第34話 清き花嫁

「この娘は我のものダ」


 蛟は脱力した碧緒を抱いて這いずりながらくつくつと嗤っていた。


「しかしこれは邪魔ダ。こんなものがいたら我が界が穢れル」


 うっとうしそうにそう言って蛟は一姫を尾で持ち上げ、社の外へ向けて投げた。一姫の身体は社の結界をすり抜け、ゆらゆら揺れる紙帯の中に消えた。


「さテ。これで心置きなく花嫁を愛でられるというものヨ」


 目を弓なりに曲げ、頬を碧緒の身体に摺り寄せる。


「シャーッ!」


 すると蛟めがけて何かが飛んで来て、蛟は咄嗟にそれを避けた。


「何ダ?」


 それは針のように細い金属で出来ていた。三角の耳が二つと足が四本、長い尾が一本生えている。


 猫を模した形の式の一種のようだった。


「シャー!」


 猫型の針金は尾を太らせて向かってくる。蛟は尾で叩こうとしたが、すばしっこくてなかなか当たらなかった。


「ええい忌々しイ!」


 何度か繰り返して煮えた蛟は尾を伸ばして地面を薙いだ。猫型の針金は太い尾に潰されてしまい、ただの細い金属の塊になってしまった。


 蛟がほくそ笑んでいると、今度は社の結界がこじ開けられた。


「今度は何ダ!」


 こじ開けられた穴から青い竜の頭が出てきたと思うと、竜は強引に身体をねじ込んで蛟の創った界の中に侵入してきたのだった。


「返してもらうぞ」


 竜――竜臣は低く呟き、蛟に向かっていった。しかし蛟が碧緒を目の前に掲げたため、思わず動きを止めた。


「この娘は我に捧げられた花嫁ダ。邪竜なぞにやるものカ。そもそもお前はすでに人の花嫁をもろうておるだろウ。子も生したと聞いていル」


 邪竜、邪竜と煩い蛇だ。


「俺は邪竜ではない。よく見ろ。穢れてなどないだろう」


 蛟ははて、と首を傾げた。


「確かに身が穢れておらヌ。しかしその姿は我の記憶にある邪竜の姿そのものダ。いや、もしや……子の方カ」


 竜臣は答えなかったが、蛟はそれを肯定ととらえて目を細めた。


「あぁ、あぁ、なるほどなるほド。うぬは邪竜が人の女に生ませた子であったカ。面白いではないカ」


 にぃっと蛟が嗤った。


 蛟の言う通り。竜臣は竜と人の女の間に生まれた妖物の混血だった。青竜一門の汚点である竜臣は、出生を秘匿されており、本当に竜の子であることを知るのは少数だ。


「これだけ見目が似ておるのダ。中もさぞ似ておるのだろウ。うぬも愚かな父と同じで愛する女を殺すのであろうナ」


「違う。俺を其奴と一緒にするな」


 ぐるる、と竜臣は低く唸った。それでも蛟は続けた。


「それだけでは飽き足らズ、多くの人間を殺シ、その身を人間の血で穢すのであろうナ」


「違う!」


「違うものカ。うぬの鋭い爪はいとも簡単に触れた人間の皮膚を割ク。牙にかかれば骨を折リ、尾で巻き付こうものなら息を止めさせるのダ」


 ぐっと蛟が尾を絞めると碧緒がうめき声を上げた。


「人間は脆イ。あの邪竜も加減を間違えたのダ。うぬのように加減も分からぬ小僧には扱いが難しいゾ。大人しく引き下がレ。この娘を壊したくはないだろウ?」


 蛟は碧緒の顔に己の頭を近づけ、すりすりと頬をこすりつけた。


 父親の竜が邪竜となったのは大量の人間を殺したからだ。邪竜は東方一門の手により封印され、東方一門では竜臣の父である竜のことは禁句となった。同様に亡き母親についても皆が口を閉ざした。


 孤独になった竜臣は罪深き邪竜の子として元老たちに蔑まれた。唯一己を育ててくれた叔父家族だけが拠り所だったが、幼い頃の記憶を失くしていたためか竜臣は何にも興味が持てず、長い間無気力で過ごしていた。


 しかし、竜臣の身体には無気力で過ごすには大きすぎる力が宿っていた。ぼうっとしていると全てが壊れていってしまうのである。故に育て親は竜臣に情を芽生えさせようと努力したが、竜臣は何と言われようと何が起きようと、周りがどうなろうが気にしなかった。


 人間も妖物も等しく邪竜の子を恐れ、蔑んだたからだ。人間にも妖物にも嫌われているのだから自分も情をかける必要などないと、竜臣は己に流れる力の大きさを実感する度に、邪竜の子である己が『破壊』をするのは当たり前だと開き直っていた。


 それが変わったのが、ある月の綺麗な夜だった。


 初めて助けられた、か弱い命。加減を学ばず破壊ばかりしていた自分の手に収まった、儚い生き物。避けられてばかりだった自分に縋る手。月を美しいものだと気づかせてくれた、清き身体を持つ不思議な少女。


 人間にも妖物にも悪意ばかりをぶつけられて育った竜臣の、唯一美しい、宝物のような記憶。それから少女のことが気になって、二〜三ヶ月に一度は様子を伺いに行くようになった。


 接触するつもりはなかった。ただ少女が幸せに、笑顔で暮らしている姿さえ見られれば良かったのだ。【竜の子】いや、邪竜の子として蔑まれる自分と関わるべきではないと思っていた。けれど少しでも彼女の何かに関わっていたくて、清く美しい彼女の住む世界を、彼女に見合う清く美しい世界へ変えようと思った。その結果が東方一門の当主だったわけだ。


 けれど竜臣は知る。碧緒はてい宿に閉じ込められた姫。生贄にされる娘だったということを。


 碧緒がこの世界から消えることなんて許せなかった。だから決まりを変えさせて間接的に助けるつもりだったのに。足垂 竜樹がことごとく邪魔をしたおかげで、再びこの手で彼女を助けることになった。


 そして今も。


「俺を其奴と一緒にするな。俺は間違えない。その娘を放せ!」


 竜臣は蛟に跳びかかった。蛟は口から毒を吐き、目くらましをする。


 すると毒を吸い込んだ碧緒が表情を曇らせた。それを見た竜は息を大きく吸い込み、毒を胸の中に溜め込んだ。


「自ら我が毒を吸い込むとハ!」


 蛟は嗤って嬲るように尾で何度も竜を叩いた。思わず口元が緩んで少しだけ吸い込んだ毒の息が漏れてしまい、竜臣は蔦を出して己の口に轡をつけた。


「我が毒で身体が動かぬようになったのカ?」


 ときどき竜臣は尾で応戦したが、動きは鈍かった。飲み込んだ毒が少しずつ身体を蝕んでいく。


 蛟は毒で弱った身体を容赦なく叩き、噛みついてくる。


 次第に竜臣の身体はぼろぼろになっていった。鱗が剥がれ落ち、鮮血が流れる。それでも竜臣は引き下がることなく耐え、木を出現させて蛟を阻んだり蔦で絡めとろうとしたり力を尽くした。しかし呪に威力がなく、妨害は簡単に突破されてしまうのだった。


 毒が全身に回ってきて、とうとう竜臣の身体は傾いだ。


 蛟はにやりと笑みを深くしてとどめを刺そうと近づいた。


「……いて」


 と、か細い女の声が聞こえた。


 いつの間にか意識を取り戻していた碧緒が白い手を伸ばしてきて、竜臣は驚いた。


 口に巻き付けた蔦に碧緒の指先が触れると蔦が花となって落ちた。


「吐いて」


 碧緒は竜の口に手を添えて呟く。


 竜臣なら身を蝕む毒を穢れとして外に吐き出せた。しかし吐き出せるわけがない。吐き出してしまったら穢れはたちまち碧緒を襲い、彼女の身体を汚してしまうからだ。穢れは人間にとっても毒だ。もちろん多くの妖物にとっても。


 だから竜臣は頑なに口を開けようとしなかった。


 すると碧緒は身を乗り出し、竜の口に唇をつけた。


「ふー……」


 竜臣が固まっている間に碧緒が息を吹き込む。すると身体を蝕んでいた毒がたちまち浄化されて消えた。


 目を大きくして驚く竜臣に笑いかけ、碧緒は再び意識を手放して脱力した。


「さすがは我が花嫁ッグゥッ!?」


 満足そうに笑った蛟の頭を竜臣は尾で殴り、首元に噛みついた。


 苦しみ、緩んだ蛟の身体から碧緒が解放される。碧緒が地面に落ちる前に掬い取り、竜臣は瞬く間に社の外に逃げた。


「待テ!」


 蛟が追いかけてくる。蛟の牙が竜の尾を捕らえるかというところで、水を割いて飛んできた針のように鋭い金属が蛟の動きを鈍くした。その隙に竜臣は水の中から飛び出し、崖の上まで上がった。


 竜の姿が解け、肩で息をする男の姿が現れる。


 竜臣は荒い息をしながら碧緒の心臓に耳を寄せ、口元に頬を寄せ、生きていることを確認して大きく息を吐いた。

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