第九話 自滅帝、常人じゃない努力を当たり前のように語ってクラスメイトを泣かせる
持ち時間が無くなり、一手30秒の秒読みに入った東城。
首の皮一枚しか繋がっていないこの状況下でも、東城は諦めずに最善手を模索している。
時間のブザーに迫られながら動かす手に余裕はなく、駒音はパチン! という軽快なものからスッ……! という擦れた音に変わっていく。
いちいち駒を盤上に打ちつける余裕が無くなってきているのだ。
「っ……」
東城は下唇を噛みながらなんとか手を見つけ出し、30秒という短い時間の中で次の一手を指す。
しかし、東城が指してから僅か3秒後には俺も次の一手を指し返す。
「くそっ……!」
思わずそんな単語が口から出てしまう東城に、俺は同情しながらも手を緩めることはない。
俺は自分の持ち時間で次の手をほとんど考えていない。なぜなら、東城が考えている時間を使って思考しているからだ。
だから俺の時間は永遠に減らないし、東城の時間だけが一方的に減っていくことになる。
これが俗にいう『時間攻め』という作戦だ。持ち時間に差が付きすぎるとこうして時間攻めを行うことができる。
そして時間攻めをされると余裕が無くなって集中力が乱れ、悪手を指してしまう危険性が高くなる。
そうやって負の連鎖が積み重なった結果が今の形勢を表していると言ってもいい。
「アタシは……また、負けるの……?」
段々と見えてくる自身の敗勢に東城の表情は真っ青になっていった。
「……」
俺はそんな東城の吐露をただ黙って受け止める。
そもそも、東城は別に弱くない。
昨日と今日でまだ2回しか戦っていないが、東城の強さは将棋部のエースを担うにふさわしい棋力を持っていると言える。
傲慢な言い方だが、俺は最初東城に手加減されていると思っていた。それくらいの差があると戦い始めた当初は思っていた。
だって東城はこれまでの戦いの中で単純な読み抜けや読み違いなど、一手もミスらしいミスを犯していない。
ほぼ完璧とも言える指し回しを繰り返していたからだ。
素の才能なら間違いなく東城の方が上。いや、この指し手の安定力は俺ですら見習うべきところがあると思うくらいだ。
さすがはクラスでも随一の天才と呼ばれるだけある。
ゆえに、東城と俺との間でついてしまっている差は『情報力』に他ならない。
最善を突き詰めた指し方に特化している俺と、古い将棋を踏襲している東城で情報に差がついてしまっている。
それが形勢を分ける決定的な差になっているんだ。
「……っ……負けました」
時間に迫られながらも自分の敗北を悟った東城は、持ち駒を盤上に投じながらその言葉を口にする。
その表情には、自分の敗北が悔しくて仕方がないといった様子が色濃く出ていた。
「ありがとうございました」
俺はそんな東城に対して礼の言葉を口にして、頭を下げる。
朝から続いた矢倉戦の激闘は、昨日と同じように俺の圧勝で幕を閉じた。
「……ねぇ、教えてよ。なんでアンタはそんなに強いの?」
東城は顔を俯かせながら、俺にそんなことを聞いてきた。
その声は震えていて今にも泣きそうで、怒りや嫉妬が込められているのが俺には分かった。
「……懐疑的な質問だ」
「え?」
俺がそんなことを言えば、東城は意味が分からないと言ったような反応をして俺の顔を見る。
そんな反応に俺は少しだけ笑いながらこう続けた。
「東城さんは自分より弱い人から同じ質問をされたら、どう返すの?」
「それは……誰よりも努力したから」
「じゃあそれが答えだ」
東城の回答に俺がそう返せば、東城は黙り込んだ。
「努力が絶対に実ると俺は自信を持って言えない。人には得意不得意の差があるし、生まれ持った才能の格差もある。努力だけが秀でていても勝利に繋がる保証はないからね。……でも、勝つためには、勝利を掴むためには、誰よりも努力をし続ける必要がある。努力しない者は努力をし続けた者に必ず追い抜かれる。努力は、努力だけは、勝つために必須の項目だ」
そんな俺の言葉を聞いた東城は、バッと顔を上げて反論した。
「じゃあ、アタシがアンタに勝てないのはなんで!? アタシは誰よりも努力をしている、してきた! 才能もそれなりにあると思ってる! ……でも、アンタには勝てないじゃない……!」
東城の怒り混じりの言葉を受けた俺は、盤の前にある駒台から自分の王将を手に取る。
長年使われてきたのか、字が擦り切れて所々欠けている。
これまでに何百、何千局も指されてきた証拠だ。
「それは単に得ている情報に差が出ているからだよ」
「情報……?」
俺は持っていた王将を元の場所に戻すと、こちらをじっと見つめる東城から視線を逸らして答えた。
「東城さんが指した矢倉囲いはよくできてると思うよ。一昔前だったら完璧な定跡手順としてお手本になったくらいだと思う。……でも、今はそんな悠長に王様を囲えるほど優しい将棋じゃない。序盤から激しい戦いが起こって、王様を囲わないのも当たり前になってきてるんだ。東城さん、このことは知ってた?」
俺の言葉を受けた東城は、悔しそうな表情を浮かべながらも静かに頷く。
恐らく小耳に挟んだ程度で知ってはいるが、それを1から学ぶほどの余裕もなければそれまでの努力を無駄にしてしまうという自身のプライドもあって、今まで見て見ぬふりをしてきたのだろう。
「なら後は簡単だ。俺は東城さんの矢倉囲いを崩す方法を知っている。だから勝った。ただそれだけだよ」
「それをどうやってしったの!?」
「AIで解析して、一手一手の最善手を調べて、それを覚えた」
「じ、じゃあ! アタシがアンタに負けたのは、矢倉を指したからってこと?」
そんな単純な結論に行きついた東城に、俺は思わず語彙が強くなった。
「……え? 舐めてる?」
「えっ?」
俺の言葉に東城はビクッと身体を跳ね上がらせる。
あまりにも甘えた結論が東城の口から出てしまったことに、俺は無性にもイラついてしまった。
「矢倉だけじゃない。
俺はこれまで負けてきた将棋を振り返りながらそう口にする。
その言葉に唖然とする東城を差し置いて、俺はそれまで何度も口にしていた結論を再度告げた。
「努力って、そういうものじゃないのか?」
負けた原因は全て自分が悪い。それが将棋というゲームだ。
だから負けた原因を解決するためにはひとつひとつを紐解いていくしかない。
どこが悪かったのか、どこから良くなるのか。どうすれば勝てるのか、どうやれば負けないのか。
もしも相手が別な手を指してきたら? もしも相手がこの手を無視したら? もしも相手が自分と同じく研究をしていたら?
可能な限りのパターンを模索し、可能な限りの対応策を考える。繰り返される疑問と終わらない答えに目をまわしながら結論まで手を伸ばしていく。
──勝つとは、努力をするとは、そういうことじゃないのだろうか?
「……ぁ、…………」
東城は言葉を失っていた。
悔しそうな表情が徐々に薄れていき、目からポロポロと大粒の涙がこぼれ始める。
気付けば東城は、泣いていた──。
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