369

 :すまん画像開けん、自滅帝が渡辺真才だってどうやって証明されたの?


 名無しの370

 :>>369 なんか会場で別地区の選手に「不正してる奴は大会出てくんな」って大声で言われたっぽくて、それで周りの注目が一気に集まった段階で会場の写真を一枚撮って即SNSにアップ。それで本人の証明が完了した感じ


 名無しの371

 :>>370 流れを一気に変える天才で草


 名無しの372

 :>>370 ちゃぶ台返しどころじゃねぇw


 名無しの373

 :>>370 おっかなくて草


 名無しの374

 :>>370 自滅帝リアルでも強いやんけww


 名無しの375

 :>>370 こえええwwww


 名無しの376

 :>>370 一発で終わって草、敵に回したくねぇわこんなのw


 名無しの377

 :>>370 あれだけ日本中からバッシングされてたのに当日まで耐え抜くのヤバすぎるだろ……


 名無しの378

 :>>370 前にこのスレで自滅帝はリアルでも喧嘩売っちゃいけないタイプだって言われてたけど、その通りだったな



 環多流の気迫が消え始める。


「──言っただろ? 俺は不正をしていないって」

「……っ!!」


 その言葉は、何よりも重く環多流の胸に突き刺さった。


 そして思わず会場の方に目を向けた環多流は、今になってようやく会場にいる者達が真才に怯えている理由を理解した。


 離れて見ている彼らですら、目の前の執行者の断罪に怯えている。言い逃れ出来ない罪に戦慄している。


 強者を崇め、弱者を見下す。そんな考えを持つ多くの者達が渡辺真才に咎められるカードを渡してしまった、渡してしまったのだ。


 それがジョーカーであるとも知らずに。


(俺が……この俺が負けるのか……? こんなところで……ッ!!)


 ──遊馬環多流にとっての敗北、それは"勝ち試合で負けてしまうこと"である。


 つまりは、東地区の敗北である。


「くっ……!」


 環多流は視線を横に向けると、真才の正体が自滅帝だと気づいた東地区の面々が戦々恐々とした目でこちらを見ていた。


「何見てんだ!? さっさと指せ!! 時間攻めでも何でもいいから誰か一人でも勝ちに行けッ!!」

「は、はいっ!」


 環多流の荒げる声にハッとした東地区の選手達は、急いで自分達の対局に集中する。


 東地区の敗北は、銀譱委員会からの信用失墜に等しい。


 それもここまでお膳立てしてもらってからの敗北など、許されるはずがない。


 環多流が銀譱委員会の偉い老人達に横暴な態度を取れていたのも、それまで一切の失態を犯してこなかったからである。


 大会の戦績は評判に直結し、やがては道場、組織への勢力にすら影響を及ぼす。


 今回の黄龍戦で環多流に課せられたノルマは"優勝"の一択である。あれだけ一強を保ち続けた中央地区への決定的な勝算を掴める機会など早々にない。今回の大会で勝つことは前提も前提、勝って当然の戦いなのである。


 そんな中で全く眼中に入っていなかった、それも不戦勝確実と思われていた西地区への敗北など冗談ではない。


 その上一回戦敗退なんて惨めな結果を残してしまえば、環多流の処遇など火を見るより明らかだ。


「は、ははは……ははははっ!! 自滅帝だぁ? それがどうしたッ!?」


 環多流は自分が劣勢に陥ってることを隠すように、真才に対して強がりを見せた。


「これは団体戦だ! お前達はたったの4人、全勝しなければ俺達東地区には勝てない! 対してこっちは既に3勝している! あと1勝でもすれば勝ちなんだよ!」

「まるで、自分は負けてもいいような言い草だな」

「ハッ、俺は自分の勝ち負けになんざ興味ないのさ。結果的に東地区が勝ちゃいい。テメェとの勝った負けたなんてどうでもいいことなんだよ。ハハハハッ!」


 環多流の強気な言葉に、真才は「そうか」とただ一言だけ呟いて、環多流の王様にトドメを指すための寄せに入った。


「──だから、お前は"俺達"に負けたんだ」

「は……?」


 ──瞬間。会場の扉が勢いよく開かれた。


「ハーハッハッハッハーッ!!」


 ドン! と勢いをつけて会場に入ってきた一人の大柄な男。会場の空気など問答無用でハイテンションを貫くその男は、周りの観戦者達の間から両手を広げて対局場へと足を踏み入れた。


「待たせたな、諸君ッ!! 西ヶ崎高校将棋部の部長! 武林勉が帰ってきたぞ!!」


 その登場に、東地区の選手全員が口を開けて絶句する。


「──ったく、また目立つ登場をして……もう少し静かに入れないんですか、部長」

「連日の鬱憤が溜まってたんだろ、それに部長が静かになるのは対局中だけだ」

「まぁ、それもそうか」


 次いで佐久間魁人、佐久間隼人も会場へと入ってくる。


「ばか、な……」


 環多流の表情は完全に真っ青となった。


 同じように唖然とする東地区の面々を前にした佐久間兄弟は、ゴミでも見るかのような視線を向けて腕を鳴らした。


「──それで、これがうちの仲間を罠に嵌めたクソどもの顔か」

「まぁ、俺達は優しいからな。ちゃんと盤上で真っ当に叩き潰してやるよ」


 それと同時に環多流の前へと顔を見せた武林勉も様子を一変させ、いつもの温厚な表情とは打って変わって殺意むき出しの目を向けた。


「──遊馬環多流、覚悟はできているな?」

「ちょ、ちょっと待てよ……き、聞いてねぇぞこんなの……っ!?」


 断罪の時である。




 ──────────────────────

 え?★3000個が近づいてる?

 はは……冗談がお上手ですわね……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る