レ・ユエ・ユアン
伊藤沃雪
序章
聖者降臨
雨が降っている。
夜闇に閉ざされた大地は、水滴が落ちてゆくにも関わらずからりと乾いていて、命の気配をさせていない。僅かに残ったままの廃墟が徐々に浸食され、端からがらがらと崩れていく。
「今度の〝雨〟はいつ止むんだ」
「分からない。もう五日にもなるじゃないか……」
山峡の洞窟の中で、生き残りが身を寄せ合っていた。男二人が見張り番をしながら、顔を突き合わせて深刻そうに話し合っている。洞窟の奥には女性や老人、子供の姿も。彼らは雨音に──否、赤い〝雨〟に怯えて、外へ出ようとしない。
〝雨〟は数日前、突然降り注いだ。赤い水で出来たそれは、触れた生物すべてを溶かして、死に至らしめた。その瞬間に地上に居た多数の命が犠牲となり、動植物もほとんど残らなかった。
この世は滅びたのだ。
「晴れてくれないと、もう食べる物が無い。小さな子だっているのに……」
「だが、〝雨〟の下に身を晒したら死んでしまう。一体どうすれば……」
答えのない問いをかけあっては、絶望に打ちひしがれる。彼らは〝雨〟が晴れる合間を縫って洞窟を出ては、廃墟に残った食料を漁って戻り、どうにか生き永らえていた。だが今回は〝雨〟が長期間降り続けてしまい、持ち寄った食料も底を尽きてしまっていた。
突然、見張りの二人の耳にざく、ざく、という、湿った土を踏み締める音が届いた。驚いて外界を見やると、〝雨〟のなかを歩いてこちらへ向かってくる人影が見えた。それも複数人の集団だった。
俄かには信じがたい光景。この〝雨〟を浴びて生きていられる者など、存在するのだろうか。家族も友人も誰もが、目の前で溶けていったのだから。怖れからくる緊張と僅かな期待が混在するなか、影の集団が近付くのを待った。
眼前に現れたのは、闇を照らすような、鮮やかな青い髪の男。青髪の男が連れている者たちは、何故か皆一様に剣を背負い、白装束に身を包んでいる。奇妙な一団は洞窟の前にやって来て立ち止まった。
「もう大丈夫です。私の名はユリアス。この世を救済する役目を負い、参りました」
笑みを湛えた青髪の聖者は、怯えた彼らに向かって手を差し伸べた。
【白き神子の魂と、神剣を以て〝雨〟を浄化せん。さすれば災いは斥けられん】
聖者ユリアス。
〝雨〟で滅んだ世界へと降り立ち、従者に背負わせた神剣とともに、生き残った人々に啓示を授けた。白い肌を持つ者を
人々は〈剣の神子〉の力が届く限られた範囲内において、元のような生活を取り戻した。欲深い人間が現れ、より良い暮らしのために神剣を奪おうとし、争いが続いた。聖者は嘆き、出来るだけ各国ごと散らばって距離を取るように、と教えた。しかし、略奪と争いは一〇〇〇年経っても止むことはなかった。
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