第五十七話 覇道へ

 張り詰めた空気の中、葵は顔を強張らせながらもその重たい口を開いた。


「ミカドっちを罠に嵌めようとしたあの日の翌日、アオイは東城先輩に謝りにいきました。でも、あの計画は元々アオイだけで立てたものじゃなくて、ハヤトっちにも協力してもらってたものなんです」


 そう素直に告げる葵。しかし何も知らない来崎は顔色を変えて話に割って入った。


「ちょっと待ってください、真才先輩を嵌めようとしたってどういうことですか? 私その部分を知らないんですけど」


 来崎はさきほどの事もあってか、針を刺すような視線を葵に向ける。


「えっと、それは……」

「もう過ぎた話だ。それに解決もしている。来崎が気にするようなことじゃない」

「……本当に、解決したんですね?」

「あぁ、本当だ。だから話の本題を聞こう」


 俺がそう促すと、葵は少しだけ気まずそうにしながら話を続けた。


「……アオイはハヤトっちにもこの時の事情を全部話すことに決めて、お昼にハヤトっちを学校の裏庭に呼びました。その時に知ったんです。この掲示板のことを──」


 ※


「……なんの用だ?」

「その、計画のことなんだけど……」


 佐久間隼人を裏庭に呼び出した私は、気まずい表情で事情の切り出しに言い淀んでいた。


 佐久間兄弟は渡辺真才を嫌っている。この計画はその感情を利用して協力を結び付けたもの。主犯である私の方から一方的に破綻の話を持ち掛ければどうなるかは分からない。


 でも、それが償いなのだと高を括った。


「──あー、失敗したのか?」


 何も言わない私に佐久間隼人はそう返す。


「どうしてそれを……!?」


 まるでそうなると分かっていたかのような返事。そしてその結果に不満そうな顔を浮かべていない。


「いや、まさか……」


 私はその時になってようやく気が付いた。


「気づくのがおせぇよ。そうだ、俺は初めからお前に協力なんてしていない。渡辺には事前に話しておいたのさ」


 佐久間隼人の思わぬ言葉に、私は苦笑しながら肩の力を抜く。


「……そっか……意外と策士だったんだね」

「結果的にそうなっただけだ」


 あの佐久間隼人が渡辺真才に手を貸すなんて想像もできなかった。いっときの感情で他人を蹴落とすバカな男だと思っていたのに、本当にバカなのは私の方だったらしい。


 とどのつまり、私はどうあっても詰んでいた。あの場で渡辺真才を退けたとしても、その後の舞台を立てるのは佐久間隼人だ。彼があちら側についている以上は私に勝算などない。


 ──まさに、自業自得だ。


「その様子じゃ少しはまともになったみたいだな」

「……うん。全部あの人のおかげ」

「ケッ、メスの顔しやがって。敵まで懐柔するなんてほんとムカつく野郎だ。まさかあの葵玲奈まで堕としちまうなんてな」

「……ち、ちがっ、私はそんなんじゃないよ!」


 ほんのりと赤くなる顔に思わず手を当て、硬直してしまう。


 でも、この感情は恩義だ。私は彼に、渡辺真才に返せないほどの恩を受けてしまった。それをどうしていいか分からないから、私の感情は複雑に絡み合っている。


 ……でも、今はそんな感情が少しだけ心地良い。


「まぁいい、とにかく用事はそれだけか? 今こっちも手が離せない状態なんだ」

「何かやってるの?」


 私が尋ねると、佐久間隼人は口元に手を当て誰にも言うなとこちらに確認を取った後、手に持っていたスマホを私に見せてきた。


「……え?」


 そこに書かれていたのは、渡辺真才が不正をしているんじゃないかという多数の書き込みだった。詳細には、先日行われた黄龍戦でソフトなどを使った不正を行って勝利していたという文言だ。


 対局中に何度も席を外していた。対局中に不自然な手が多くみられた。チームメイトの来崎夏が負けそうになった時、席を外させて誰もいない所で次の一手を教えていたなど、あることないこと捏造されて方々で意見が交わされている。


 ──いわゆる、"炎上"というやつだった。


「な、なにこれ!!」

「しっ、静かにしろ」

「これ大丈夫なの……!? 情勢が完全に操作されてるようにしかみえないんだけど……!!」


 書き込まれたコメントの大半は何も知らない一般人だということがわかる。しかしその中に紛れた悪意、意図的に情報操作を行っている書き込みが僅かにみられる。


 この一連の流れが誰かによって意図的に仕組まれたことだというのは、渡辺真才のことを知っている私からしてみれば一発だった。


「いいか、このことは誰にも、特に本人には絶対に言うな。傷つけることになる」

「言うなって……でもこのまま放っておいたら……!」

「この件に関しては俺達が必ず対処する。だからお前は普段通り部活をしていろ」

「でも……!」


 もしこの件を渡辺真才本人に伝えれば、彼は凄く傷つくかもしれない。それは分かっている。


 でも、彼の頭の良さであればこの状況を切り返す策を見出してくれる可能性だってある。絶望的な状況からでも盤上をひっくり返す奇跡の一手を、私は身をもって体験しているのだから。


 しかし、佐久間隼人は首を横に振った。


「今この状況で一番マズいのは俺達が県大会に行けなくなることだ。これだけはなんとしても回避しなくちゃならない。だから今、俺と兄貴がなんとか手を尽くして対処に回ってる。仮にもこのことがお前らにもバレてみろ、それで大事になったら本当にマズいんだよ。……それに、これは俺らみたいな日陰者が水面下で決着をつけなきゃいけないことだ」


 まるでこれこそ自分達の役目だと言わんばかりに、佐久間隼人は頑なに意見を曲げようとはしなかった。


「だから葵玲奈、お前はできるだけ普段通りを装え。こっちのことは心配するな」

「……分かった」


 ※


「……そんなことが」


 一通り話し終えて俯く葵に、俺は顔に手を当て少し考える。


 確かに隼人の言っていることは一理ある。あいつらはあいつらで慎重に事を進めていたはずなのに、そこで俺達が動けばそれまで築いてきた戦線が瓦解する可能性があるからな。


 しかし、葵がこうして口を割ってしまった以上、各々に動く理由ができてしまった。


「黙っていてごめんなさい……」

「喋ってくれてありがとう。事情はよく分かったわ」


 葵の謝罪に、東城は優しく頷きながら答える。


 対する来崎は我慢ならないと言った様子で顔を上げた。


「……開示請求をしましょう」


 その目にはこの場にいる誰よりも怒りの感情が籠っていた。


 開示請求……犯人探しか。確かにそれは定石通りの行動かもしれない。こんなあからさまな名誉棄損、百害あって一利なしだ。さっさと犯人を見つけ出してこの汚名を返上しなければならない。


 だが、この世は理不尽だ。将棋は定跡が最善手でも、現実は定石が最善手とは限らない。何事も正当性は時間を掛けて通るものだ。


 そう、時間が掛かる──。


「いや、しない」


 俺はハッキリとそう告げた。


「どうしてですか!? このまま犯人を野放しにするつもりですか!?」

「私も警察くらいには言うべきだと思うわ。こういう問題は元凶を取り除かないと解決しない」

「誰がやったかなんて考えるだけ無意味だ。こういう工作をするような奴はそもそも足跡を残さない。仮に残しているようなマヌケだったとしたら、それこそ相手にするだけ無駄だ。そういう場合はもっと上の誰かに使い捨ての駒にされてる可能性がある。トカゲの尻尾切りをされておわりだ」


 そう、これはあまりにも歪なやり口だ。


 いくら俺に不正の称号が似合うからと言って、こんな短期間でこれだけ多くの意見を統一するのは不可能に近い。


 やっていることは仮にも捏造だ。証拠があるわけじゃない。なのに、周りの空気に流されて俺が不正をしたと思い込んでる書き込みが多すぎる。


 恐らく黒幕は誘導に慣れている者、いわばこの手の情報操作にうまいプロが先導しているのだろう。


 だというのに、やっていることの方法がつたない。これではまるで、俺に名誉棄損で訴えろと言っているようなものだ。


 これだけ単純なやり口で俺を貶める理由は何だ? それをすることで何を狙っている? 俺が正当な反撃に出ることで黒幕はどんな利益を得られる?


 どんな人間であったとしても、行動の理由には必ず動機が付随する。嫉妬や憂さ晴らしでやるにしては巧妙な手口なのに、方法が拙い。どれだけ頑張っても、俺から訴えられたら元も子もないだろう。


 だから相手はそれを理解した上でやっている。こちらが訴えることをそもそも前提とした行動に思える。


 ……そう考えれば、隼人が葵に言った言葉の意味もおのずと理解できるだろう。


「じゃあどうするって言うんですか……?」

「どうもしない。俺達はこのまま県大会に向けて部活に励む」

「正気ですか!? 今も書き込みが増えてるんですよ……!? 放っておいたらもっと酷いことになりますよ!」

「そうさせないためにあの兄弟が動いてるんだろう。なら俺達はただじっと棋力を上げることに集中するべきだ」

「ですが……!」


 俺の言葉に納得がいかない様子の来崎。そして東城もまた、納得がいかない様子で俺の提言に反論を呈した。


「……いつもなら真才くんの意見に賛成したいところだけど、今回ばかりは否定させてもらうわ。このまま放っておいても、事態が良くなるとは思えない。これは明らかな名誉棄損よ。真っ当に訴えて、真っ当に解決するのが最善の行動だと思うわ」

「違う。そこがズレてるんだよ、東城さん」

「え……?」


 俺の言葉に、東城は珍しく困惑した表情を見せた。


「仮に俺が正当な反撃に出たとしても、これをやった黒幕の口角は下がらない。それにこんな分かりやすい手法、こっちから訴えろと誘っているようなものだ」

「誘ってるとして、それに何の意味が……」

「ことを大きくしてしまえば、俺は審議に掛けられる。そしてそれは同時に、周りからグレー判定を出されるのと同じだ。……つまり、県大会への出場が取り消される可能性がある」


 そう、ここで動くのは悪手でしかない。一般人ならともかく、俺達は県大会を控えている。


 この手口の拙さが見え隠れしている部分は、紛れもない"罠"だ。


「仮にもその内容は俺が不正をしているか否かというものだ。そんな状態でこちらが事件性を出してしまえば全員が静観状態に突入する。それは今頑張って水面下で動いている佐久間兄弟の手を止めることにも直結するんだ。……そうして俺達が県大会に出れなくなったら、一体どこの誰が得するのか。考えれば一目瞭然だ」

「あ……」


 東城は何かに気づき、はっとして考え込む。


「確かこの黄龍戦は、歴代の大会の中でもトップクラスに大きな大会なんだよな?」


 俺は来崎にそう尋ねる。


「……はい。この大会は巨大なスポンサーが後ろについてます。なので優勝した場合に付く箔は他の大会の比じゃありません」

「ならなおさら黒幕の意図が読めてくる。時期もピッタリだ。明らかに県大会直前に狙いを定めている」


 少なくとも佐久間隼人はそこまで気付いていた。だからあいつは俺達に余計なことを伝えず、県大会に行くことを最優先に考えたんだ。


「だから俺達は佐久間隼人が言った通り、県大会へ向けてじっと部活に励むのが最善の行動だ」

「……王道が邪道に敵う道理はないわよ」

「なら覇道を歩めばいい」


 俺は即答でそう切り返した。


「……勘違いしないでほしいんだが、俺は泣き寝入りするだなんて一言も言ってないぞ」


 そこで初めて、俺は内に籠っていた怒りを表に出した。


 あぁ、当然だろう。これだけのことをされたんだ。それを黙って見過ごせるほど俺は聖人じゃない。


 そもそもこれは"悪意"だ。こちらに向けられた明確で残忍な"悪意"。


 直接言うならいざ知らず、不特定多数の人間を巻き込んでこれだけ人を貶めたんだ。


 それをタダで済ませるほど、俺は人間ができちゃいない。

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