第38話 過去の記憶:名を棄てた日

 皆が口を閉ざすと、ざく、ざくという砂利を踏み歩くような音が聞こえてきた。坑道の入口側から、何者かが近づいてくる。人が居る事に気づいていないのか、無粋にも聞こえる粗い音。


 これはしたり、と鉱夫たちが見合って笑いながら頷き合う。坑道からは空間が開けていて見えないので、壁に沿って身を隠し、武器を握りしめた。メアリの眼前に屈んで居た青年だけは、なぜか腑に落ちないような様子で、その場で立ち上がって剣を構えた。

 足音からは全く恐れる様子が感じられない。松明を持っているのか、坑道の奥から灯りの炎が揺れたのが見えた。もう数歩で殴りかかれる距離。こちらに気付かれない間に、と鉱夫や住民が襲い掛かる心積もりをしている。


 ざくり、ざくり。音は手の届くほどの距離。坑道から松明を持った人物の頭が出た、というその瞬間に、鉱夫たちは思い切り武器を振るった。しかし、そのどれもが空を斬ってしまい、彼らは体勢を崩してしまう。目算が外れ、鉱夫たちが狼狽えていた。松明の炎も、坑道内から消えた。


「あいつは? どこへ……」


 誰かがそう言った直後、ざぱ、という小気味良い音とともに、誰かの首が転がった。悲鳴が上がると、また他の誰かの首が落ちた。続けざまに、身体を正面から斜めに向かって斬りつけられた死体が倒れた。


 薄闇に、返り血で徐々に姿が浮かび上がるのは、騎士らしき鎧を着た男──レオの姿だった。


 武器を持って報復しようと襲い掛かった者は、斬り殺された。逃げ出す者もいたが、レオはただ一人も逃さず、殺した。背中からずぶりと剣で串刺しにすると、身体の方を蹴り飛ばして、剣を抜きつつ露払いを済ませる。傭兵のふたりは戦いが混迷していたために、状況を見極めようとしていたが、時間が経てば経つほど地獄絵図が広がっていった。

 何せレオは、既に殺した相手の死体すらも斬り刻んで、笑っていたのだから。まるで血しぶきの中で舞うように、彼は人の身体を刻んでいった。


「化け物め……」


 傭兵の一人が苦々しく呟いて、剣を抜く。先ほどメアリの傍に居た青年の方は、ちらり、とメアリの方を振り向いたが、すぐに背を向けてレオの方へと向いた。何を言おうとしたかも分からないまま、彼らはレオへ挑んでいく。


「レ、レオ……やめて……」

 メアリは、レオに恐怖していた。いつも自身を護ってくれている中で、レオが敵に恐れられているのは見ていたが、ここまで苛烈な殺し方をしていた訳ではなかった。傭兵の二人もまた、すぐにその命を散らした。そして死体の山の中で、笑顔を浮かべるレオがこちらを見た瞬間、メアリは気を失った。







 メアリが目を覚ました時、そこは洞窟ではなくなっていた。貧民窟の一角、小さな診察所の寝台のうえで、彼女は気が付いた。近くに医師らしき人物がいるのが見えるが、まだ身体が重くてうまく起き上がれない。メアリは、誰かを呼ぼうとして声を出そうとした。だが、それは叶わなかった。

「──……!」

 声を出そうとしたが、何故か声が出ない。洞窟に居る時は話す事が出来たのに、今はどうしても声が出せなかった。


「ん? ああ、気が付いたかい。傷は無かったみたいだけど、何か……」

 医師らしき男性は、こちらに近付いて声を掛けてきた。そして、メアリが何か言おうとしても言えずにいる姿を見て、その異常を感じ取ったようだ。


「どうした、気が付いたのか?」

 そこへ、メアリの視界に入る形で、ひょっこりとレオが顔を出した。メアリは、洞窟での出来事を思い出して悲鳴を上げそうになったが、その声すらも出なかった。


「……何か喋ろうとしているみたいだけど、これは、声が……?」

 男性が首を捻る姿を、レオは何も言わずじっと見つめている。このレオの姿に、メアリは恐怖以上に、何故か違和感のようなものを感じた。普段のレオならもっと、様子を聞こうとこの男性を急かすような気がした。


「彼女が廃坑に誘拐されて、その実行犯たちと戦ったと言ってたね。もしかすると、心因性の失声症かもしれない。心に受けた負担が大きすぎて、声が出なくなってしまうんだ。」

「……そうか……」

 男性が告げた内容に、レオは妙に納得した様子でそう言った。なぜ?メアリはそう聞きたくても、何も言う事は出来なかった。


「ゆっくり休むといい」と言って男性が席を外したところで、レオがメアリの居る寝台に近付いてきた。レオは落ち着き払ったような、虚ろな表情でこちらを見た。


「メアリ、ごめんな……。オレのせいなんだ。運んでいる間、メアリはずっとうわ言みたいに『笑わないで』と言っていた。メアリの前であんなに殺してしまったから、戦い終わった後に安心させようとお前に笑顔で声を掛けたんだけど、その時に気を失って……。きっと、お前には良くなかったんだろう?」

 メアリは驚いて目を見開いた。恐らくレオは、殺しながら笑っていた事ではなく、気遣って笑ってくれた事が、この症状のきっかけになった、と思っているらしい。


「そのうわ言も、運んでいる間に、徐々に喉が詰まったみたいにして小さくなっていった。それで、何か詰まらせたのかと思ったけど、お前は同じ言葉を口だけ動いて繰り返していたから……。もしかして、って」

 私が恐怖を感じたのは、それじゃない。そう思っても、今は伝える術がない。レオは青白い顔をしていた。自分はどのくらい眠っていたのだろう、とメアリは思った。


「……前にも言ったけど、やっぱり、どこかの街に隠れて暮らさないか? 名前や見た目を変えれば、まだ生き延びられると思う。欠片でお前の命を使いながら逃げるなんて、無理がある。……オレと一緒は嫌だとは思うけど、あいつらとの約束、果たしてやりたいからさ」

 らしくもなく、か細い声でそう言った。だが、メアリは首を横に振る。故郷を滅ぼされたという事実から逃げるようで嫌だった。追手から逃げている間、アルマスを滅ぼした人間を許せない、どうして滅ぼされたのかを突き止めたい、二人はそうやって励まし合っていた。

 街中でなく貧民窟に隠れていても、このミスティルテのように売られる危険もある。何より故郷や、云われもないのに追われる現実から目を背ける事になる。それはレオにも分かっていた。


「本当にそれでいいのか? 今回よりもっと怖い事も、絶対ある。それでも?」

 もう一度レオが問うが、メアリはただもう一度、こくりと頷いた。

「……分かった」

 レオは、額を抱えながら、はあ、と長い溜息をついた。


「まず、。本名で呼び合うのは危険すぎる。後は、欠片は普段は肌から離しておいてほしい。それと……オレはお前がうわ言で言っていた通り、笑わない様にする。殺しは、身を護るためには避けられないかもしれないが。……それなら、何とか旅を続けられるか?」

 メアリは、こくこくと頷いた。彼が言った内容には概ね賛成だったし、意図は違えど避けてくれるならば有難いと思った。

「よし。じゃあ一緒に、いつか時間がかかってもアルマスに戻ろうな」

 レオがそう言って、メアリは肯定を現すために、いっそう大きく頷いた。


 この日の約束は、ふたりにとっての心の支えだった。以降、レオとメアリは、『カイン』と『クリスティ』という偽名を名乗り、追手を逃れながらも真実を探って各地を巡ってきた。

一つメアリにとって予想外だったのは、レオが本当に全く笑わなくなってしまった事だ。殺しも避けようとしてくれたが、盗賊や《首喰い》と戦う機会が多く、どうしても殺さねばならない事はあって、その都度レオがあの時の片鱗を見せていた。

 メアリは、彼の本来の人格を閉じ込めてしまった罪悪感と、彼がなったら止める為に、自分も武器を持って戦うようになった。

 三年間にわたって彼らが続けてきたのは、そんな戦いの繰り返しと小さな前進の日々だった。

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