第49話 隔世の隧道
──白い男・コルヴァが語る内容は、とても過去の史実とは思えない、寓話のようだった。それでも、ひとつ明確な心当たりがあった。
「天候兵器って、もしかして……」
「ええ。どこかで聞いた事のあるような話ですよねぇ。何の事なのかなあ」
思わずクリスティの口からついて出た言葉を拾い上げて、コルヴァは笑った。視線は聖地に絶え間なく振り続ける、〝雨〟に向けられている。
「僕も、この命の終わりの時代に、ぎりぎり生まれたんです。心臓だけ、の姿でね。そんな状態で生まれる人間は珍しかったようで、結果として今の役目を追わされる羽目になってしまった訳ですが」
コルヴァがそう話し終えた時、周囲の〝雨〟がぴたりと晴れ止んだ。否、止んだのではない。辺りの様子が丸きり変わって、別の場所に来たかのようだった。淡く生温かな黄白色に染められた、明るい空間だった。そこに、球型をした光の塊がいくつか、ふわふわと浮いている。カインはおおよそ現実離れした光景に愕然とし、クリスティの方はわあっと驚喜の声を上げた。
「ここはレ・ユエ・ユアンでは〝
色味のせいもあって夢見心地のする空間だが、先ほどの話にあったように、〈魂〉と呼ばれた丸い光は、余り数が多くない。カインは改めて周りを見渡すが、いま目の前にあるだけでも、せいぜい数十くらいの数だろうか。
「俄かには信じがたいがな……。あの光の塊が、俺たちの身体に宿っているという事なのか?」
ふわふわと浮遊する光を見ながら、カインが聞いた。
「そうですね。元々、普通の生物に〈魂〉は知覚出来ません。我々の知らぬ間に身体の中心に在って、死んだらこの空間に戻って来る。それが〈魂〉です。カインさんにも、クリスティさんにも。身体の中心を担う心臓を器として、〈魂〉が宿っています」
コルヴァの声が、この不可思議な世界のなかに薄く響いた。カインは眉間に皺を寄せ、〈魂〉だという光を睨み付けている。
〝隔世の隧道〟の中で足を運ぶと、土でない、つるつるして固い材質の床から、きゅっという音が鳴った。明るさに包まれた通路を、三人は黙りこくって歩き続けた。
「……滅びゆく中で、例の学者の男は、ある仮説を立てました。この空間はもともと知覚出来ていなかったのだから、これまでの物事の原理とは、違う空間なのではないか。リウが発見されたこの場所なら、何か別の手立てがあるのではないかと。要するに、もっと〈魂〉が滞留している箇所があるのではないか、修復機関が存在するのではないか、といった仮説ですね。その探索のために、彼はこの大きな隧道を掘らせました。物理の存在しない空間に物理をもたらす、などという土台無理な事象を行うためにはリウが必要ですので、その当時の多数の市民の命を犠牲にして、事業は行われました。結果的に、確かに解決策はあった。
別の世界を見つける。カインは察するところがあり、先頭を行くコルヴァの背に視線を向けた。まるで動きを見ていたかのように、コルヴァは丁度良く振り返ってから頷いた。
「それが【イブ】。我々の世界の、古き始まりの女神の名を冠した、貴方がたの世界の呼び名です」
【イブ】。今の住人たちは自分たちが住む大陸以外を知らないために──あまり呼ばれない、古い呼び名だ。カインは少しだけ時間をおいてから、呑み込むようにゆっくりと瞬いた。
「確かに、そう呼ばれていた。とても古い……大陸に〝雨〟が降る前の呼び名だと聞いたことがある」
「ああ、そうでしたね。今はあの地が【イブ】という名であった事さえ、忘れられつつある。よくご存じでしたね」
「ああ。……古い家系の生まれでな」
「なるほど。……と、そろそろ見えてきましたね」
カインとコルヴァの間でやり取りをしているうち、周囲の様子がまたもがらりと変わった。
先ほどまでの御伽噺のような空間は消え失せ、今度は薄暗い、陰鬱な光景が広がった。人の気配はないが、建物の残骸らしきものが見える。強い風が足元から吹き上げた。地表なのだが、土ではない。灰色の固い物体、その上に立って居るようだった。遠くを見れば、灰色の地は地平線の手前で途切れている。まるで、大地の一部分だけが空の上に浮いているようだ。
「コルヴァ、これは……? 浮いているのか?」
たまらず、カインは尋ねた。
「浮いて……いるとも言えますが、厳密には違います。我々の世界では、人々が何年も争い続けて、大地を汚染し尽くしました。結果、地表に住むことが出来なくなり、地表を覆うように建てた建造物の上に増築を繰り返して生活していました。リウが発見されてからはその力を利用し、上層部分は実際に浮いた状態を保つようになりました。空も同じく、あのように汚染物質で覆われています」
コルヴァはそう言って、空を指差した。濁った色の薄雲が覆っていて、陽の光があまり射していない。灰色の地より下方を眺めれば、コルヴァの言う通り、建築物が遥か下まで続いて見えた。ごうごう、と冷えた風が鳴り響くだけの、廃墟。
「哀しいところでしょう? ここは【ノア】。我々の、世界です」
コルヴァは苦笑まじりに言った。薄情で、飄々とした口調ではあったが、その言葉に人形じみた振る舞いからは離れたものを感じ、カインは押し黙った。
「……進みましょうか。この建物内で、あなた方にお見せしたいものがあるのです」
コルヴァがそう言って指し示した正面の建物。灰色の地の横幅を埋め尽くす、無骨な建物が建っていた。外観が
相変わらずどのような意図でカイン達を連れ回すのか、それについては明かさないコルヴァ。だが、全てが真実でないとしても、ここが別の世界である──それは間違いない。
不安そうにカインを見上げたクリスティの目線とぶつかった。カインは手を繋いでやり、コルヴァの後に続いて建物内へ入った。
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