第50話 雨の故郷、ノア
狭い通路の中、壁から天井に至るまで様々な機器が張り巡らされている。何のための機械なのかは、わからない。歩くたび、硬質な音が響く。〝隔世の隧道〟でも似たような材質の床だったが、同じ造りだろうか。
「イブを発見した学者の男は、イブ側のレ・ユエ・ユアンから〈魂〉を持ち帰ろうとしましたが、それは叶わなかった。〈魂〉はそのまま別世界に移動させようとしても、手元から再びレ・ユエ・ユアンに戻ってしまう性質があったのです。また、イブで〈魂〉を変質させ、リウとして持ち帰ることも出来なかった。彼はノアに帰り、様々な方法を検討しました。結果として採られたのは、ノアに広がったままの〝雨〟をイブ側に流し、現地の人々に浄化してもらうこと。そしてノア人たちは〝雨〟の無くなった世界に目覚めて再度、リウ文明のない生活をやり直すこと……」
コルヴァの声が、数名がどうにか通れるであろう程度の狭い通路に、ぼんやりと反響する。明かりの無い通路ではあるが、何かの計測を続けているらしき機械の目盛りが、時折ちかちか光っていた。
「今から一〇〇〇年前、ノアで生き残っていた人々は、仮死状態で永い眠りに着きました。学者の男は、予定通り〝雨〟を隔世の隧道からイブに流し込みました。自身は少しの日を開けてから、数名の従者と、《神剣》と名付けた浄化装置を持ってイブに降り立ち、こう言ったんです。【選ばれし
コルヴァが口にしたのは、聖ユリアスの信者はもちろん、イブの住人なら誰でも知っている、降臨の日の啓示だ。
「ユリアスの啓示……まさか、ノアの学者の男とは……」
「そう。〝雨〟を生み出した学者は、聖ユリアスと呼ばれる、神の遣いとしてやって来た。神剣を各地に散らばらせて、効率よく浄化を進めさせたのです。神剣と呼ばれる浄化装置は、自らから半径十メイル圏内に居る、リウ化効率の良い人間の魂を無作為に抽出する。そして選ばれた印と痛みを与えて、浄化を全うさせる。それが、〈剣の巫女〉。〈剣の巫女〉に選ばれないがリウ化する事は出来る、通常の魂が〈神子〉です」
カインとクリスティは、言葉を失った。〝雨〟を生み出し、その浄化方法までも発明した学者、ユリアス。イブに一〇〇〇年前に現れて、〝雨〟から人々を救った、聖ユリアスと同一人物だった。ユリアスが授けた神剣の正体は、持ち主の〈魂〉をリウとして使用する、〝雨〟の浄化装置。
〈魂〉の無くなってしまったノア人たちは一〇〇〇年間、仮死状態で眠り、〝雨〟が浄化される時を待っている。イブという世界全てを、〝雨〟の浄化の為に使っている。イブの人々はそうと知らされないまま、〈剣の巫女〉、〈神子〉という人々の〈魂〉を犠牲に、浄化を続けてきたのだ。
黙って話を聞いていたクリスティが、ぴた、と立ち止まると、カイン達も立ち止まった。下を向いたまま、肩を震わせている。
「……じゃあ、私達。ノアの人たちが生み出した兵器を、浄化する……ため、だけに……」
声が震えている。〈剣の神子〉の半ばで命を落としたユジェや、その為に滅びたアルマス。生きる為に命と欠片を使ってきた。この世の仕組みをあえなく受け入れて生きてきたクリスティにとって、この真実は如何ほどに残酷であっただろうか。
「そう。ノアの人々は、イブという世界全体を〝雨〟の浄化装置にしてしまった。〈剣の巫女〉、神子は、彼らに作られたその為の仕組みだったという訳です」
クリスティは、そのコルヴァの淡々とした言い様に激昂した。泣きながらコルヴァに詰め寄り、叫んだ。
「その言い方は何! 人の気持ちが分からないの? モノじゃないのよ、私たちは‼」
クリスティの怒りように、カインは驚いて目を丸くしていた。泣きも笑いもしなかったこの子が、これだけ感情を露わにする姿は、見たことが無い。それだけ、神子として生きてきたクリスティには、耐えがたいものがあったのだろう。クリスティの言葉は、意図していないにしろ、カイン自身の心にも刺さった。〝人の気持ちが分からない〟のは、殺人鬼という罪深い一面を持つ、自分も同じだ。
すると、コルヴァは少しだけ申し訳なさそうにしながら、ぼそりと喋り出した。
「……僕は人間じゃないんですよ。心臓だけで生まれ、それ以外の全てを機械で補っているサイ……いや、機械体です。ですので、確かに〈魂〉は宿っていますが、感情を司る脳神経ですら、製作者の命令系統に従ったものです。僕の語る記憶もまた、ノアの人々の記憶を保管した内容を書きだしただけ。現状では人の感情は、分からないと思います。申し訳ないですが」
謝罪が含まれているとはいえ、至極冷徹に言い切ると、コルヴァはまたさっさと歩き出してしまう。怒りの収まらないクリスティの肩に、カインが手を置いて宥める。彼女自身も大きく息を吐きだして、落ち着こうと努めている様子だった。
「心ってどこに在るんでしょうね。我々の世界の技術でも、それだけは解明出来なかったんですよ。僕も知りたいです」
悠然と歩きながら、コルヴァはそう言った。
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