無学な私が女装王子に秘められた才能を見出されるまで

チクチクネズミ

第1話 ゲロ吐き令嬢とゴスロリ嬢

「ナターシャ嬢今日も変わらずお綺麗で」

「ご機嫌麗しゅう」


 スカートの裾を持ち上げながら、Tの字につくった胸の谷間が相手に見えるように膝を屈める。平静な表情を見せていた彼の口元が微かにほころんでいたのが見える。今朝まで叩き込まれたお母様からのレッスンがうまくいった証だ。


 女が社交界に行くのは理想の結婚相手を見つける事。その条件は三高という、高貴・高額・高身長。その方のお眼鏡に叶うためには、女特有の武器を駆使しないとならないとお母さまから教わった。


「スタージャ領は毎回社交界に顔を出して、金に縁がありますな」

「そうですわね」

「実は、我が領土の今年の農作物はなかなかの収穫だそうで」

「素晴らしいですわね」


 会話は極力返事をせず、「さしすせそ」で答えること。収穫とか金銭の出所とか私にはわからないので、この回答の仕方はとても便利です。


「しかしそろそろ第二次産業で加工品を生産したいところ、金銭での税収を確保したいと考えておりまして。何か方法はないかと考えておりまして」

「さすがですわ」


 と答えた瞬間、足の甲を踏みつけられた。


「それでしたら、今耳よりのお話が。失礼、愚女でありますナターシャの母でございます」


 お母様が私の脚を踏んで間に入ってきました。

 お母様は横入りして以降は私が話余地はなく、ただ後ろで眺めるしかやることはありませんでした。何もすることがないと手持ち無沙汰になり、何もしないことが申し訳ないいたたまれなさに苛まれて、早く終わってほしいと願うが、その時間が何時間も経ったかのように感じた。


「このおバカ。政治の話が出たら私かお父様に振れって前に教えただろ。ほんと出来の悪い娘だよ。今夜の社交界婚約話を持ちかけないと、明日の飯はないよ。もっと体を密着させてアピールなさい」

「お母様、他の方はそのような事されてないようですが」

「ホント、学ばない子だね。みんな裏でやってるのよ。学がない娘はこれだから。ほらあっちの眼帯付けた方、中将閣下よ。禁欲生活で体を持て余しているから、近づいて香りでも嗅がせて誘惑なさい」


 お母様に背中を突き飛ばされて、中将閣下の前に躍り出てしまいました。

 でもお母様の言うとおり、私は頭がよくない。世間を知らない。だからお母様の言うことは絶対に正しい。その通りにしないと、私たちの家は繫栄しない。その使命を成し遂げないと。


「中将閣下ご機嫌麗しゅう。私ナターシャ・スタージャと申します」


 いつも通り、身をかがめて胸の谷間を中将閣下に見せつける。ですが、中将閣下の表情はいつもの殿方のとは違い、眼帯のされてない目から冷たく蔑む目が私を睨んでいた。


「お前は人の顔より自分の体を見せるのか、卑しいな」


 中将閣下はそう告げると、別のテーブルへと向かってしまわれました。

 その時、胸の奥から吐き気がこみあがってきた。同時に立ち眩みというレベルではないめまいまでも襲われた。せめて会場からでないと。脇目も振らず一目散に会場から飛び出した。痰壺か桶の中にこれを吐き出さないと。しかし探せど探せど、壺も桶も見つからない。あってもそれは調度品と分かるような高そうな壺ばかり並べられている。早く、早くと焦り、額から嫌な汗がぼたぼたこぼれ始める。

 すると、目の前に硝子張りの扉が見えた。緑生い茂る草が硝子の向こうに映っていた。もうあそこしかないと硝子戸を押し開けて、近くの茂みに隠れて吐き出した。


「げ、げげはっ。げっげぼ。ぼほっ……はーっ、はーっ」


 ドレスに吐しゃ物がつかないよう注意して、溜まっていたものを全部吐き出しました。吐き出した跡は黄色い吐しゃ物の水たまりと酸っぱい匂いが立ち込めており、匂いだけで誰かが吐いたと気づいてしまいかねない。

 これ、弁償させられるのかな。隠せばなんとか、でも露見したら一週間食事抜きでは済まされないような。


「お前、私の庭でゲロ吐いたか」


 突然ぴしゃりとした口調で背後から声をかけられた。先ほどの醜態を見られた。いや、このパーティー会場の屋敷の所有者は国王の第二夫人だったはず。最悪私のせいで家がおとりつぶしになるかも。

 こうなったら、と私はぐるんと向き直り、地面を頭に擦り付けて土下座した。


「誠に申し訳ございません。むち打ちなり嬲るなり気が済むまでご自由にしてくださいませ。なんでもいたします」


 非礼をしたときは、こうすればよい。とお父様の教えがここで役に立つときが来ました。ここまでするなんておかしな謝罪の仕方だと初めは思っていたけど、確かにこんな危機的状況の中、私の体で許されるなら有効な謝罪方法だ。


「まったく勝手侵入しておいてゲロして。今度は土下座。しかも自由になんでもとかね」


 その方は一つため息をついた後、私の横を素通りしてぼそぼそと何かをつぶやいた。するとさっきまでひどく酸っぱい匂いがしていた吐しゃ物の悪臭がしなくなっていた。恐る恐る顔を上げないよう頭を地面にこすりつけながら半周回ると、さっきまであったはずの吐しゃ物がまるで初めからなかったかのように消えてしまっていた。


「女、顔を上げろ。というか立て。私の自由にしていいのなら、命令に従え」


 命令とあればと立ち上がるとそこには、漆黒の闇を思わせるドレスに、黒と白を交互に重ねたレースとフリル、黒のショートカットの頭部の上に青い薔薇を横に乗せたカチューシャを被った少女が冷めた目つきで、けど口元は笑って私を待っていた。

 その服装は社交界では下品、悪趣味と巷で噂されているゴシックロリータファッションのはず。でもそれを指摘してはいけない、その禁忌のファッションに身を包んだ彼女はこの屋敷の人間支配者だ。


「ここは私の箱庭。一般的には庭園というべきところかもね。権謀術数謀略淫乱姦淫欲望の渦巻く屋敷の中で、私が一人休めるマイスペース。なのに胸をご開帳した淫乱ゲロ女が入るなんてね」

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