第30話 脱走計画?

「ごめんね」


 一姫は一言謝って硝子玉をスカートのポケットにしまった。それから靴を脱いで窓から部屋に侵入した。


 視線を感じたような気がして顔を向けると、掛け軸の武将と目があって思わず驚いてしまったが、何てことはない。ただの掛け軸だ。一姫はほっと息を吐いて部屋を横断し、廊下に出た。


 深夜である。月明かりがぼうっと廊下を青白く照らし出している他、灯りは無い。こんな時間に屋敷をうろつく人間はまずいないはずだが、十分警戒して音を立てないように歩を進め、地下に続く階段の前で足を止めた。


 もう一度左右を確認して真っ黒な穴のような階段を慎重に降りていく。階段を下りたところでしゃがむと床をまさぐり、手の感覚だけで雪しろが教えてくれた隠し扉を探した。


 しばらくして妙に開いた床板の継ぎ目を見つけた一姫は、そこに親指を引っ掛けて力を込めた。すると、ずず、という短い音がして床板が動いた。


 一姫はごくりと唾を飲み下した。先の見えない真っ暗な穴が地獄の入り口にように思えて恐怖を駆り立てる。震える程怖ろしくてなかなか足が進まなかったが、自分を鼓舞して備え付けてあった木の梯子を降りていった。


 いくらかして足の裏に地面を感じ取った。これまた雪しろに教えてもらった顔よりも少し上の高さにあったランプに火をつけ、手にぶら下げる。


「わっ!」


 壁や床に黒光りする石のようなものが犇めき合っていて、思わず声を上げてしまった。よく見てみると、両手程の大きさの田螺である。一つ見るだけならどうとも思わないが、これだけ集まっていると気持ちが悪かった。


 一姫はぞおっと鳥肌が立った腕をさすりながら、何とか隙間を探して田螺の群れの中を歩いていった。


 一時間くらいだろうか。それくらい歩いたところで月明かりが見えてきた。大きな岩が転がる斜面の上の方から青白い光が差しているのである。


 一姫は期待に胸を膨らませて岩をよじ登り、暗闇から光の中へ出た。


「すごい!」


 美しい月が出迎えてくれた。何にも遮られず広がる一面の星空が幻想的で、清々しい冬の空気が解放感に溢れていた。


「やった」


 一姫はぽつりと呟き、硝子玉の入ったポケットを押さえた。これで碧緒を足垂から解放してあげられる。そして自分も足垂から解放されるのだ。闇の広がる洞窟から月の光の下へ出られたように、きっとこれから明るい未来が待っているに違いない。


 一際大きな岩の傍で一姫は腰を降ろした。後は雪しろや雲雀と合流してもっと遠くへ逃げるだけだ。


 一姫が牢屋で眠っていると、訪ねて来た雪しろが「どうしたいですか?」と聞いてくれた。そこで一姫が碧緒と共に遠くへ逃げたいと言うと、「では逃げましょう」と鍵を渡してくれたのだ。そうしてこの脱走計画を教えてくれた。


 雪しろが教えてくれた計画は、一姫が碧緒を硝子玉に閉じ込め、秘密の通路を使って外へ出たところを雪しろと雲雀が回収するというものだった。最後まで手を貸してくれるなんて、つくづく良い友達だ。


 碧緒はとても驚くだろう。でも笑ってくれるはずだ。


 一姫は星空を見つめて笑んだ。


 背後に黒い何かが迫っていることも知らずに。


 足垂から出られてようやく自由になれることへの高騰感で気もそぞろだったからか。それとも一姫には陰陽師としての素質がないからかは分からないが、一姫は己に迫る危機に気づかなかった。


「こちらにおいででございましたか花嫁様。お約束の通り、お迎えに上がりましたぞ」


「!」


 声をかけられ、振り返った時にはもう遅かった。


 布のようなものを頭の上から被され視界が真っ黒になったかと思うと、意識が遠のいていった。

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