忌女の纒はる穢れ森

鋏池 穏美

第1話 忌《キ》の章


 鬱蒼うっそうと生い茂る木々に、蜿蜒えんえんと這うように続く獣道けものみち。陽の光は濃密に折り重なり合う木々の葉に遮られ、昼でもなお仄暗い。


 魔処ましょとして恐れられ、多くの曰くを内包した地蔵山じぞうやま。擦れる木々の葉がざわざわと、そこかしこから忌むべきモノが囁いているかのようにざわざわと、人が近付くことを拒んでいるかのような忌み山。


 各地に忌み地とされる場所は様々とあるのだろうが、ここ東北地方の奥地にある地蔵山は少々特殊である。それこそどの忌み地であれ、その地が醸し出す雰囲気がと主張している。もちろん地蔵山が醸す雰囲気も忌み地のではあるが、では何が特殊なのか。


 それはずるずると大蛇が這い回ったかのような獣道けものみち、そこかしこにのだ。


 地蔵山。

 それは八峰からなる外輪山に囲まれた盆地であり、外界から途絶された地。外輪山は釜滝山かまたきやま大針山だいしんざん小針山しょうしんざん北元山きたもとやま蓬風山ほうふうざん剣山つるぎやま地倉山ちくらやま鶏首山とりくびやまからなる。


 八峰に囲まれた中心となる地蔵山は通称であり、本来の地名は奥森おくもりと呼ばれている。


 この奥森、起源は江戸時代、寛永かんえいまで遡るだろうか。いや、もはやその時点でこの地は忌み地であり忌み山。穢れの起源など


 曰く──奥森には鬼女が住む


 曰く──奥森では子が消える


 曰く──奥森では血が溢れる


 曰く──奥森こそ地獄である


 そのような曰く付き纏う奥森に、江戸時代初期に起こった飢饉、寛永かんえい大飢饉だいききんから逃れてきた人々が住み着くこととなる。


 奥森に、とは言ったが、住み着いたのは奥森へと続く獣道けものみち釜滝山かまたきやまの麓にである。


 幸いなことに奥森を囲む八峰の外輪山は手付かずの自然が豊かであり、豊富な山菜に鹿や猪、兎や熊などの生きる為の糧には事欠かない。そのうえ奥森から流れ出る河川、鬼女川おにめがわによって水源も確保されている。土壌もよく、作物を育てることにも適していた。


 だがそこはやはり忌み地。飢饉ききんから逃れてきた者たちが住み着くまでは、近寄るものなどはなかった忌み山。奥森を構成する外輪山で採れる山菜も、住まう獣や流れ出る水でさえけがれているとされ、およそ人が住むような場所ではないとされていた。


 住むとしたならば、それは悪鬼羅刹あっきらせつの類。人ならざるものが跋扈ばっこする、この世とあの世の境、現世の地獄。


 だが現代になってようやくこの忌み地に一つの解釈がなされている。


 それは口減らしであり、姥捨てであり、子殺し。おそらくこの地方に住まうものたちが連綿と行ってきたとが残滓ざんし。古代から現代に至るまで姥捨ての実態については、はっきりしたことは分かっていない。それこそ姥捨山などの伝承はあるが、明確にと言えるほどのものでは無い。


 だが子殺しに関しては別である。文献などを読み漁ってみれば、子殺しや間引きが盛んに行われたのは江戸時代。その当時も労働力減少を恐れて堕胎や間引きを禁じたこともあるにはあるが、それによって罰されるということも特になく、そのため間引きの風習は明治まで続いていたと言われている。


 つまりこの地は口減らしのための姥捨てや子殺しが盛んに行われ、それ故に誰も住み着くことなくとなった──という解釈である。


 だが先でも触れたが、穢れの起源など


 果たして穢れが先か咎が先か──


 こののちに繰り広げられる奥戸家おくどけによる一連の出来事が、業深き人間の咎と人ならざるものがもたらす穢れを炙り出す。


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