第47話 宿命

 エルムサリエ帝国、アイギス宮区内。


 数月前に大砂漠でカイン達と別れたマキナ達は、帝国に帰還していた。皇族のみに居住が許されている、アイギス宮区の自室。マキナは帝国に帰るといつもそうしているように、机に向かっていた。

 普段の軽薄さからはかけ離れた真剣な顔つきで、時折筆を走らせながら、帝国保管の史書と地図、文書などを並べて見比べていた。


「もう時間がない。ドゥリンダナで九つめ。後は私に出来る限りの……」

 ぶつぶつと何か呟きながら、マキナは思考の海に沈んでいる。蠟燭の火だけがゆらめく部屋、薄暗い闇がマキナを包み込んでいる。だから背後から近づく影には、しばらく気付かなかった。


「……っ!」

 ぞわり、と悪寒を感じて、マキナは弾かれたように立ち上がる。がらん、と木製の椅子が倒れる音だけが鈍く響いた。


 視線の先に現れたのは、見知った顔だった。金髪で青い瞳。手首や首に付けられた金の装飾品。従者を任せている、ロウだ。


「なんだ、ロウか。驚かせないでよ」

 マキナはほっと胸をなでおろした。ロウは、穏やかな笑みを湛えたまま、静かに見つめ返してくる。普段ならば、すぐに軽快な冗談を返してくるところだ。マキナは何かに気づいたように、ロウの瞳をじいっと覗き込んだ。マキナはそのまま、ロウの全身を観察した後、合点がいったように深く頷く。


「そう、やっぱりか。今、なんだね」


 ロウはこれまで見せた事のない、憐れみの籠った笑みを見せた。そして、ようやく声を発した。


「いつから気付いていたのです? まさか、この青年が貴方に出会う前から、ですか?」

「それはない。でも、知ってるでしょ。私は感覚が鋭いから。ふと、ロウじゃない奴が居るなって分かる時があった。そんな事が出来て、私の傍に居る必要がある人は、あまり思い浮かばないから」

 マキナは、肩をすくめつつ困ったように笑った。ロウは、ほお、と年寄りじみた感嘆の仕草を見せる。蠟燭の頼りない灯が互いの姿を時々は照らし出すが、ほとんどが夜に重く覆われている。


「案外待ってくれるね。もう少し片付けてからでもいい?」

「多少は構いませんが、立場上証拠は残せませんので、消す事にはなってしまいますよ」

「ああ、そうだよねえ……」

 マキナは散らばっている資料を多少纏めたものの、背中から投げかけられたロウの返答を聞くと、諦めたように手を離した。


「……じゃあ、一言だけ、にいいかな。聞こえてる?」

「ええ。聞こえていますよ」

 ロウはにこやかに答えながら、腰に提げている短剣を抜いた。感触を確かめるように手の中で数回くるりと回してから、ゆっくりと握りこむ。マキナはそれを承知していて、寧ろ、待っているようだった。ロウが確認するような所作を終えると、マキナに向かって頷く。


「ロウ、君は悪くないよ。だから、死のうとしないで。カインとクリスティを頼んだよ」


 言い終わったマキナの表情は満足した、という穏やかなものだった。ロウは口元の端だけは笑っていても、目元は至極哀しそうに歪められていた。そして短剣は、躊躇いなく振るわれた。








 思いがけない状況とは、まさにこの事だろう。

 永遠に〝雨〟の降るという聖地レ・ユエ・ユアンを前にして、《神子殺し》コルヴァと、カイン達は並び立っていた。学術都市コラーダを発ってから、真っすぐ最短距離でレ・ユエ・ユアンに向かってきた彼らは、いよいよ聖地の〝雨〟の中へ侵入すべく、その行く先を見つめていた。


 コルヴァは世界を危機に貶める張本人であり、ユジェの仇。ディルを〝黒鬼士〟へと変貌させた元凶ともいえる。それでさえ許しがたいというのに、兵士の命を盾にここまで連れて来られてしまった。カインは怒りを滲ませていたが、コルヴァの方は、相変わらず気にする様子はない。


 クリスティが、手首の装飾物を弄る。普段は肌から離している手首の欠片を操作し、自らの肌に触れさせる。すると、彼女を中心とした力場が発生して、〈剣の神子〉と同じように半円状に光が広がった。


「うん。綺麗な光ですね。流石、我々の誇った技術を受け継いでいるだけある」

 コルヴァは、観光しているような呑気な口調でそう言った。カインは腹立たしく感じたが、発言自体には疑念を持った。〝我々の誇った技術〟という点だ。


「気になりますか? この先、道のりが長いですから。順々にお話ししていきますよ」

 カインの頭の中を見透かしたように、コルヴァがうすら寒い笑みを見せてくる。舌打ちをしてやりたい気分だったが、いちいち怒っていては付き合いきれない。いったんは頭の中で、無かった事として扱われた。


「それでは僕について来てください。内部は〝雨〟が降っていて暗いですから、足元に気を付けて」

 コルヴァが先頭を歩いていき、カインとクリスティが後に付いていく。


 〝雨〟で湿った土が跳ね、びちゃ、という音が鳴る。辺り一面、ただ〝雨〟が降るだけの何もない地。聖地という呼び名には似つかわしくない寂れた空間。基本的に乾いた地表で暮らしているカイン達は、土の重さに眉根を寄せる。


「コルヴァ。お前は何を知っている? 俺たちをここへ連れてきた理由は何なんだ」

 憂さ晴らしも兼ねて、カインが口火を切った。

「早速ですか。まあ、当然の疑問でしょうね。そうですね……」

 コルヴァはこちらに背を向けたまま、考え込む様子で首を傾げている。こうも背を空けていれば、何時でも斬り伏せられるのでは、とすら思えてくる。だが実際は大陸中の街と国を襲い、恐らくはただ一人だけで、滅ぼして来た張本人だ。油断はできない。


「では、まずは昔話をしましょうか。こういう時、決まり文句が……思い出した。昔々、あるところに……」

 子供への読み聞かせのような語り口で、コルヴァは話し出した。勿論この態度も気に食わなかったが、いったん堪えることにして、その話に耳を傾けた。

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