真昼のメリーゴーランドで君と
「……。」
──……。
メリーゴーランドはもう動かない。
木馬たちが動かなくなったことで僕の心の糸も切れた。
だけど、僕が今まで生きてきた世界は、気持ちの切り替えがすぐ出来ないと生き残れない世界だった。このまま
──……モーターが焼き切れたのかな?
「……。」
僕は小屋の操作盤と木馬たちの様子を確認し始めた。彼女はメリーゴーランドの端に座ったまま僕を目だけで追った。
──限界が近いって言ってたね。
操作盤の何をいじっても木馬たちは沈黙したままだ。
「もういいよ。もう、いいんだ……」
──配電盤を見てくれる? 僕には技術的なことは分からないし、配電盤の扉を開けたり機械を操作したりも出来ないから。
「何もしなくていいよ。何をしても、……もう、動かないよ」
彼女が打ちのめされた様子で呟く。僕への言葉だったのか、自分に言っているのか。
それでも──、僕は雑巾を手にした。
──何をしても動かないのなら……
ここでやめたら彼女の孤独の努力が全てが無駄だった気になってしまう。そんな気がした。それを見過ごす自分が、嫌だ。
──僕は、僕のやりたいようにやる。
「……。」
諦めたくない。
それから毎日、僕は出来る範囲の掃除をした。動く気配は無いけれど試運転も試す。日に日にひどくなる眠気と戦いながら、なんとか続ける。
僕の眠気は酷くなる一方だ。
気力を絞って寝床にしている馬車の中の毛布までたどり着く。掃除中に眠気に耐えられずその場で寝てしまう。そんなことも少なくなかった。
そして一日の大半は寝て過ごしてしまう。もう僕の身体は限界だ。
残暑も落ち着き大分涼しくなってきた。もう秋はすぐそこ。
──全く動かないな……。
やっぱりもう駄目なのかな。
いや、もしかしたら、電気系統の確認をすれば動く可能性はあるかもしれない。
だんだん動かなくなってきた腕を無理矢理動かして塵を払う。最近は自分の身体すらゆっくりとしか動かせない。涼しくなってきてから関節が痛い。
「……。」
彼女は相変わらずだ。
──ぁ、まただ……。
意識が奪われそうになる。それに抗う気力も体力も無くなりつつある。
僕は、独りで同じことをし続ける虚しさを感じていた。
毎日頑張って綺麗に磨いても誰にも喜ばれず、努力を続けても実る保証は無い。何も起こらない。僕は何をやっているのか……。
子供たちが楽しそうに木馬に乗っている姿を想像する。
笑顔で叫んでいる子もいれば、はにかみながら乗っている子もいるだろう。慣れるまでこわごわと木馬にしがみ付いている子もいるかもしれない。
大人でも、お年寄りでもいい。誰かが喜んで乗ってくれたら、きっと暖かな気持ちになれる。そうに違いない。
一人が好きでずっとそう過ごしてきた僕がこんなことを思うなんて。
しかし現実は──。
無人の半壊した遊園と、沈黙を続ける木馬たち。
彼女の長年の献身も、僕の頑張りも、結局は無駄だった。見当違いの努力が空回りしていただけだ。
自嘲的な思考に囚われながら意識が闇に堕ちていく。
こんな仄暗い思いを、彼女も抱えているのだろうか。
意識が浮上すると身体は柔らかいふかふかに包まれていた。
目を薄く開く。寝床の上だった。温かな毛布に包まれている。
身体が柔らかく弾力のあるものに乗っている感覚もする。初めての感触だ。
掃除の途中で意識を失った僕を彼女がまた運んでくれたのか。
──身体がいうことを聞かない
身体が、全身が重くて怠くて、関節が痛む。
「あ、起きた?」
──もう僕は限界だ。
そういえば、僕は静かに一人になれる場所を探していたんだ。
「無理しちゃ駄目だよ。まだ寝てていいよ」
──僕が出来ることは全てやったつもりだ。
もう僕に出来ることはない。今からでも、最後の気力を絞って静かで人目につかない場所に行くべきだ。
「どうしたの、そんなに鳴いて。お腹でも空いた?」
──でも……、
僕は独りの虚しさを覚えてしまったから。
頭の中が、意識が、朦朧とする。上手く物が考えられない。
満身創痍の身体をなんとか起こす。ひどく怠い。
「大丈夫?」
──……。
馬車から降りると、使っていた雑巾はすぐに見つかった。
僕はメリーゴーランドの上の砂塵を払い始める。
「無理しない方がいいよ」
僕が掃除をしてても目で追うだけだった彼女が、今日はすぐ背後をついてきた。
──……。
会話を返す余裕も無い。砂を払う動作が重くて緩慢だ。
一通り掃き掃除をしたら木馬たちを磨いてやらないと。乾拭きして、濡れ拭きして、もう一度濡れ拭きだ。水跡が残らないように丁寧に。
台座も同じ様に磨いてピカピカにしたら、もう一度彼女に電気系統の整備をしてくれる様に頼んでみよう。綺麗になった木馬たちを見たら彼女も気持ちが上向くかもしれない……。
でも、僕は何のためにこんな事をしているんだ?
仮に木馬たちが再び動いたからといって、何が変わるんだ?
僕は手を動かし続けた。
「──、────……。」
彼女の声がする。聞き取れない。
僕は再び意識が朦朧としても手を動かし続けた。つもりだ。
◇
目を覚ますと白み始めた空が目に入った。朝か。
再び目を閉じる。
全身の感触から判断するに、すっかり馴染んだメリーゴーランドの馬車のソファーに寝かされているようだ。この頃の早朝は大分涼しいが、毛布が暖かく包んでくれている。
昨晩の記憶を探る。
たしか、意識が朦朧としながらも掃き掃除をしていたはずだ。その後木馬たちを磨いてやった記憶がない。まさか、また倒れて運ばれたのか。かっこ悪いな。
木馬たちを磨いてやらないと……。いや、そんな事をして何になる。
葛藤していると、馴染んだ体温も気配も近くに無いことに気がつく。いつもなら彼女はまだ毛布に包まっている時間だ。
目を開け、重い身体を起こす。馬車から降りて見回しても、見える範囲に彼女はいなかった。
ん……?
すぐ近くの木馬がまだ薄い陽の光に照らされて、輝いている。塵や砂は一粒もついていない。
色も鮮やかだ。今まで磨いて綺麗にしていたものの、木馬の色自体は褪せていたはずだが。きっと新品の木馬はこんな感じだったのだろう。今にも動き出しそうだ。
降りた馬車を振り返ると、こちらも年季が入った黒色から艶やかに濡れた漆黒に変わっていた。手を伸ばしかけたが、汚してしまいそうで触れるのも躊躇われる。
僕は、夢でも見ているのだろうか。
メリーゴーランドの反対側から微かに音がする。ゆっくりそちらに回ると、彼女が床のモップがけをしていた。
「あ、起きた? おはよう」
──今朝は随分と早起きなんだね。
「どう? 綺麗になったでしょ」
そう言って彼女は「にっ」と笑った。
登り始めた朝日が彼女の笑顔を眩しく輝かせる。随分久しぶりに見た。
「ペンキ塗りたてだから、まだ触っちゃダメだよ」
──危なかった。さっき危うく触るところだったよ。とても綺麗になっていたからさ。
ジェットコースターの崩落以降は無気力だった彼女が、僕より早く起きて掃除して、木馬たちの塗り替えまでするなんて。どんな心境の変化だろう。
「油も差したし、あとは電気系統の確認だけだよ」
今日は僕が彼女の後ろをついていった。身体は思うよう動かず、とても緩やかな歩みだけれど。
彼女は赤と黒のコードとスティックがついた箱や大型の工具箱を小屋から持ってきた。腰には久しぶりに見る工具が収納されたウェストポーチ。そのままメリーゴーランドの中央の巨木の様な軸の中に入っていく。
中は狭いので僕は邪魔にならないようにドアの外から中を覗く。彼女が中で何をやっているかは専門的すぎて分からないが、機械をいじったり、確認したりしていた。いつもの日常点検より念入りの作業だ。かなり時間をかけている。
また眠気に襲われる。僕はそれ抗わなかった。
「全部終わったよ。試運転しようか」
──……ん。寝ちゃってたかな。
僕はドアの前に座ったまま眠っていたようだ。
工具箱や機械を手に持った彼女が機械部屋の出口に立っていた。髪は汗で顔に張り付いている。
「動いてくれればいいんだけど……」
僕は寝床にしている馬車に乗る。回転が始まると上下する木馬は酔うから。
彼女は小屋へと走って行った。
──……。
いくら待ってもメリーゴーランドは動く気配が無い。
「もう一回、配電盤を見てみる」
彼女が再び工具類を手にしながら機械の部屋へ入っていく。
その後しばらく、彼女は小屋の操作盤と機械部屋を行ったり来たりしていた。ウトウトする僕を横目に、何回も、何回も、走って往復していた。
メリーゴーランドが動く気配は微塵もしない。
夕方になって目を覚ました。彼女の気配がない。小屋にも、メリーゴーランドにもいない。
メリーゴーランドの端に立って五感を澄ます。
涼しいを通り越した冷たい秋風が、
日がさらに沈む。遠くの方に明かりを見つけた。コーヒーカップの方だ。
重い身体を這うように引きずって近づく。施設の端にある小屋から明かりが漏れていた。
小屋の前まで来ると明かりが消えた。中から彼女が出てくる。機械の部品らしきものを手にして。
「あ、起きた? 無理しちゃ駄目だよ」
彼女は工具箱を地面に置き、手にしていた機械や部品をしまい始めた。
──何してたの?
彼女が僕の視線に気づく。
「これ? コーヒーカップから部品をもらってきたんだよ。メリーゴーランドの部品の一部は劣化で駄目になってるみたいでね。それが動かない理由みたいだからさ」
彼女がコーヒーカップを振り返る。
「この子の心臓をもらった。これで、もう動かない……」
彼女の眉は下がり、瞳が潤んでいる。
観覧車の回転に巻き込まれて一部が瓦礫となったコーヒーカップ。部品を取らなくてももうダメだろう。
──こいつは、本望じゃないかな。
コーヒーカップだけじゃない。
──ジェットコースターも、観覧車も、湖の怪獣や車の兄弟たちも……。ここの遊具たちはみんな、君と過ごせて、君の役に立てて、幸せだったよ。
「…………。もう日が暮れる。寒くなる前に帰ろう」
彼女は僕に向き直り「にっ」と笑い、片手で僕を抱き上げて木馬たちへと歩く。
その夜、彼女は夜通し機械を触っていた。小屋とメリーゴーランドを何度も往復する気配がする。昨晩も木馬たちの塗り替えをしていた。寝てないのでは。
僕は暖房をつけた暖かい小屋の中の長椅子で毛布に
彼女は何度も機械をいじっては操作盤を操作している。木馬たちは一切反応が無い。
目を開けていることすら酷く疲れる僕は気配だけでそれを察する。
それにしてもなぜ急に彼女はやる気になったのか。考えようとして、やめた。頭を使うことすら辛い。
秋風が小屋を吹き上げる。その冷えた風は僕のところまでは届かない。
◇
「今度は行けそう!」
──……ん?
目を覚ますと外は明るかった。日ののぼり具合からもうすぐ正午だろう。暖房の効いた小屋の中は快適だった。
「動く、動くよ! たぶん」
──たぶんか。それはいい。
「乗るよね? 試運転、乗るよね?」
興奮した彼女に僕はうなずく。
立ち上がろうと足を伸ばそうとするが……、
「おっと。気をつけないと」
僕はうまく立てずによろけた。彼女の腕にすくい取られそのまま胸に抱かれる。温かい。そのまま目を閉じる。
彼女がそのまま操作盤を触る気配がする。か細い気の抜けた音楽が鳴り始めた。
空気が変わり、外に出たのを感じる。薄く目を開けるとメリーゴーランドが光っていた。けれど回転はしていない。
──……ダメだったか。
僕は目を閉じた。
「良かった。なんとか動いたね」
もう一度目を開けて、閉じる。
──……動いてないじゃないか。
「どこに乗ろうか。君は酔いやすいから木馬はやめておこうね。でも馬車の中は外が見えづらいし……」
気の抜けた音が僕たちに近づく。軽くふわりとした感覚がした。
柔らかく弾力のある感触に身を任せる。頭を撫でられる。心地よい。
目を開ける。
馬車のステップの上に、僕を抱えた彼女が座っているのだろう。視線の高さからそう察する。これなら酔わないし、動く景色も楽しめる。
動く景色?
僕はメリーゴーランドが回転していることに気づいた。
ゆっくり。とてもゆっくり。本来の速さよりかなり遅い。太陽が空を這う様な遅さだ。すぐ止まるんじゃないか。
……あぁ。こいつも、僕も、同じだな。
まだ真昼なのに。眠い。とても。ねむい。
「また明日も、一緒に乗ろうね」
そうだ。明日こそ。彼女の名前を聞かないと。
僕は最期の力を振り絞って返事をする。
「ニャー……」
うまく声が出せたか。よく分からない。
彼女が真っ黒な僕の頭と身体を撫でる。優しい感触がする。
意識が落ちていく。
君と僕を乗せた回転木馬は回る。
ゆっくり。ゆっくり。
真昼のメリーゴーランドで君と yuzu @yuzu_noveler
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