献身2

 翌朝、空が白み始めた早朝に起きた。

 あたりが明るくなると彼女も目を覚ます。彼女の目元は赤く腫れぼったい。

 僕は小屋の中を勝手に物色して腹を満たした。食欲がなさそうな彼女も、ビスケットを差し出すとかじっていた。


 「……。」


 その後の彼女は昨日と変わらず、憔悴しきったまま動く気配もない。

 太陽が高く昇りきっても、辺りが暗くなっても、メリーゴーランドの台座の端に座ったままだった。ただ、僕がビスケットを差し出したときだけ、それをゆっくりと口にする。


──メリーゴーランドの整備はいいの?


「……。」


──せめて、掃除だけでも?


「……。」


 呼びかけても反応はない。


 僕が知る限り、彼女が今までメリーゴーランドの掃除と日常点検を欠かした日は無かった。こんなことは初めてだった。

 心配だけど、ジェットコースターの崩壊に大きなショックを受けている彼女に無理強いすることもない。




 そのまま数日が過ぎた。


 彼女は僕が差し出したビスケットとペットボトルの麦茶をかろうじて口にするが、それ以外は虚ろな目でぼーっとしている。夜は二人で馬車の中でタオルケットに包まり眠った。

 彼女はこのまま衰弱死してしまわないだろうか……。掃除も整備もされないメリーゴーランドには砂や塵が溜まり始めている。

 そろそろ僕の残り時間も少ない。最近は一日の半分以上は眠っている気がする。とはいえ、この様子の彼女をひとりおいて出ていくわけにもいかない。また「にっ」と笑ってほしい。


 どうしたらいいのか。


 息を吐き出して僕は小屋へ向かう。掃除用具を物色し、雑巾を濡らして絞る。彼女のようにしっかりとは絞れないが、まあいいだろう。

 乾いた雑巾と濡らして絞った雑巾をもってメリーゴーランドに移動する。まずは乾いた雑巾で砂や塵を払っていく。上の方から徐々に下の方へ。これはなかなか大変だ。腰にくる。


 砂や塵を一通り払ったら、濡れた雑巾で拭き上げていく。濡れ拭きしたら水跡が残らないように乾いた雑巾で乾拭きだ。木馬の軸、木馬、馬車、メリーゴーランドの台座と、これも上から下へ。

 背が高くない僕には辛いし、時間もすごくかかる。手も腕も痛くなってきた。


 掃除だけでもうクタクタだ。途中で眠気に勝てなかったのもあり、朝から始めたのにもう正午をたっぷり過ぎている。

 彼女はひとりでずっとこれをやってきたのか。一体どれくらいの期間をひとりで整備してきたのだろう。遊園はいつから無人なのか。


 彼女が整備していたときは、メリーゴーランドの中央にある巨木の幹のように太い軸についた扉を開けて、電気系統の確認も毎日していた。小屋の中にしまっているクリップとコードが繋がれた機械で何かを測っていた。

 僕にはそこまでの知識はないし、機械の部屋への扉も開けられない。


 彼女の様子を確認する。馬車のステップに座って呆然としている。


──動かすよ。気をつけて。


 試運転だ。


「……。」


 一応声をかけて小屋に向かう。相変わらず反応は無い。

 僕がこの木馬たちを動かしたことは、もちろん無い。初めてだ。彼女が小屋の機械を操作して動かすのは良く見ていたので、操作法は分かる。たぶん。


 小屋の中の機械に電源が入っていることを確認する。

 操作盤のボタンを押し、木馬たちがゆっくり回り始めたのを見て彼らに向かって駆ける。回転速度が上がりきる前にメリーゴーランドに駆け乗る。馬車のステップに座る彼女の横に腰を下ろす。


 「……。」


 彼女は俯いたまま、自分が回り始めたことに気づいていない。


──……。


 僕も言葉を忘れた。


 メリーゴーランドは徐々に速度を上げ、今は標準の速さで回っている。

 掃除だけで疲れ切っていた僕は自然と微睡まどろんでいた。初秋の匂いを含んだ晩夏の風が頬を撫でていく。眠気に抗う気は全く起きなかった。




 どのくらい寝ていたのか。


 目を覚まして周囲を確認する。

 メリーゴーランドは回っていた。

 そうだ。僕が見様見真似みようみまねで作動させたのだった。


 彼女の様子を見やる。


「……。」


 彼女は顔をあげて、回るメリーゴーランドから風景を見ていた。


 しばらくすると僕の視線に気づいた。


「君が回したの?」


──勝手に動かして悪かったよ。


「掃除もしてくれたんだね。綺麗にしてくれてありがとう」


 嘘だ。下手くそなりに時間をかけて丁寧にやったつもりだけど、彼女が掃除するほどには綺麗にはなっていない。拭きそこねた砂や塵も多い。


──気分はどう?


「……。」


 彼女は答えず再び視線を回る風景に戻した。その口元はほんのりと柔らかい。

 僕はそれに満足して再び微睡まどろもうとした。


「そろそろ止めないと。長時間回しすぎるとモーターに負荷がかかり過ぎちゃうんだ。機械を休ませて冷やさないと」


──え! そうなの?


 辺りは黄昏色に染まりつつあった。何時間動かしてたのだろう。メリーゴーランドへの負荷も考えずに無責任に寝ていたのが申し訳なくなる。


「気にしないで。この子ももう長くないし、回路やモーターが焼き切れるのも時間の問題だったから」


 焦った僕を見て、彼女が「にっ」と笑った……気がした。実際は、悲しそうにほんのりと口元を柔らかくしただけだった。

 彼女は、彼女の様子を計りかねていた僕を置いてひらりとメリーゴーランドから降りて、回転を止めた。


「……動かなくなるまで回し続けても良かったんだけどさ」


 小屋から出てきた彼女がつぶやく。視線はまた虚ろだ。



 ◇



「もう、いいんだよ。そんなことしなくても」


 翌朝。

 僕が塵を雑巾で払い始めると、彼女が声をかけてきた。


 昨日の長時間の試運転で彼女の元気を取り戻しかけたかと思ったが、そうではなかった。あいかわらず無気力だった。以前の様に掃除し始める様子もなく、食も細い。

 僕は彼女が動く気配がないことを悟って、昼過ぎになって掃除を始めた。


──よくない。僕はやる。


 回転する木馬たちに、彼女に見捨てられたと思われたくない。長年の彼女の遊具への献身を無下むげにしたくない。

 自分でもこの気持ちを説明できない。けど、このままメリーゴーランドが朽ちていくのは見たくなかった。掃除と試運転しか出来ないけど、僕の身体がもつうちは続ける。


「メリーゴーランドも近いうちに動かなくなるよ。分かるんだ。付き合い長いからね」


 僕から雑巾が取り上げられる。近くに置いていた予備の雑巾も回収された。


「……だから、無駄なことしなくていいよ。乗ってくれる人ももういないしね」


 取り上げられた雑巾が小屋に仕舞われていく。


──乗る人はいる! 僕が……、僕と、君が、乗るじゃないか!


 声を荒げてしまった。それに対する彼女の反応は無い。


──僕一人でもやるぞ。


 僕は仕舞われた雑巾を再び取り出し、掃除に戻る。

 意地だった。何故意地になるのか、どこから来た意地なのかは分からなかった。


「……。」


 彼女は無言で僕を見守った。その後は雑巾をまた取り上げられることはなかった。


 それから3日程、僕から話しかけることはなく彼女からの話題も無かった。彼女はぼーっと僕が掃除と試運転するのを眺めていた。

 僕は試運転中には寝ないよう努めて、ちゃんとメリーゴーランドが作動することが確認できたらすぐに止めた。

 そして夜は一緒の毛布に包まって、馬車のソファーで眠った。

 



 それは、僕がメリーゴーランドの回りを掃除していたときに起こった。


 季節の変わり目が近いせいか、最近は葉がよく落ちている。僕は周囲に散らばったそれを雑巾で集めていた。

 彼女は「そんなことしなくても、いいんだよ」と言いながら僕の様子を見ていた。道端でまた眠りこけるのを心配しているのかもしれない。

 その時は、メリーゴーランドから少し離れた南側の葉を集めていた。


──……なんの音だ?


 遠くの方で微かに鈍い金属音がなった……気がした。異音だ。

 気のせいかもしれない。だが、この前のジェットコースターの件もある。僕は掃除の手を止めて周りを警戒する。


「どうしたの?」


 急に動きを止めて聞き耳を立てながら辺りを見回し始めた僕を、彼女は不思議そうに見つめる。彼女には異音が聞こえてないのかもしれない。


──……嫌な予感がする。気をつけて。


 僕の気のせいかもしれないけど、警戒するに越したことはない。取り越し苦労ならそれでいい。

 それに、僕の直感はあたる。


ごおおおあああぁん!


 遠くで轟音が鳴り響いた。音がした方向を探るけど、遊園を囲む山々に反響して音の方向が聞き定められなかった。


──気をつけろ!! 何かが起こってる!

「なにっ!? なんの音」


 僕と彼女が同時に叫ぶ。どこだ。どこが安全なんだ。どこに逃げればいい!?

 僕はいいけど彼女だけは何とか逃さないと。


ごごごこご……


 轟音が再び鳴り響く。音は止まらない。響き続ける。

 五感を全て駆使して方向を探る。


──観覧車の方だ! お店通りの方から音がする!


 音は遠い。ここは取りあえず安全だろう。もし何かあれば音とは逆の方に、東の方へ、遊園の外側に向かって逃げればいい。


 その時。

 聞き慣れた音が鳴り始めた。緊張感のないこの場にそぐわない音。


「……動いてる?」


 振り返ると回転木馬たちが回っていた。僕と彼女はメリーゴーランドからは離れている。小屋の操作盤の前には誰もいない。故障か?


 二人でメリーゴーランドまで走って戻る。

 轟音がまだ鳴り響いている。だんだん音が大きくなる。轟音の元が近づいている!?


 観覧車の方向を確認する。そのサイズがおかしい。ここから見える観覧車はあんなに大きく無かった。さらに大きくなっていく。おおきく……。


 観覧車が大きくなっていく……?


 目を凝らすと軸が回転している。


 ……観覧車が転がって来る!!


 はずみがついたのか回転速度が徐々に早くなる。すぐ近くまで迫っている。


──馬車の中にもぐれ! 早く!


 全速力で彼女の作業着の裾を引き回転するメリーゴーランドに飛び乗り馬車の中に引きずり込んだ。姿勢を低くさせ彼女に覆いかぶさる。同時になぜかメリーゴーランドの回転が速くなる。


 ごごごこご!!!!!


 轟音がすぐ背後から聞こえる。背中に悪寒が走る。息ができない。

 耳がおかしくなりそうだ。両手で彼女の耳を塞ぐ。


 ……ごごごこご!!!!!


 轟音は遠ざかっていった。


  ……ごごごこご…………どおお、ん……。


 一際大きい何かが倒れるような音が遠くでして、音は止んだ。

 辺りは静寂に包まれる。詰めていた息を吐き出し荒い息を整える。


 身体に衝撃は感じていない。僕も彼女も怪我はしていないはずだ。

 起き上がり顔を上げる。メリーゴーランドの回転は止まっていた。音楽も鳴っていない。

 

「な、何が……」


 彼女も起き上がる。二人で馬車を降りた。南側で僕たちを乗せたメリーゴーランドは、北側で止まっていた。

 南側に回り、観覧車が転がったあたりを見る。僕がついさっきまで掃除していたあたりだ。

 

 そこには。


 転がっていった観覧車の跡がはっきり残り、なぎ倒された樹木や何かの破片が散乱していた。

 観覧車が転がっていった先を確かめると、遠くの里山のふもとで観覧車が倒れていた。通り道にあったモノを全てなぎ倒しながら大回転し、山裾にあたって倒れたことが想像できた。


「……。」


──……。


 もし逃げ遅れてたら、危なかった。


 もし轟音と反対側へ、遊園の外側に逃げていたら転がる観覧車に押し潰されていただろう。

 メリーゴーランドが誤作動してくれて、彼女がメリーゴーランドへ走ってくれて、命拾いした。


「あ……、あぁ……」


──……。


 言葉がない。観覧車が転がってくるなんて、考えもしない。想像もしない。

 軸はかなり錆び付いていたし部材も大分劣化していたから、軸が外れたのか。


 観覧車があった方向、お店通りの方を見ると新しい道ができていた。ここから観覧車の間にあったばずのモノが全てなぎ倒されて出来た道が。

 巨大な車輪が転がった跡。なぎ倒され破壊された園内の樹木。まばらに散らばった原型の分からない破片。コーヒーカップの遊具も南側の一部が削り取られ瓦礫と化していた。


 僕たちは、そのまましばらく呆然と立ち尽くしていた。




 それを境にメリーゴーランドは動かなくなった。


 木馬たちに外傷はなかった。


 けれどその日以降、回転することも、緊張感のない音楽を奏でることもなくなった。

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