第五十九話 水面下の知略戦
東地区、銀譱委員会の代表的な傘下支部である『銀譱道場』では、まもなく開催される黄龍戦の県大会へ向けた対策会議が行われていた。
「やはり最大の壁となるのは中央地区か」
「勝つ算段はあるのかね? 相手はあの青薔薇赤利だぞ」
「ヤツ個人に勝つ必要などない。平均的な棋力はこちらの方が上だ。勝った数で上回ればよいのだ」
煙草の煙が舞う会議室の中、高級そうなソファに座る幾多もの大人達。その会議室には、東地区を手中に収める銀譱委員会の役員らが
その中でも一番大きい椅子に座る肥えた老人は、机に置かれた資料を手に取って他地区の情報を目にする。
「北地区は相変わらず上北道場の独壇場か」
「ええ、青峰龍牙の個としての力はすさまじいものです。ここ最近の棋譜ではただの一度も劣勢に陥っていません」
「だが取るに足らん。ここは暴虐で奪える天下ではない」
そう言って肥えた老人は次の資料に目を通す。
そこには南地区の情報が書かれていた。
「ん? これは天王寺か?」
「はい、実に数年ぶりとなる地区代表です。なんでも天王寺の新しい後継者は食わせ物とかで……」
「ほう。玄水め、ようやく席を降りたか。しかしメンバーが薄いな。どれも新参者ばかりだ」
「所詮は時代遅れの風習の名残です。やはり我々の脅威となるのは中央地区だけかと」
その言葉に肥えた老人は鼻で笑う。
複数あるアマチュアタイトルの中でも異質を誇る黄龍戦。普段は個としての能力を測るために行われる個人戦とは違い、黄龍戦には団体戦が存在する。
個人戦であれば西地区の王者である天竜一輝、北地区の暴君である青峰龍牙、南地区の神童である
しかし、団体戦であれば話は別である。
個々としての棋力が突出しているせいで周りに相手がいない。競い合えるライバルがいない。それは同時に、手を組む仲間がいないことへと直結する。
東地区は個人戦の戦績が芳しくない一方で、団体戦であれば他地区を圧倒できるほどの戦績を残していた。
それは銀譱委員会による圧倒的な人材の収集である。
第十六議会とも利権争いを巡って対立できるほどの豪胆な金の力により、銀譱委員会の傘下支部は県の中でも1位2位を争うほどの支部数を誇るにまで成長を遂げていた。
そんな銀譱委員会から選ばれる精鋭たちは、皆驚異的な棋力の持ち主である。
上記のような天才たちには一歩及ばずとも、2番手や3番手に位置するほどの棋力は持ち合わせている。そんな精鋭たちが7人で徒党を組めば、どれだけ優秀なエースを抱えるチームであろうとも勝利数で圧倒できる。
それが銀譱道場の強みだった。
「──それで、西地区の資料がないようだが?」
肥えた老人は資料から顔を上げると、銀譱道場のエースを務める男へと視線を向ける。
すると、視線を向けられた男は両足を行儀悪くテーブルに乗せ、高圧的な態度で肥えた男を見た。
「西地区は潰した。もうない」
男は下卑た笑みでそう答える。
「……潰したとは?」
「言葉通りの意味だ。都合の良いはぐれ者の馬鹿を使って世論を操った。アイツらはもう県大会という舞台には上がってこれないさ」
男は煽るように笑う。
「……世論を操っただと?」
「あぁ、見れば分かる」
そう言って男は手に持っていたスマホを役員の一人に投げつけた。
「これは……!」
「なんという……」
「……ほう、これはいい」
役員たちの反応は様々だったが、男はそんな者達の反応になど興味はなく、ただ一番奥にいる肥えた老人にだけ視線を向ける。
「俺のやり方が不満か?」
「……いいや、素晴らしいぞ。ワタル」
肥えた老人もまた、男の行動を尊重した。
銀譱道場のエースにして、かの暴君と呼ばれた青峰龍牙と同期だったこともあるその男は、外道も悪事も平気でやるような最低最悪の人間だった。
周りから"ワタル"と呼ばれるその男の本名は
「さすがワタルさんだ。あとはうちが初戦で西地区と当たるようにすれば、最初の勝ち星は手に入ったも同然ですね」
「まあ、そういうことだ。まさかクジ引きも操作できないほど落ちぶれてはいないだろう?」
「無論だ。そのくらい造作もない」
まるで当然のように、悪事を遂行する前提で話す銀譱道場の役員たち。
実際、彼らが利権争いで他の道場を破門にさせたり買収したりと、銀譱委員会の組織図を大きくしていったその背後には必ず環多流の影があった。
環多流の知略は最低最悪なものだが、人を貶めるという点に関しては他の追随を許さないほどに優秀だった。
「ワタル。有象無象を潰すのも結構だが、中央地区を潰す算段はできているのか?」
「もちろんできている。というより、もう仕掛けは終わっている。アンタらはそうやってふんぞり返って茶でも飲んでればいい」
環多流のその発言に、役員たちは口角をあげて安堵する。
環多流は天性からの才で人を操ることに長けていた。どんな人間が相手でも、彼の前には全てが地に伏せる。
天竜一輝がカリスマで他人を従えるように、青薔薇赤利が実力で他人をねじ伏せるように、遊馬環多流は知略で他人を突き落とす。
将棋という狭い分野でなくとも、彼に知能で勝てる者などいなかった。
「あの、ワタルさん、ひとつ気になる点があるのですが……」
「なんだ? 言ってみろ」
会議室にいる下っ端の役員が媚びへつらった表情で近づくと、環多流に自身のスマホを見せてきた。
「先日、ネット将棋で名を馳せている"自滅帝"というアマチュアが、13日後の大会に出場するという宣言を行ったらしいのですが……その宣言から13日後は我々が参戦する黄龍戦の県大会開催日と合致します」
その発言に役員たちは眉を顰める。
自滅帝──その名は、ある程度将棋に関心がある者なら誰でも聞いたことのある名前だった。
「偶然だろう。そもそも自滅帝なんて都市伝説のようなものだ。実物をみた者すらいない。そんないるかどうかも分からない人間を警戒しても無駄だ」
「そ、そうですよね。はは……」
「はっ、そもそも自滅帝がこの県にいるわけないだろう」
周りの役員たちも鼻で笑ってその存在を否定する。
(まぁ、自滅帝が本当に黄龍戦に出てくるのだとしたら、その正体は十中八九青薔薇赤利だろうな。それならそれで計画に支障はない。むしろより鮮明になっただけだ)
環多流は万が一も想定して自分の思考の中でロジックを組み立て直す。
どんな状況下に陥っても彼の策略に穴はない。常に思い通りになっていった結果が今の環多流の存在を証明している。
しかし、そんな悪逆非道な知略でも越えられない壁があることに、この時の環多流は気づいていなかった。
※
同じ日の夕暮れ時、真才はある場所を訪れていた。
「……さて、仕上げだ」
西地区の離れた住宅街にある大きな道場。二階でワイワイと子供たちの声が響くその道場のインターホンを真才は鳴らす。
「おや、真才君じゃないか。元気にしてたかね?」
扉から顔を出したのは、県の会長こと鈴木哲郎だった。
「はい。周りから不正者扱いされてますが元気です」
「はははっ! 随分と怒り心頭なようだ。私も話半分程度は聞いているよ」
冗談半分でそう答える鈴木哲郎に、真才も話題を変えて二階を一瞥する。
「葵はちゃんとやってますか?」
「あぁ、もちろんだ。彼女、子供たちに凄く人気でね。教え方も上手いし、料理もできるし、私としては大満足だよ」
「料理までさせてるんですか……」
葵の思わぬ働きっぷりに真才は若干引きながらも感心する。
あれだけ荒れていた少女がここまで立ち直れたこと。かつては人を蹴落とそうとしていた者でも、今では人に夢を与えている。
その光景は真才にとっても嬉しいものだった。
「……それで、ここには何の用で来たのかね? まさかわざわざ葵君の様子を見に来たというわけじゃないんだろう?」
さきほどとは打って変わって真剣な面持ちでそう尋ねる鈴木哲郎。
目の前の男が何の狙いもなく自分に会いに来るはずがない。そう思う鈴木哲郎もまた、真才の真意を理解している存在の一人だった。
そんな鈴木哲郎を前に、真才はニコっと策士の表情を浮かべてその真意を口に出した。
「──そうですね。不正者らしく、不正をしにきました」
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