第六十六話 不正者から執行者へ
渡辺真才は自分より弱く、才能に恵まれなかった落ちこぼれである。
だから、不正をして勝ち残った。不正をして優勝した。何かしらのカラクリがあって、それに自分は負けたのだ。決して実力で負けたわけではない。
それが明日香の、──
「あ、あ、あぁ……っ!?」
止まらない手の震え、ドクンドクンと体中に鳴り響く心臓の鼓動。
黄龍戦県大会の会場、総勢50人以上もの人々が押し寄せる中、明日香は新しく買ったばかりのスマホを地面に落としてしまうほど取り乱していた。
理由は語るまでもなく、会場の中心で覇の道を歩もうとしている存在──渡辺真才の正体である。
明日香は今日この瞬間にいたるまで、渡辺真才を貶めるための非常に悪質な工作に加担していた。渡辺真才は大会で不正をしていると吹聴し、幾多もの掲示板、SNSを使って誹謗中傷を繰り返してきた。
実際に本人がされたと思って書き込んでいるその言葉には、どことなく説得力があった。真実はどうあれ、本人が事実だと思い込みながら書き込んでいるのだから共感が得やすい。
しかも、環多流の機転の利く援護射撃によって明日香の意見は正論と化し、いつの間にか付属されていく不正の方法や、実際に不正しているところを見たなどという虚偽の情報まで正当化されていくようになっていった。
段々と周りから不正者扱いされていく真才の存在に、明日香はただただ愉悦と報復の快感だけを覚えており、自分がしでかした事の大きさを全くと言っていいほど理解していなかった。
しかし、そんな明日香にも唯一尊敬できる存在がいた。
ネット将棋界で伝説と呼ばれるプレイヤー、誰も成し得ない九段という壁を難なく乗り越え、つい先日には十段という前人未到の地へとたどり着いた正体不明の将棋指し。
──そう、自滅帝である。
AIですら追いつけない速度で早指しを繰り返し、トップランカーに位置する高段者を赤子の手でも捻るかのように倒していく。
そして自ら正体を明かすこともなく、栄誉を自慢するわけでもなく、ただ淡々と毎日将棋を指すだけ。
そんなミステリアスで圧倒的強者という自滅帝の存在に、明日香はこれ以上ないほど魅力を感じていた。
自滅帝の存在は伝説であり、幻である。一説では早指しに特化したプロ棋士なのではないかとも言われており、どこかの企業が秘密裏に実験している最新のAIなんじゃないかとも言われている。
まさに伝説。明日香にとって、自滅帝は憧れと尊敬を捧げるにふさわしい存在だった。
そして、そんな自滅帝がついに正体を現すというのだ。しかも噂では、近場で行われる黄龍戦の県大会に顔を出すという。
それを知った明日香は嬉々として県大会の会場へと足を運んだ。
本来であれば出向く理由など無かった。黄龍戦は自分の負けた大会であると同時に、自分に対して不正を仕掛けた渡辺真才の存在を思い出すからである。
自滅帝はここにいる。そんな噂を聞きつけてか、多くの者達が会場に押し寄せて行列を作っていた。
──そんな中で起きた一度目の衝撃は、渡辺真才が県大会に顔を出したことである。
あれだけ誹謗中傷されながら、あれだけ不正を疑われながら、それでも大衆の前に顔を出した真才に明日香は憎悪を抱いて驚いた。
しかし、真才の不正を知っている者達はそれを許さない。
東地区のエースである遊馬環多流を中心に、真才の存在を知る観戦者たちは指をさして否定した。
お前は大会に出るべきじゃない。お前は将棋を指すにふさわしくない。
そんな想いが込められた視線が真才に向かっていくのを、明日香は嘲笑いながら見ていた。
──ピコン。
明日香のスマホに通知が届く。
通知が来るように設定してあるのは、自滅帝の呟きだけである。
新しい情報が入ったとウキウキでスマホを開いた明日香は、その呟きをみて脳天を叩き割られた。
──それは、たった一枚の写真を載せただけの呟きである。
そう、さきほど会場の中心で、渡辺真才が大勢の注目が集まる中撮った、たった一枚の確固たる証拠である。
「そ、そんな、そんな……ウソ、ウソ……っ!?」
周りが一気にざわつき始める。驚嘆と畏怖を感じさせるような、悲鳴にも似たざわめきだ。
だが、明日香が感じた衝撃はその比ではない。
──これは、自滅帝の存在が渡辺真才であると証明された瞬間である。
視界がぐらりと揺れる。脳が鈍器で殴られたかのように思考できなくなる。目の前の存在はその名を自称するわけでもなく、公言するでもなく、ただ静かに遊馬環多流と対峙する。
だが、その姿はまるで別人だった。
あの脆弱で初心者と見間違うほどの雰囲気を漂わせていた渡辺真才から、目を見ることすらできない覇気が放たれる。
正体を知った後に見るその存在は、絶対に戦ってはいけないと瞬時に分かってしまうほどの威風を纏っていた。
「あぁ、ああ……っ!?」
明日香は首を横に振りながら、一歩、また一歩と、足を後退させていく。
これは衝撃、衝撃である。天地がひっくり返るほどの衝撃を目の当たりにして、明日香はただただ嗚咽を漏らすばかり。
自滅帝の存在と渡辺真才の存在に、最も近しい情報を持っていたのはほかならぬ明日香だけだった。
だが、明日香にとってその二人は対極に位置する存在。決して交わることのない存在だ。
まさかそれが、その二人が同一人物であることなど、想像できるはずもない。
「ご、ごめんなさ、ごめ、ご……」
騒然となっている会場でその言葉を紡ぐことすらできず、明日香は唇を震わせながら後悔と絶望に苛まれる。
自分が何をしたのか。自分が何をしてしまったのか。
憧れの存在を袋叩きにして、不正をしていると大声で書き込んだ。
自滅帝は不正をしていない。不正をしていないという証明が既に完了してしまっている存在である。
そんな自滅帝を不正者だと批判し、大会に出るなと大々的に誹謗中傷をしてしまった。
「あたしが、あた……あたしのせいで……あ、あぁ……っ!?」
零れる涙と上ずった声は、想像を絶する絶望と共に押し寄せてくる。
過ぎ去った過去は取り戻せない。犯してしまった過ちは変えられない。
恐怖と絶望で頭がおかしくなりそうな明日香は、落ちたスマホを拾い上げて、謝罪の文をSNSに投下した。
そして、頬を伝って流れる涙を拭うこともなく、ただ目の前で蹂躙を引き起こそうとする自滅帝の執行を見守るだけだった。
「あ、あは、あははは……。……おわった……」
※
ざわつく会場を背に、ついに黄龍戦の県大会が開始された。
未だ何が起きているか理解していない環多流は、俺と同じ大将の席へと座る。
「チッ、なんで俺がこんな小物を相手にしなきゃならねぇんだよ……」
環多流はそう言って俺の承諾なく振り駒を行い、さっそうと先後を決めた。
「お前ら、まさか本気で俺達東地区に勝つつもりじゃねぇだろうな?」
「そのつもりだ」
「はっ!! 片腹痛い、お前らは4人しかいないんだぞ? どうやって勝つんだよ、まさか全勝でもするつもりか?」
環多流は西地区側だけ空席となった3つの椅子を眺めながらそう尋ねる。
「……4人? これは7人で行う団体戦だ。俺達は7人で戦う」
「ハハハッ!! 気でも狂ってんのか? そこの空席が見えねぇのかよ」
「お前こそよく視た方がいい。空席程度で相手がいないと勘違いするな」
「あぁ? 何言ってんだか」
俺の言葉の真意を理解できない環多流は、左側に置いてある対局時計を確認しながらいつでも勝負を始められる準備をする。
「──言っとくが、俺に不正は通用しねぇからな? 負けそうになってもトイレなんか行くんじゃねぇぞ?」
まるで俺が不正をするとばかり思っている環多流。
不正の手法なんて考えたこともない。そもそも不正をして勝ったところで、それが俺の人生のプラスになることはない。やるだけ無意味だ。
俺は深く呼吸を整え、余裕ぶっている環多流から視線を外して顔に影を落とす。
「……そうか、なら俺からもひとつ告げておく」
「あ?」
同時に会場のざわめきが一瞬だけ止まる。会場全体に緊張が走り、静寂を奏でる。
そんな中で俺は静かに視線を上げると、ただ一言こう告げた。
「──負けそうになっても、不正はするなよ?」
そう言って俺は開始の合図となる対局時計を素早く叩いた。
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3日前に★2000を目標にしていたはずだった
気づけば★2500が近づいていて、作者大混乱
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