第74話 取り戻したもの

 島民たちはカインの言葉に、僅かに迷いが生じた様だった。だが、しばらくすると再び、怨嗟の声が上がった。

「刺し殺せ!」

「首を落とせ!」

 怒号が響き渡る中で、ベニーは何も言わなかった。喉から出かかった言葉を堪えるような、耐え忍ぶ表情をしていた。


 そのとき立ち尽くすベニーの傍らから、藤色の髪の女性が走り、飛び出て、島民たちのなかへ走った。

「お母さん!」

 女性は、島民の中にいた年老いた女性に抱き着いた。両者の顔はよく似ている。こちらから飛び出て行った女性はベニーの母だった。ベニーの母の母親……つまり祖母は、寿命が四十年程度しかないなか、奇跡的に生き延びていたのだ。


 それを見た島民たちは驚き、怒号が止まる。ベニーは一歩前へ歩み出て、声を張り上げた。


「僕は、ラフェトゥラ人の母のもとに生まれた混血人です。大陸で奴隷として捕まっていた時、カインに命を救われました。彼は、三年前の戦争で戦い、この世界を我がものにしていた人々を斃しました。彼が戦わなければ、皆さんも奴らに〈魂〉を支配され、連れ去られていたでしょう。……母も、もう祖母に会う事は出来なかった」

 話が及ぶにつれ、島民たちの間に、徐々に動揺が広がっていく。ベニーは、カインの人間性には触れず、彼が行った事実だけを話そうと努めた。ベニー自身が何を言ったところで、大事なのはラフェトゥラ人達がどう考えるか、それだけだからだ。


「金眼」

 ベニーや島民たちの声を遮り、首長の男がカインに呼び掛ける。すると、場に広がっていたどよめきが収まった。カインは胡坐をかいたままで、首長に向けて顔を上げた。


「……お前が死ねなかった理由とは、何だ?」

 首長は静かに尋ねた。カインは僅かに目を見開いたが、視線を落とすと、淡々と答えた。

「……親友に、娘を護ってほしいと頼まれた。彼女は命を狙われていて……俺以外にそれが出来る人間が居なかった。だから、各地を旅しながらその子を護っていた」

「……」

 カインが答えると、島民たちの間に静寂が落ちた。首長の男は、はあ、と大きく嘆息してから、カインの目の前で同じように胡坐をかいた。

「……金眼の剣士。我らは同胞を、その命を惨く奪われた哀しみを忘れられない。家族を喪った者も居る。お前が命を弄んだこと、それは間違いない」

 カインは、返事の代わりに、地に落としていた視線を持ち上げて首長を見た。


「だが、それは我らも同じだ。お前達の土地を踏み荒らし、大切な家族を奪い、殺した。生きる為と言えば聞こえはいいが、結局は殺し合ってしまったのだ。……だから、我らの間にあるわだかまりは、消えはしない」

 そこまで言うと、首長はカインの置いた剣を拾い上げた。様子を見ていたベニーは一瞬焦ったが、首長は剣は抜かず、鞘ごとカインに返すように差し出した。


「お前は、その娘からすれば家族なのだろう。我らは……涙と血を越えるべきではないか。家族の奪い合いは、もう必要ない。そうだろう」

 首長の男が言った言葉に、カインは驚いたように息を呑んだ。迷いはありながら、肯定の意を込めて、差し出された剣を受け取る。周囲に立ち尽くす島民たちの中には涙する者もいたが、武器を向ける者はもう居なかった。






 カインとベニー達が本島の港に戻ると、見覚えのある人影が、仁王立ちで彼らを待っていた。ベニーは一目見て『げっ』と声を出した。


「カイン!」

「……」

 こちらの姿を認めてすぐに、クリスティがカインを呼んだ。クリスティは帝国からどのようにしてか、カイン達が戻ってくるまでに大陸東の港町に移動し、待ち構えていたらしい。カインにとっては覚悟していた事ではあったので、大人しく彼女のもとへ向かう。その姿をも、クリスティは口を「へ」の字に曲げたまま、睨み付けていた。


「何してきたの? どうせ、好きなだけ俺を斬れとか、言ってたんでしょう」

「……悪い」

「どうして私を置いていったの? 私を護る為に一緒に居てくれるんじゃなかったの。父さんと約束したんでしょ」

「もう俺が護る必要はないだろう。お前は一人でも生きていける」

 カインがそう答えると、クリスティはこれでもか、と盛大な溜息をついた。


「カイン! 勝手に決めないでよ。私の気持ちはどうなの。私は、と思っているのに。もうとっくに家族でしょ、私達! ……お互いに、大事な人たちを喪ったんだから、もう無くす必要、ないじゃない」

 クリスティは話すうち、次第に怒りから哀しみへ、感情が移り変わっていった。カインはその顔をじっと見つめた後、視線を落とし、もう一度彼女へと向けた。


「すまなかった。……もう勝手に死にに行くことはしない」

「当たり前だよ! あと、死なないだけじゃなくて、勝手にどっか行かないでよ!」

 真剣に謝罪したつもりが、クリスティからは半分笑うようにして、再び怒られた。カインは予想外の反応をもらって、目が丸くなったが、すぐに力が抜けたようにして笑いが零れる。


「じゃあ、帰ろ。カイン」

「ああ……」

 クリスティが手を差し伸べながら笑いかけると、カインも穏やかに笑って応え、手を取った。





 数百年後。大陸から、赤い〝雨〟は消え去った。





 ─終─

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レ・ユエ・ユアン 伊藤沃雪 @yousetsu

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