第36話 決別

「なっ……」

 カインは、普段見せないほどにはっきりと動揺していた。そして頭に血が上った様子で、叫んだ。


「この野郎! 自分が何言ってんのか……分かってるのか‼」

 カインは剣を流派に倣って構える間もなく、勢いのままディルに斬りかかった。ディルは大剣を操ってそれを受け止め、剣がぶつかる音が鳴った。


「か、カイン! やめて!」

 クリスティは先ほどまで彼の傍らに立っていたが、予想外の事態に反応が出来ず、取り残された格好となった。だが彼女が叫んでもカインは聞かず、ディルへと剣を振るい続ける。


「お前も辛い目に遭っただろうが、どうして……! 何も便りを寄越さなかった? クリスティが、彼女がどんな気持ちで生き延びてきたか分からないのか! お前の娘だろう!」

「……」

「それを、敵だと? 俺はっ……お前達の遺したものだからと必死に……ユジェの……!」

 うまく言葉にもできないままで、怒りの赴くままに幾度も剣を振るうカイン。ディルは沈黙したままで、斬撃をすべて受け止めている。先ほどコルヴァとの対峙で扱っていた、特殊な力による物だろうか。しびれを切らしたのか、ディルが大剣を下から強く振り上げた。カインの剣は、衝撃で弾かれて手を離れた。くるくると宙を回り、ざく、という音を立てて、地面に突き立った。


「変わらんな。レオ。気付いているのか? お前は……今、笑顔だ」

 ディルはこれ以上ない程、憐れみを込めた目線を落として、静かに告げた。


「っ……⁉」

 疲労で肩を上下させていたカインは、その言葉に息を呑んだ。剣を奪われ空いた両手で、自分の顔に触れる。唇の端が伸びて、頬あたりまで上がっている事が感触でわかる。あまりの悍ましさに、吸った息が吐けなくなって、ひゅ、という音がした。


「お前はラフェトゥラでも、恐らくそれ以降でも、感情のまま戦えば笑顔で人を殺し、斬り刻んでいた。事実、殺人鬼だ。俺は昔からそんなお前が恐ろしかった……」

 カインに語りかけながら、ディルは振り上げた大剣をゆっくり降ろした。辺りは、〝雨〟の音だけが響いている。


「俺はユジェを愛していたが、お前もユジェを好いているとも、彼女に結婚を申し込んだ。殺人鬼に、愛する者を渡す訳にはいかないからな」

 ディルが言うそれは、余りに残酷な事実だった。投げ捨てるようにした言葉は、カインにとっては力を失う程のものだった。今まで親友と信じていて、愛してすらいた者の、嘘。彼らは本当は、自分を忌避していた。


 カインは、耐えられず膝を折り、ぐしゃりと地面に崩れ落ちた。そんな彼にクリスティが駆けよって寄り添う。彼女もまた、泣いていた。


「……だが、今の俺もお前と同じだ。目的のために手段を選ばん。アルマスやニル=ミヨルで俺が何をしたか、教えてやろうか」

 ディルはふたりに構わず、彼らの頭上から淡々と話し続ける。

「お前たちがコラーダに居た、三年前のあの日。アルマスに奴が……コルヴァが現れた。ユジェと騎士達、町中の神子たちが殺されたよ。俺も奴の力に屈して倒れた。〝雨〟の浄化が出来なくなって全てが溶かされ、ユジェの最期も……苦しそうな顔が溶けていくのを見ていた。俺も死を覚悟したが、その時、コラーダの神子である、オラドが現れた。俺は絶対にコルヴァを殺さなければならないと、奴がユジェにしたように、オラドを刺してその

「……」

 カインは言葉を返す気力がなかったが、ドゥリンダナで見た死体の姿を思い出していた。遺体に不自然に空いていた穴と、奪われていた心臓。

「……心臓を喰らって、どういう理屈かは分からないが、俺は一命をとりとめた。そして神子と同じように〝雨〟を自浄できる様になった。人とは思えない程の、身体能力も手に入れた。だから俺は、この汚れた身体を使って、コルヴァを殺すために手段を選ばず、その邪魔になる人間は殺してきた。だから《神子殺し》と勘違いされているのだろうな」

 ディルのこの言葉には、クリスティが奥歯をぎりりと鳴らした。カインは話を聞く限り、ディルは過去に持っていた優しさを無くしてしまったように感じた。全てがコルヴァを殺す為。進んで非情な手段を取り、昔の彼ならば有り得ないような事ばかりを選んでいる。


「メアリ。怒るのは結構だが、その男はどうなんだ。レオは、お前を守ると口では言っているかもしれないが、実際は無意識的に殺しを楽しむ人物だ。殺しをする為に、お前を連れているのかもしれない、〝雨〟の中でも生きる為にな。その欠片で使うお前の命は、寿命の使い道はそれでいいのか? ……母の仇を取るために、俺と来てもいい」

 ディルは相変わらず冷淡とした口調ではあるが、クリスティにそう告げた。カインは、クリスティを止める権利は無いと思い、何も言わずにいた。


 クリスティは少しの間黙った。涙のあとを手の甲で拭いて、決意したように、膝をついているカインの前に立った。


。確かにカインは、昔は楽しむ様に、人を殺していたけれど、今の彼は違う。そうならない様にしているし、私も居る。それに、私の目的は、コルヴァを殺す事じゃない。だから、あなたとは行かない」

 クリスティは実の父親に対してでも、その芯を曲げようとしなかった。ディルは表情こそ変わらなかったが、意志を受け取ったように深く頷いた。その顔には、昔の彼の面影を見た気がした。


「……ディル。一つ教えてくれ。俺達は神剣『アルマス』を探している。お前はその行方を知っているのか?」

 これまで失意の只中で沈黙していたカインが、未だ立つことは出来ずだが、ようやく口を開いた。ディルは黙ったまま、纏っていた鎧のいくつかの部分を外すと、横腹辺りを見せてくる。そこには剣の折れた先端らしき破片が、生身に刺さっていた。〝雨〟を自浄できると言っていた通り、欠片を肉体に埋めてしまって常に浄化している、という事だろうか。


 そしてディルは大剣ではない方の剣鞘から、もう一つの剣を抜いてみせる。それは先端が少し欠けていたが、神剣『アルマス』だった。


「こいつは俺が持っていく。妻の形見だからな」

 ディルはそれだけ言って剣を納め、鎧を着直した。少し歩いて、地面に突き立ったカインの剣を抜く。持ち主である彼の足元に投げると、剣はがらんという音を立てて力なく転がった。


 ディルは、こちらをもう振り向くことは無く、〝雨〟の中をゆっくりと去って行った。

 残されたのは、力なく座り込み項垂れるカインと、その前で俯くクリスティ。カインは、〝雨〟によって身体から水滴が垂れていくのを、瞳に映している。知らず殺人鬼であった自分の正体と、その無力感とに苛まれて立つことが出来ないまま、その光景を淡々と見ていた。

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