第32話 竜の目、虎の目
碧緒が消えた
竜臣にたった六文字の報が入ったのは、明け方。竜に化身して足垂家に向かっている最中のことだった。
竜臣は飛んできた早文を読んだ瞬間、何度か太い尾で叩いて文をバラバラにしてしまった。
予定では碧緒を外へ連れ出した何も知らない一姫と合流して幕引きとなるはずだった。牢の鍵を雪しろという娘に預け、頃合いを見計らって一姫に渡すよう告げておいたのである。
それがどうだ。
碧緒が消えた? 冗談じゃない。
竜臣ははらわたが煮えくり返るような激情に包まれていた。
竜樹、あるいは青梅の采配か。それとも白虎か。いずれにしてもただでは済まさない。
紅い瞳が不気味な光を放つ。
青き竜は天を割くように猛進した。
足垂家の上空にやって来ると竜臣は張られた結界を割り、母屋の屋根を破壊して玄関に降りた。そのまま土足で屋敷に上がり、騒ぎを聞きつけてやってきた奉公人たちを一瞥することもなく突き進んで碧緒の部屋の前に立つと、断りもなく乱暴に戸を開けた。
碧緒はいなかった。布団は敷いてあるが使われた形跡はない。窓が開けっ放しになっている。
「おい。この部屋の主が何処に行ったか知っているだろう」
本棚の隙間に飾られている掛け軸に問うた。
馬葉はぎょろりとした目を竜臣に向けた。
「青梅に聞いてみるが良い」
竜臣はすぐさま踵を返し、青梅の部屋に向かった。
「よう竜臣。遅かったな」
途中で白虎に出くわした。白虎は右手を挙げて気さくに近づくと、竜臣の隣に並んで歩いた。
「どうやら碧緒ちゃんだけやのうて一姫ちゃんもおらんらしい。竜樹様に聞いてみたんやけど、碧緒ちゃんがどこに行ったんかは知らへんみたいやったわ。『俺は関与していない』やと」
「もう一人いるだろう」
「そういうことやな」
竜臣と白虎は青梅の部屋に着くとそれぞれ引き戸を掴んで乱暴に開いた。
凄まじい音が鳴り、挙句に壊れて扉が外れてしまったにも関わらず、青梅は全く動じていない様子で文机の前に座していた。
「今日は顔色悪ないな青梅ちゃん。ちょっと話したいことあるんやけどええ?」
「彼女を何処へやった」
口元は柔和に微笑みながらも全く笑っていない目で腕を組む白虎。竜臣は身の内から怒りを外へ放ちつつも無表情に青梅を見下ろしている。
「白虎様は私に何をお尋ねになるのでしょうか。御当主様のおっしゃる『彼女』とは誰のことでしょうか」
二人の男の威圧に負けることなく、青梅は淡々と言い放つ。それでいて読んでいる書物から目を離さないのである。さすがは竜樹の娘とでも言うべきか。
白虎は部屋に入り、青梅の前に胡坐を掻いて座った。
「碧緒ちゃんのこと聞きたいんやけど。なぁ、碧緒ちゃん何処行ったん? 青梅ちゃんがどっかに隠したんやろ?」
「いいえ。私は碧緒を隠してなどいません。別の者でしょう。地下牢に幽閉していた一姫もいなくなっています。どうやら何処かの誰かが碧緒の友人に牢の鍵を渡したようですから、その者に聞いてみてはいかがでしょうか」
「俺は何も知らん。お前が雪しろという娘に俺の任とは別の任を与えたのだろう」
青梅は目を上げた。
「やはり鍵を渡したのは貴方でしたか竜臣。先を越されたかと肝を冷やしました」
青みを帯びた目と紅い目が交錯する。
「吐け青梅。碧緒は何処にいる」
「申し上げられません」
「てことは何処におるかは知っとるってことやな。何で話せへんの? 教えてくれへんと困るんやけど」
ばさ、と扇を広げ、白虎は自分の顔の下半分を隠した。
「女相手に野蛮な真似はしたないねん。青梅ちゃんは碧緒ちゃんの姉ちゃんやしな。けど、ここらで吐いてもらえんと、何するか分からへんよ」
怒りの滲む金の瞳で青梅を刺す白虎。扇で顔を隠したのは、他人には見られたくない顔をしている自信があったからだ。
それでも青梅は一つ瞬きを落とし、「そうですか」と一言呟いたただけで全く動じなかった。あまりの徹底ぶりに白虎はため息を吐くしかなかった。
「よう分かった。碧緒ちゃんも一姫ちゃんも、青梅ちゃんみたいなんがおるとこにおらせたらあかんわ。遠ざけな。二人ともわしが連れてくわ。竜臣。お前のところじゃまだ近すぎる。二人ともわしに譲れ。その方が二人のためや」
白虎は振り返って扇子の先を竜臣に向けた。
「お前も碧緒ちゃんが可愛いんやろ。何に対しても無頓着なお前が碧緒ちゃんには積極的や。毎晩どれだけ遅なっても必ず碧緒ちゃんの様子を見に来とったしな。そんな態度を見たら阿呆でも分かるわ。お前の周りの奴は青梅ちゃん以外誰も分かっとらんみたいやけどな」
そういうところが劣るっちゅうんやでくすべ、と呟いてから白虎は続けた。
「ほんまに碧緒ちゃんのことを想うなら足垂から解放したれ。いや、東方青竜一門からやな。こういう奴らに良い様に扱われるなんて可哀想やろ。わしんとこでもそういう奴らはおるが、わしよりお前の方が敵多いやん。嫌われもんのお前の嫁よりわしんとこの方がましや思わんか?」
「お前に渡すつもりはない」
竜臣は白虎を一睨みし、踵を返して行ってしまった。
白虎は竜臣の姿が見えなくなると呆れた声を出した。
「彼奴、ほんまに口が足りひん奴やなぁ。大事な人には大事なことを伝えとかんと誤解されるで。まぁわしはその方が有り難いんやけど。親友としてはもどかしい気もするなぁ。なぁそう思わへん?」
今度は青梅に投げかけた。すると青梅は言った。
「竜臣は白虎のことなど親友とは思っていないと思いますよ」
「そこなん!? ひどいわぁ。わしは青梅ちゃんのことも親友や思てるんやけど」
「ただの知り合いの間違いでしょう」
「十年来の付き合いやん! 東方青竜一門っちゅうんは冷たい奴らばかりやなぁ。思考回路どうなっとんの」
青梅からすれば嫌悪感を露わにした相手をも親友と表現する白虎の思考回路の方がどうなっているのかと思う次第であるのだが、口には出さないでおくことにした。
「世間話などしていて良いのですか。竜臣は碧緒を探しに行きましたよ」
「まぁすぐわしも行くつもりやけどなぁ。出来ればわしは碧緒ちゃんの命の恩人にはなりたないねん」
「はぁ」
「わしはそういう特別な何かがなくても結ばれる関係の方が幸せや思うんよ。一生『この人は命の恩人』て思て一緒におるんはしんどない?」
青梅は数秒白虎を見つめてから口を開いた。
「私なら、何としてでも手に入れたいものがあったら何でも利用するでしょう。感謝の気持ちを逆手に取ることも、狡い交換条件を出すこともあるでしょう」
白虎は大きくため息を吐いた。
「怖いなぁ。ほんま思考回路どうなってんの」
青梅に言わせれば、白虎程怖ろしい者はいなかった。
この男は見た目に寄らず策士である。それも堂々と真正面から正攻法で仕掛けて来ることもあれば、獲物を横取りするように脇から攻めて来ることもある。こうして竜臣を先に行かせ、「命の恩人」という枠に竜臣を収まらせようとしているのも彼の魂胆だろう。白虎は虎視眈々と碧緒の身も心も奪う機会を伺っているのだ。
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