第六十話 信頼とは恐怖であり、力である
「うん、もうバッチリだね。負けました」
そう言って俺は三人を前に投了する。
「たはー……やっとミカドっちに勝てたっすー……」
葵が死にそうな顔で机に突っ伏した。それに続いて来崎や東城も疲労困憊した様子でぐったりしている。
「200回戦ってやっと1勝ですか……」
「しかも真才くんは戦法をトレースして戦ってるんだから、まだまだ手加減されている状態よ」
「どんだけバケモノなんすかミカドっち……こんなバケモノに勝てる人は早々いないとアオイは信じたいっす……」
人をバケモノ扱いするな。というか俺より強いのなんて数えきれないほどいるだろ、とツッコみたくなる感情を抑えて俺も一息つく。
地区大会が終わってから県大会までの約1ヵ月間、俺はこの三人に直接将棋を教え込んだ。しかも丸一日かけてずっとだ。
部活は放課後しかないのにどうやって教えるというのか? それは簡単な話だ。
──ネット将棋。つまり、将棋戦争を使う。
俺はこの三人とフレンドだ。だから離れていても直接対局することができる。
朝の登校の時間、授業が始まるまでのホームルーム、休み時間、そして学校が終わった後の自宅で寝るまで。部活以外の全ての時間を有効的に使ってひたすら対局を繰り返した。
対局が終わればSNSのグループで意見を交わし、反省点を次の課題として着々とこなしていく。そして部活の時間は有限、この時間は口頭でしか教えられない細かい部分を直していくために使っていった。
県大会まではほとんど時間が残されていない。たかが1ヵ月で何が変わるというのか。将棋の成長は研鑽に次ぐ研鑽、長い努力の果てに棋力は形成されていくものだ。
しかし、棋力を上げるだけが将棋の本質じゃない。別に実力を伸ばさなくとも、工夫次第で勝率を上げることは可能だ。
俺は三人にそれぞれの得意戦法を固定してもらって、その戦法が県大会の相手に通用するように磨きをかけていった。
やることは比較的単純だ。県大会に出場してくる全ての選手の戦法を俺がトレースして戦い、三人にはその戦法を打ち倒せるだけの対策法をマスターしてもらう。
これくらいなら1ヵ月も時間があれば十分間に合う範疇だ。
え? 県大会に出場してくる選手の戦法をどうやって知ったのかって? さぁ、誰か優しい人が教えてくれたのかもしれないね。
ともあれ経過は十分、今日にいたっては俺に土をつけられるくらいにまで成長していった。
もちろん県大会に参加してくる選手が俺より強いという可能性は十分ある。練習で俺を相手に勝ったからと言って油断はできないだろう。
だが、俺のトレースした手は基本的にAIの手を軸に考えられている。つまり、事実上の最善手だ。
それを相手に打破してきた彼女達ならば、それ以下の悪手を指してきたとしても余裕を持って対処できるだろう。
「なんかごめんね、真才くん」
「……?」
「いや、真才くんがアタシたちに教えてくれるのはすごく嬉しいんだけど、その間真才くんが何も出来ないから……」
東城が申し訳なさそうに俺の目を見つめる。
「言われてみれば……私達にずっとつきっきりでしたもんね。申し訳ないです、真才先輩」
「いやいや、全然気にすることないよ。俺なら大丈夫だから」
「そうはいってもミカドっち、あれからアオイたち以外と将棋指せてないっすよね? 将棋戦争の連勝数も100連勝から止まったままですし……」
確かに俺はここ最近、彼女達以外とはほとんど将棋を指していない。教えることばかりに夢中になって、人との対局はからっきしだ。
だが、それはあくまで人との対局はしていないだけ。俺は少し照れ臭そうに頭を指さすと、三人に微笑んでこう言った。
「普段は頭の中で指してるから大丈夫だよ」
「え」
「え?」
「へ?」
三人は一斉に固まった。
「え、何言ってるんすかミカドっち……」
「とうとう疲労が限界に……」
「私のせいです、ごめんなさい……」
いや、なんで哀れまれなきゃいけないんだよ。可哀想な目でこっちを見るな。
「ほら、プロの人がよくやってるじゃん。頭の中で棋譜を並べたり対局したりするやつ。あれだよ。できない?」
「いや、それできるのプロの中でもごく一部だけっすけど……」
「真才くん、定期的にアタシの想像を超えるのやめて」
「あ……真才先輩が遠いところに……」
二人は若干、いやかなりドン引きした表情でこちらにジト目を向けていた。そして来崎はさっきから天を見つめるな天を、その先にあるの天井のシミだから。
別に不思議なことをしているわけじゃない。何万、何十万と対局を繰り返していくうちに、自然と頭の中で将棋盤が作れるようになっただけだ。
最初は覚えた棋譜を頭の中で並べるくらいしかできなかったが、それを繰り返していくうちに自然と対局できるようになっていった。
俺は基本的に昼夜問わず起きてる間は頭の中で対局している。それに盤面はセーブできるから、彼女達に教えている以外の時間は常に頭の中で対局できる。……というかずっとしていた。
おかげでここ最近の授業の内容を全く覚えていない。
「……ま、まぁ、真才くんの腕がなまっていないのなら良かったわ」
「うん、あとは県大会に向けて各々仕上げに入るだけだから、最後まで気を抜かずにがんばろう」
俺の言葉に東城と葵が頷く。だが、来崎だけは不安そうな顔を浮かべていた。
「あの、ここまでやってきて今さら言うのも不謹慎かもしれないんですが……私たちって本当に県大会に出られるんですか?」
単刀直入にそう聞いてくる来崎。
「出られるよ、絶対に」
「でも、あの兄弟はここ最近学校にも顔を出していないようですし、武林先輩……部長も未だに帰ってきてないんですよ? 私、少しだけ心配になってきました……」
胸に手を当てながら憂わしげにそう呟く。
確かに、来崎の不安はもっともだ。なんせ先日、県大会の開催地である『ラッセル新聞社』から、俺達西地区は
厳密には、俺こと渡辺真才個人の出場停止だ。俺を抜いた6人であれば大会への出場を仮扱いで認められている。
だが、俺達はもちろん7人で参加をする予定だ。これは絶対に譲れない、譲る理由もない。
何故なら俺は、出場停止になるようなことを一切していないからだ。
それに、この事件の抑え込みには佐久間兄弟が動いている。もしかしたら武林先輩も動いてくれているかもしれない。
彼らが水面下で頑張っている以上、俺達がここで手を引くわけにはいかないんだ。
「県大会は行けるよ、必ずね。佐久間兄弟も、部長も、きっと俺達が行けるようにしてくれているはずだ」
「……どうしてそこまで信頼できるんですか? 真才先輩はまだこの部に入って間もないのに……」
「それが今回の課題だからだよ」
「え……?」
何のことか分かっていない来崎に俺は伝える。
「忘れた? 地区大会が終わった後に部長が言っていた言葉」
『県大会はこれまで以上に信頼関係がカギになる! だからオレたちはそれまでに互いの絆をより深め、一心同体となって戦うことを心掛けよう!』
「あ……」
そう、それは武林先輩が俺達に残した最後の言葉だ。来崎がこの部に顔を出すようになったきっかけでもある言葉。
「部長は俺達に強くなれなんて言わなかった。でも信頼はしろとは言ってたんだ。これから挑む県大会は、互いに信頼できる関係でなければ勝てないと」
そもそも地区大会を優勝したあの時点で、俺達の関係は表面上によるものだけだった。
葵は内心荒れていたし、隼人と俺の間には大きな溝があった。部長である武林先輩はそれを見抜いていたんだろう。
だから、県大会までには部員全員の心が一丸となるように、一心同体で戦えるようにする必要があると考えた。
そしてそれは同時に、俺達全員が互いを信頼できる関係になれと暗に伝えていたんだ。
「俺達は今、全員が集まることのできない状態だ。みんな色々な思惑があって分かれて行動している。部活に来れないほどに切羽詰まっている。でも、だからこそ信頼するんだ。顔を合わせずとも、姿が見えずとも、互いが全力を尽くして県大会に向かっていると信じて進む。それが信頼の怖さで、信頼の神髄だ」
そう、俺達は歩いている道が違うだけで方向は同じだ。そして全員、県大会で勝つという同じ目標を持っている。
それだけあれば他の理由など必要ない。人を疑うことが力ならば、人を信頼することもまた力だ。
「……真才くんって、本当に……」
東城が嬉しそうな顔で何かを紡ごうとするが、俺が視線を向けると優しく首を横に振った。
「……いえ、なんでもないわ」
何かを言いかけたのだろうか、俺にはその真意が読み取れなかった。
しかし、当の来崎は俺の言葉で納得したのか、迷いの晴れた表情で力強く頷いた。
「分かりました。県大会へ向けて全力を尽くします」
「アオイもラストスパートをかけるっす……!」
こうして俺達は、県大会へ向けた最後の仕上げに入っていくのだった。
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