第五十六話 伝わる衝撃、弾け飛ぶ怒り

 あれから10日が経過した。


 西ヶ崎高校の将棋部は今日も平常運転──というわけでもなく、部室に集まった面々は俺を含めてたったの4人だけだった。


 無論、その4人と言うのは、東城、来崎、葵、そして俺だ。ここ10日間はずっとこのメンバーで部活を行っている。


 佐久間兄弟は最初の頃に何度か顔を出していたが、その間で特に何かを喋ることもなく、ここ数日は全く顔を出さなくなった。


 部長である武林先輩は学校そのものを休んでいるのか、あれから全く音沙汰がない。ただ先日、部長の机の上に県大会への申し込み完了書が人知れず置いてあり、少なくとも俺達がこのまま県大会へ行くのだということだけは分かっていた。


 だが当然、それで東城たちの不安が解消されるわけもなく、いつまでも顔を出さない彼らに胸騒ぎのようなものを感じ取っていた。


 最初はそのうち来るだろうと思っていつも通り部活を行っていたのだが、次第に不安が募っていく。


 何らかの事情があって意図的に部活を休んでいるのではないかと心のどこかで思い始め、東城と来崎は不安を顔に出し始めていた。


 それまで感じていた違和感が少しずつ膨れ上がっていき、残された面々はついに限界を迎える。


 最初に痺れを切らしたのはやはりと言うべきか、東城だった。


「……そろそろ我慢ならないわ」


 耳にスマホを当て、先程まで武林先輩に電話を掛けていたであろう東城は、何度掛けても繋がらないことでついにその矛先を葵に向けた。


「真才くんに止められていたからずっと我慢してきたけど、もう限界。葵、アンタ何か知ってるんでしょ? どうして部長たちは部活にこないの?」

「……」


 東城の言葉に葵はバツが悪そうに黙る。


「今のアンタが悪意でものを隠しているわけじゃないことは理解しているわ。でも、アタシは隠し事が嫌いなの。県大会がもうそこまで近づいてきているって言うのに部のトップが不在だなんて話にならないわよ? アタシ達はまだチーム編成すら決めていないんだから」


 そう言い放つ東城。それに続いて、来崎も口を開く。


「それに、今の私達は完全な情報不足です。県大会で戦っていく相手の……他地区の情報が一切分かりません。一体どういう選手が大会に出るのか、得意戦法は何なのか、大将に起用してきそうなのは誰なのか。私達はその事に関して何ひとつ知りません。……こんな状況で県大会に挑んでも、悲惨な結果になるのは目に見えてます」


 二人とも、正論だった。


「……アオイは……でも……」


 しかし葵は目線を逸らすばかりで、言いづらそうな、言ってはならないような、そんな表情を浮かべていた。


 そんな葵の手を東城は優しく握って、座っている葵と同じ目線まで腰を落とす。


「ねぇ、葵。何か知っているのならアタシに教えて? きっと、言ってくれた方が助けになるから。例えそれがどんな内容でも、アタシはアンタを怒ったりしないと約束するわ」

「でも……」

「責任は全部アタシが取る。何か問題があるのなら、互いに手を取り合っていくのが仲間ってものでしょ? だから、ね? 今までみたいに自分だけで何かを抱える必要はもうないのよ」


 そんな東城の言葉に背中を押されたのか、葵は一瞬俺の方を一瞥してゆっくりと口を開いた。


「……部長のことは、アオイにもよく分からないです。……でも、ハヤトっちとカイトっちは、アオイたちを県大会に行かせるために全力を尽くすって……だから、事の対応に追われているんだと、思う……」

「事の対応……?」


 語尾がハッキリしなくなるのを見るに、葵の心境がかなり複雑なのが伝わってくる。よほど言いたくなかったんだろう。


「こ、これです……」


 そうして葵は、観念したようにスマホを見せた。


 そこには掲示板のページが映っており、多くの匿名が誰かの事について熱論しているコメントが書き込まれていた。


「……は……?」

「ちょっと、なによこれ……!?」

「……!」


 そこに書かれていたのは、俺……渡辺真才が大会中に不正を行っていたという書き込みだった。


 中でも目に付くのは大々的な掲示板のタイトル。『渡辺真才とかいう新人、大会中に不正していた模様www』という内容。


 しかもそこに寄せられたコメントは一件だけではない、数十件、数百件。いや、ここまで多くの書き込みがあるのなら既に他の場所にも広がっている可能性が高い。


 そして、それらのコメントの大多数は侮辱的な発言の内容を含んでおり、渡辺真才が不正を犯したということに対する失望の書き込みで塗れていた。


 しかも、その中に俺を擁護するコメントはほぼ無い。


「……真才くんが、不正って……」


 全員が絶句するような内容に、東城だけがそう言葉を漏らす。


 ──バンッ!!


「……!?」


 すると突然、隣にいた来崎が物凄い勢いで拳を机に叩きつけた。


 この中でも一番煽り耐性が高く、普段は物に当たるなんて到底しないような来崎が無言で台パンしたことに、俺達は全員驚いて目を見開いた。


「殺しにいきます」


 ただ一言そう言って立ち上がろうとする来崎。


「来崎……」

「落ち着け、来崎」

「嫌です」


 カバンも持たず流れるように部室を出ようとする来崎。その表情は言わずもがな、激怒の色に染まっており、本当に人を殺しそうな殺意を放っていた。


「……待て」


 そんな来崎を俺は引き留める。


「……離してください」

「何処に行くつもりだ?」

「家に帰ります」

「それで?」

「書き込んだ主犯格を見つけ出して、制裁を受けさせます」

「……そうか、だが少し待て」

「嫌です……!」

「怒りに身を任せた行動は良い結果を生まない。怒ってくれるのは嬉しいが、少し落ち着いてくれ」


 来崎は冷静な俺の言葉が癪に障ったのか、掴まれていた腕を無理やり振りほどいて激昂した。


「……落ち着けるわけないでしょう!? なんなんですかこの書き込みは! こんなっ……こんなの、名誉棄損もいいところですよ!!」

「言いたいことは分かる」

「不正!? 不正をしたって!? 真才先輩がどれだけ将棋に人生を費やしたと思ってるんですか!? あの棋力を手に入れるのにどれだけの修練を積み重ねてきたと思ってるんですか!? それを不正だなんて……信じられないっ! 冗談でも言っていいことと悪いことがある!!」


 声を荒げてそう言い続ける来崎。その目には大粒の涙が浮かんでいた。


「あぁ、そうだな。お前の言いたいことはよく分かる」

「本当に分かってるんですか!?」

「分かってるよ、自分のことなんだから。だから少し落ち着け、怒りたい気持ちは俺も一緒だ」

「ならどうしてそんな冷静で……っ!!」

「……いいから、落ち着いてくれ」


 そして、そんな来崎を宥めるように東城が後ろからそっと抱きしめた。


「アタシも同じ気持ちよ、来崎。……代わりに怒ってくれてありがとうね。だからもう大丈夫。いったん落ち着きましょう?」

「…………っ……ごめんなさい……」


 東城に頭を撫でられて落ち着きを取り戻したのか、来崎はヘナヘナとその場に座り込んだ。


 しかし、そんな東城もまた怒気を含んだ声色を発さずにはいられなかったようで、葵を怒らないという約束を守るべくなんとか自分の気持ちを抑えながら喋ろうとしていたが、それでも怒りは端々に伝わっていた。


「……それで、これはどういうことなのかしら?」

「……はい。実は──」


 その言葉に呼応して、葵の口から真実が語られようとしていた。

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