第2話 瘴《ショウ》の章


「ふぅ──」


 釜滝山かまたきやまの麓。二股に分かれた道の手前、一人の男が電子タバコの紫煙をくゆらせている。彼の名前は奥戸雪人おくどゆきひと。色素の薄い長い髪に白い肌、華奢な体は女性を思わせる。二股に分かれた道の左、急な坂道を登った先、この地の大地主である奥戸家おくどけの次男坊である。ただ大地主と言っても奥戸家が所有するのは忌み地である奥森──地蔵山。


 どういった経緯で奥戸家が奥森を所有するに至ったかは定かでは無い。だがいつの頃からか奥戸家は奥森からの穢れを断絶するとしての役割を担っていた。今現在、奥戸家には家長である奥戸幸之介おくどこうのすけとその妻、奥戸紗雪おくどさゆき。雪人の兄である奥戸幸一おくどこういちが住んでいる。


 祖父である奥戸幸之進おくどこうのしんと祖母、奥戸志乃おくどしのは雪人がまだ幼い時分に亡くなっていた。兎にも角にもこの奥戸家、この辺り一帯では恐れられ特別視されている。雪人が紫煙をくゆらせている二股の道、左に行った先は奥戸家なのだが、言ってしまえば。むしろこの二股の分岐点から先は奥戸家なのだ。


「久しぶりに来たけど……」


 雪人が声に出しながら奥森──地蔵山の方を見、「……狂ってるよなぁ」と呟く。二股に分かれた道の右、地蔵山へと続く獣道けものみちを見やれば数多あまたの──


 ──地蔵


 地蔵が道なりにつらなり、かといってそれは規則的な連なりではない。なんと表現すればいいのだろうか、とにかくここは──


 狂っている。


 地蔵の連なりに規則性は見いだせず、倒れた地蔵や薮の中に放り投げられた地蔵。首のない地蔵や憤怒の表情の地蔵も散見され、獣道けものみちから見やる地蔵山への道程は構図すら──


 狂っている。


「なんで代々こんな狂ったことしてるんだか……」


 雪人が電子タバコのスティックをデバイスから抜き取り、携帯灰皿へ吸い殻を捩じ込む。もはや火を使わなくなった電子タバコであるのに、皿とはどういった了見かと心に問いながら、ずしゃりと地蔵山へと至る獣道けものみちに足を踏み出す。


 雪人も呟いたようにこの獣道けものみちうごめく地蔵の群れは、奥戸家によるものだ。いったいいつから奥戸家がこの地に根ざしたかは分からないが、代々奥戸家は猟師と石工いしく職人、二足の草鞋わらじで生計を立てている。


(空気が重い……。こっちにいる時はなんだかんだ雰囲気が怖くて入ったことはなかったけど……)


 重い。


 地蔵ひしめく獣道けものみちに足を踏み入れた雪人に纏わりつく、じっとりとした空気。季節は春先。爽やかな風が心地よい時分なはずであるが、雪人の体からは汗が滲む。奥戸家へと向かう急な坂道とは違い、こちらの獣道けものみちはしばらく平坦な道のはずなのだが……、息が切れ、汗が吹き出す。


(六年ぶり……か。約束の時間までまだあるしな……。鷹臣たかおみもまだ到着しないみたいだし……、ちょっと散策するか)


 雪人がこの地を訪れるのは六年ぶりである。六年前、雪人は高校を卒業するとともに、勘当も同然に奥戸家を追い出された。実は雪人は母、紗雪さゆきの連れ子である。それによって父、幸之介こうのすけと、兄、幸一こういちに悪感情を持たれていたことは感じていた。だが勘当されるほどのをした覚えは無い。無いのだが──


 卒業の一年前、高校二年時から母の態度まで変わっていた。まるでに取り憑かれたように雪人を責め立て──


 だが思い返してみれば、あの勘当劇は仕組まれたことのようにも思える。何故ならば、母の態度の急変と時を同じくして雪人の前に現れた親戚、佐伯敏文さえきとしふみの存在がそう思わせる。佐伯敏文は雪人の母である紗雪の兄、つまり伯父ということになるのだが、、一度も会ったことは無かった。いや、出会うまではそもそも存在を知りもしなかった。


 それまで雪人は奥戸幸之介を実の父だと思って過ごしていたのだ。そこへ降って湧いたような連れ子という事実。さらには母の態度まで急変し……。


 多感な時期でもあった雪人は高校卒業とともに、訳も分からず伯父である佐伯敏文を頼って東京へ出た。


 そこで出会ったのが佐伯鷹臣さえきたかおみ。今回奥戸家への久々の帰郷に同行することとなった従兄いとこである。この鷹臣、女癖が悪い上に少々クセが強く、気になったことは放っておけない質なのだが──


 その鷹臣が常々言っていたのだ。と。それこそ一連の出来事で傷心だった雪人は、そんな言葉を無遠慮に投げかけてくる鷹臣を毛嫌いし、当初ほとんど相手にしなかった。


 だがある時、鷹臣が言った「実は奥戸家や奥森のことを色々と調べているんだけれど……、君は追い出されたと思っているが、それは違うかもしれないよ」という言葉。もちろん雪人は「どういう意味だ?」と問い返す。それに対して鷹臣は「僕もはっきりしたことは分からない。何せ父が何も教えてくれないからね。だけど一度だけ父と叔母、つまり君の母だね。紗雪さゆきさんとの電話で話す内容を聞いたことがあるんだ。紗雪さんがなんて言っていたのかはもちろん聞こえなかったけれど、父はこう言ったんだ──」


 なんでお前まで関わってしまったんだ。もう全て話してしまってはどうだ。それが出来ないならせめてお前も逃げて──


 これを聞いた雪人も、もしかすれば、と考えるようになった。


 では何故逃がしたのか──


 何から逃がしたのか──


 が母をそうさせたのか──


 伯父に聞いてもその件に関しては口を噤み、答えは分からない。だが母がから自分を逃がそうとしたならば、母は今でもそのと共にいるということになる。もし仮に母がに囚われているのだとしたら──


 助け出したい。


 その後、何度となく母に接触しようとはしたが父と兄がそれを阻み、六年もの時間が過ぎていた。


(だけどなんだってまた急に会ってくれるなんて……。もう一人友人を連れてきてもいいっていうのもそうだし……いい鹿肉を用意しとくって上機嫌だったのも訳が分からない……)


 そんな没交渉から六年。事態は急に動くこととなった。兄、幸一から連絡が入ったのだ。兄は電話口で「父が雪人に会いたがっている」と言ってきた。もちろん雪人も馬鹿ではない。そんなことがあるはずはないと思ったが、ここで受け入れなければ母の状況は変わらない。


(俺一人だと心細かったけど、鷹臣が来てくれることになって助かったな……)


 カサリ。


(……にしても本当にここは気味が──)


 カサカサ。


 カサリ。


 いつの間にか獣道けものみちの入口が見えなくなる場所まで足を踏み入れていた雪人の耳に、人が薮を歩いているかのような音が聞こえる。ハッとした雪人が辺りを見渡すが、こんな場所に誰かが居ようはずがない。


「はは……、何を怖がってるんだよ俺は……」


 恐怖心を紛らわすように雪人が声に出して呟く。が、一度芽生えた恐怖心はなかなか消えてはくれない。それどころかじわりじわりと雪人の心を侵食し、あの言葉が脳裏をぎる。


 曰く──奥森には鬼女が住む


 曰く──奥森では子が消える


 曰く──奥森では血が溢れる


 曰く──奥森こそ地獄である


 ──と。


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