第一章:〝雨〟に濡れる男
第1話 アルマスの〈剣の神子〉
北の空に赤雲が見える。
大陸南東の端に位置する街、アルマス。煉瓦からなる赤茶色の要塞が、街の中心に聳え立っている。要塞の無骨な窓から、黒髪の男が鬱々と空を眺めていた。
黒髪の男は褐色肌で歳はまだ若い見目をしている。鎧の装飾は、兵士の内でも“騎士”と呼ばれるような、高位に位置する者を示していた。彼が立つ部屋の中には、なぜか衣服のほか日用品や文具などが散らばっている。要塞内の一間の割には似つかわしくない生活感がある。鎧を纏った男は、部屋とは釣り合いがなかった。
その時、部屋の扉がばたんという音を立て、勢いよく開かれた。
「父さん!」
元気のよい声とともに、幼い少女が男に駆け寄る。そのままぎゅっと男にしがみ付いた。まだ腰ほどまでしか背丈の無い少女は、男と違って白い肌を持ち、髪色も明るくて長い薄桃色。かなり華やかな容貌だ。男は少女の頭を撫でた。
「メアリ、どうした? レオは何処に行ったんだ」
メアリと呼ばれた少女は、嬉しそうに笑ってみせるが質問には答えない。悪戯好きな年頃だから揶揄っているのだろう。さて困った、と思いつつ男が周囲を見渡すと、先ほど少女によって開け放たれた扉の前にまた新たな来客があった。鎧を着た金髪金眼の兵士が、慌てて部屋に入ってくる。
「ここに居たか……。ディル、悪い!」
「忙しいところ苦労を掛けるな、レオ」
「いや。今日は〝雨〟の日だし、誰か付いていてやりたいよな」
二人は気兼ねのない口調でやり取りを交わす。部屋に居た方の黒髪がディル、入ってきた方の金髪金眼がレオ。ほとんど家族のような付き合いをしている仲だ。レオは、ディルの娘であるメアリの面倒を見る役目を引き受けていた。
「レオは足が遅いの。母さんの方が速いもん」
目線の下から、メアリの悪気のない暴言がぶつけられる。レオはうっと呻いて悲しそうに悄気てしまう。そしてディルの足にくっ付いてしまった少女の身を引きはがそうと優しく引っ張る。
ディルはメアリの目線に合わせて膝を折ると、メアリの顔を挟むように両手を添えて、こちらへ向けさせる。
「メアリ、あまりレオを困らせてはいけないぞ。俺ももう出なければならないから、戻ったら遊ぼうな」
「う……はあい」
ディルが真剣にゆっくりと言い聞かせれば、引っ付いてしまった少女はおとなしく従った。
メアリの母親は、ディル、レオと幼馴染の関係だ。その縁から娘であるメアリの面倒をレオが見る事は多く、慣れてしまったがゆえに言う事を聞かない場面も多いのが悩みの種であった。
ディルは留め途中になっていた鎧を手早く嵌めると、武具を拾って支度を整えた。
「じゃあ、行ってくる」
「ああ。ほら、メアリ。行くって」
「父さん、いってらっしゃい!」
レオがメアリの肩を叩いて教えてやると、メアリは元気よく手を振った。大人二人の顔に思わず笑みが零れ、ディルは名残惜しさに後ろ髪を引かれながら、部屋を後にした。
要塞の中心へ向かう。ディルは道中すれ違う兵士や働く人々に対して、挨拶を交わしたり、一言二言話をする為にちょくちょく立ち止まる。進んで交流を持つようにしていて、周囲とは親密な関係を築けているつもりだ。
ディルは要塞中央の『神子の間』に到着した。扉を開けて目に入ってくるのは、無骨な石造りで窓のない部屋。中央の床に向かって剣先が地を向き、古びた剣が突き立てられている。それを囲んで円状に、騎士たちがずらりと立ち並んでいた。一言も喋らず、ただぴりぴりと神経を尖らせている。
古びた剣のすぐ目の前には、桃色の長髪で白装束を着ている女性が凛と立っている。少しして、女性は突き立っている剣の柄を握り、祈るように目を閉じた。
その所作を合図にしたかのように、〝雨〟が大地に降り落ちる音が聞こえてきた。アルマスの街が赤い〝雨〟に染められていく。すると女性と古剣を中心として、国全体に厚みのある半球状に蓋を被せるようにして淡い光が広がった。空中のある場所を境に〝雨〟が透明になる。まるで天に向かって傘を差しているかのようだ。
街中の住民の中には、何かに向かって祈りを捧げている者も見える。〈
剣を握る女性は、〝雨〟の浄化によって街を守る力を持つ、〈剣の神子〉と呼ばれる存在だ。
〈剣の神子〉が神剣を握っている間、誰の邪魔も許さず〈剣の神子〉を守護するのが騎士達の任務である。とうぜん要塞の外や、町の外壁近くにも兵士が詰めているが、この『神子の間』を任せられる兵士だけは特別だ。〝騎士〟という名は〈剣の神子〉を守る者だけに与えられる。
〈剣の神子〉と神剣は常に狙われている存在だ。浄化の力の特性上、狭い土地で限られた資産を分け合うため、どうしても格差が生まれて貧しい立場に置かれる者が出てくる。数年前の大戦時のはぐれ者や、治安悪化の影響を受けて賊になり下がった者もいる。彼らは地位と金を得るため、神子や神剣を奪おうとする。
盗賊が国を襲うのは珍しい事ではない。神剣を奪うことは自国の領地を広げることと同義だ。国によっては敢えて盗賊を遣わす事さえある。だから騎士達は〝雨〟の降る間、剣を握り続ける〈剣の神子〉と共に、この場を護っている。
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