第2話 秘密の庭園の聖女

「で、こんなところに来て何か御用淫乱ゲロ女」


 淫乱ゲロ女。私の名前なんて聞くこともなく、彼女の頭の中でそれが固定化しつつある。いやいや、彼女はこの屋敷の方。我が家の名前も覚えず低俗な名で記憶されては家の名を汚したと屋敷の掃除番も追加されます。


「私はナターシャ・フォン・スタージャと申します。勝手にお庭に侵入して申し訳ございません。少し御不浄のために道を迷ってしまいまして。不始末は片づけますので、ご容赦を」

「もうとっくに片づけたからけっこうよ。というか、私の庭が便所に見えたってわけ?」


 彼女は不機嫌な顔で脚を組んで、丸テーブルに肘をつけて睨らむ。

 まずい。余計に怒らせたかも。こんな場合えーっとえーっと。この手しかないと彼女に胸部が当たるように体を寄せた。すると彼女は目線をすっと私とは逆方向に目線をそらせ。


「何しているの? まさか色仕掛けで勘弁してもらうなんて考え。バカじゃないの。私、女。女に胸寄せてどうしようっての。だいたい無理やり寄せて上げた谷間を色仕掛けとなんて虚しくないの?」


 まくしたてながら、罵詈雑言の嵐の幕で弾かれてしまった。お母様からこうすればたいていは許されると聞いていたのに。しかも、寄せて上げていることも見抜かれているだなんて。でもこれ以外に許される方法なんて私知らないし。

 もう打つ手ないならと、べたりと地面に伏せる。


「踏むなり殴りなりお好きにしてくださいませ。ご不興をお買いし、重ね重ね申し訳ございません」


 嘔吐を吐ききったから、鳩尾の五六発はもらっても出るものはもう出ないし、これ以上は汚すこともない。

 しかし、しばらくしても後頭部を踏まれるような圧がなく。代わりに鼻から温かく甘いハーブの匂いが漂ってくる。


「アホ過ぎ。ほら、このレモン水で口をゆすいで、お茶でも飲みなさい。口の中にゲロ残っているでしょ。そのままゲロの匂い持ち帰って会場に戻ったら大恥でしょ」


 ポンポンと椅子を叩いて座よう促されると、私は従ってそこに座る。

 差し出されたティーカップには透明な水に一枚のレモンの輪切りが浮かんでいた。もしかしてこれが罰? 酸っぱい過ぎて噴き出すことで許してもらうってこと?

 恐る恐るなんて気づかれたら、興ざめしてしまうからとぐいっとレモン水を口に含む。レモン水は酸っぱくもなく熱すぎず、レモンの爽やかな酸味が苦くて酸っぱい口内をきれいに洗い流してくれた。


「今茶葉を蒸しているから少しお待ちなさい」


 口に含んだレモン水を痰壺の中に吐き出して、顔を上げると、お湯が沸いたケトルとティーポットがお茶を入れていた。もちろん給仕の人もなく、彼女は手を動かさず座ってクッキーを貪っているだけ。


「あの。それって」

「魔法よ。まあしかたないよね、貴重なのを使い方しているなんて見たことないだろうし」


 魔法。それは代々受け継がれる一族の力にして、気候災害戦争など国の災いに対しての守護者にして繁栄と権力の象徴。しかし魔力を有するのは王族と一部の有力貴族だけ。それを扱えるということは間違いなく彼女は王家の人間、しかも女性は総数が希少で将来は王女か聖女になるのが確定する。私はとんでもないお方と同じテーブルに同席して、しかもその方の庭園に粗相までして。


「はい、お茶。砂糖とミルクは?」

「い、いえ。そのまま結構です」


 ティーポットから注がれたお茶を何も入れずそのまま飲む。もうこわばりが最高到達点に達して、お茶の味とか苦みとかも感じられない。


「あんた緊張しているの?」

「い。いえ。そんな。ことは。ございません」

「言葉が途切れ途切れになっている。まあしかたないか、魔法を扱えるなんて将来偉い人間になれる証だものね。淫乱ゲロ女の家を没落させることだってできるし」


 没落!

 その二言で卒倒しかけた。今まで散々家族に迷惑をかけてきたのに、こんな大失態をやらかすなんて。


「でもあんたもそのがあるのは知らないようだけど」

「え?」

「ここに入れるということは持っているはずよ。手を開いて」


 おずおずと手を差し出す。掌の上に彼女の指が円を描くようになぞられる。突如掌から手の大きさほどの淡い紫の球体が浮かび上がってきた。


「相当な魔力の力があるね。この箱庭には、相当量の魔力を持っている人間でないと入れない単純な鍵をかけておいたの。この国に私と同等の魔力を持つ人はいないと思ってたけど、世の中狭いものだね」

「そんなことがありえるのでしょうか。魔法は生まれ持った一族でないと発現しないはず。私みたいな者が」

「目の前にその証拠がいるから、あり得るとしか言う他ない。けど、このままじゃ聖女にはなれない」


 彼女は私の掌から手を離すと、指を鳴らす。

 パチン。

 音が鳴った瞬間、彼女のカップの中に入っていたお茶が一瞬で消えてしまった。するとレモン色の小さな球体が宙に浮かび上がる。


「消えたわけじゃない。お茶はこの魔法の塊の中に閉じ込めた。さっきのあんたのゲロも魔法で吸い取った。魔法はパン生地と同じ。ある程度の大きさに小分けして、形を整えて役割を持たせる。庭園の鍵も、ポットもみんなやり方は同じ」


 彼女の説明に、私はぼんやりと聞いていた。難しい話。頭が飲み込めてない。でもこれで家族のお役に立てる、ダメで無学な私がやっと家のためにできることが。

 色々聞きたいことがあるけど、まず気になったワードについて尋ねた。


「あのパン生地とはなんでしょうか?」

「パン生地が何って、小麦粉と葡萄酒を混ぜて醗酵させた、焼く前のもちっとしたものに決まっているでしょ」

「その醗酵とはなんですか」

「そこから!? あんた生まれて何年生きてるの。世間知らずの箱入り娘? 家庭教師や学校で学ばなかった?」

「私、学校には行っておりませんでして」

「はぁ? 今時かなり保守的な家ね。どこの貴族も学校には行かせているってのに」

「いえ、私の頭がよくないのが原因でして。三歳のころ姉ができた四則演算、というものができず。姉とは出来が違うんです」


 パチン! と突然魔法の玉が弾く音が庭園に響き渡り、中に入っていたお茶がテーブルに溢れ落ちる。そして宙に浮いていたポットも時間差でテーブルの上にカツンと落ちてしまった。


「あんたの家、来週もここのパーティに来るよね。というか来なさい、来たら会場から出て真っ直ぐこの庭園に来る事。私が魔法の稽古と勉学両方みっちり叩き込んであげる」

「勉学だなんて、要領が悪い私には」

「没落!」


 ビシッと目の前に指をさされ、その言葉を告げられる。お父様お母様、家の大事をこんなことで左右されるなんて申し訳ありません。

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