第十話 周りに実力がバレ始める初心者新人部員(九段)
人間には必ずしも後悔の一つや二つはあると思う。
あの時こうしてればよかったとか、こう言っていればよかったとか、そんなことは誰しも思うことだ。
そんな後悔という二文字を、俺は今現在進行形でしている。後悔しまくっている。
「……ぐすっ……ぇっぐ……っ……」
ぽたぽたと雫を落としながら嗚咽交じりに泣く東城。
必死に声を抑えようとしているのか、鼻水をすする音だけが聞こえてくる。
対局が始まってから30分近く経っているのもあって、そろそろ他の部員たちが到着する時間。
こーれやっちまいましたわ。
クラスメイトの、それもあの東城美香を泣かせたという大罪。底辺が頂点を泣かせたとかこれマジ?
俺の人生終わったな。
「あ、あのっ……い、言い過ぎたよね、ごめん……」
人生終了までのカウントダウンが始まる間に、少しでも刑期を和らげてもらおうと必死に慰めようとする俺。
しかし、人生大して人と関わってこなかったド陰キャに女子を慰める術など持っているはずもなく、むしろ俺の方が限界を迎えて泣きそうな面になっていた。
「……っ」
すると東城は顔を隠しながら無言で立ち上がり、そのまま何も言わずに部室から出ていった。
いやまた出ていくのかよ! せめて部活しようよ! 気まずいかもだけどさ!
ガチャン!
扉が閉まる音が部室に響く。
しかしその扉は再び開けられ、東城と入れ替わるように葵が入ってきた。
「あれ? なんか東城先輩泣いてなかったっすか?」
すれ違った時に感じた異変を振り返るように、葵は部室の中と外を交互に見回して俺に問い詰めてきた。
「もしかしてなんすけど……ミカドっち、やっちゃいました?」
「……」
「ちょっと~? 聞こえてますか~? ミカドっち~?」
別に何もやっていないのだが、否定もできない現状に俺は口を固く閉ざす。
俺が何も答えないでいると、葵は俺の方にある将棋盤を見て面白そうに笑った。
「……へぇ、東城先輩と戦ったんすか。それであの泣きよう……ふーん?」
俺と東城の戦いに何があったのかを想像で補完した葵は、俺の目の前まで来て顔を急接近させてきた。
「今この場で頼んだら、アオイのことも東城先輩と同じように泣かせてくれるっすか?」
そんなことを言って、妖艶な挑発をするように舌なめずりをする葵。
何を考えているのかさっぱり分からないが、とにかく顔が近い。
「な、何言ってるの……てか顔近いんだけど」
「んふふ~。ミカドっちってば意外と初心っすね~。まっ、冗談はおいといて、何があったんすか?」
「何がって言うか……俺もなんで急に東城が泣いたのか分からないよ。普通に対局して、普通に軽い感想戦をしただけなんだけど……」
俺も俺でそんな困惑を口にしていると、部室の扉が再び開いた。
「お疲れ諸君! さっきすれ違いざまに東城君が泣いていたのだが、何かあったのか?」
そう言って部室に入ってきたのは部長の武林先輩だった。
「あ、部長! 聞いてくださいよ~、どうやらミカドっちが東城先輩を泣かせたらしいんすよ!」
おいこらチクるな。
「ほう」
そんな俺の抗議に、武林先輩は面白いものを見つけたとばかりに目を細めた。
そして俺と東城が戦った跡があることを知ると、両手を腰に当てて聞いてきた。
「どうやら東城君と戦ったようだな! ならば渡辺君! その戦いの
「あ、はい。一応覚えてます」
棋譜と言うのは対局の歴史、ゲームで言うところのログである。
アマチュア有段者クラスになると自分が戦った一局は丸々全部覚えていることが多い。
もちろん数日経てば記憶から消えてしまうものだが、記憶力に自信がある人ならその日に戦った数局の棋譜を1ヵ月以上覚えていることも珍しくはない。
俺はついさっき東城と戦ったばかりだ。そのため両者の手は全部記憶してるし、鮮明に思い出せる。
俺は朝から続いた東城との対局の棋譜を紙に書きだし、それを武林先輩に見せた。
武林先輩はそれを受け取ると、将棋盤を用意して葵を反対側に座らせる。
そして俺の書いた棋譜を見ながら先程の俺と東城の戦いを再現し始めていった。
「……ふーむ」
「うわぁ……これはすごいっすね……」
再現している途中で思わず声を漏らす二人。
武林先輩は何やら考え込んでいる様子だが、葵の方は若干ドン引きしているようだった。
「葵君、どうやら君の判定は大きく外れてしまったようだな」
「そりゃ昨日の時点では一局しか見れなかったっすからね~。でもこれ見ればさすがに……」
「ああ」
俺と東城の棋譜を終局まで再現し終えた武林先輩はおもむろに立ち上がり、俺に向かって棋譜の書かれた紙を返した。
「ありがとう。非常に参考になった」
「い、いえ」
「ところで、これを直接本人に聞くのは些か失礼だとは思うのだが──」
いつもニコニコと気さくな雰囲気を出している武林先輩は、珍しく真剣な表情で俺を見たあと、鋭い眼光を向けて俺に聞いてきた。
「──君は、一体何者なのかね?」
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