第29話 囚われの姫
西方家が関わっているとなると、雲雀と雪しろをこれ以上留めておけなかった。相手が悪すぎるのだ。
二人に仕えているお屋敷に帰るよう言うと二人もさすがに分が悪いと思ったのか、名残惜しそうではあったけれどすぐに足垂家を離れた。
そうして一人になった碧緒は真っ暗な部屋で茫然としていた。
こんなことは初めてだった。
碧緒の胸の中は様々な感情が混ざってぐちゃぐちゃになっていた。気持ちの整理もつかなければ考えもまとまらず、早くしないと朝が来てしまうのに決められない。そんな己の不甲斐なさが情けなくて仕方がなかった。
今までずっと碧緒は竜樹が敷いてくれた人生の中で生きてきた。と言っても、ただ竜樹の言いなりになっていた訳ではない。碧緒はちゃんと己のやりたいようにやってきたし、意見を通してきたのである。
竜樹が用意してくれた人生は決して悪いものではなかった。てい宿で友と学んだ日々は代えがたいものであるし、母の愛情を知らなくても二人の姉や妹から愛を注がれている。陰陽師の家系に生まれた特殊性故に何でも自由にできなくても困りはしなかった。つまり碧緒の性に足垂家ないし竜樹の考えは合っていたのである。もちろん不満がなかったわけではない。しかし竜樹の言うことは厳しくも理にかなっていて、落ち着いて考えてみればいつも納得できた。今回の許嫁の話も、決して悪いことではない。ゆくゆくは西方白虎一門の当主になるだろう男の元に嫁ぐなんて好条件は他にない。それに白虎は良い人間のようだし、好いてもくれているようだ。きっと良い関係を築けるだろう。
しかし碧緒は気づいてしまったのである。
どうしようもない竜臣への恋心に。
忘れようと思えば思うほど、竜臣の姿が、仕草が、言葉が何もかもが思い起こされて身体に焼き付き、愛おしくてどうにもならなくなってしまった。子どもの頃の淡い思い出だけなら、実らぬ初恋だったと区切りをつけて白虎の元に行けたのだろうに。会って話して体温を感じてしまったからもう無理だった。
碧緒の心は揺れる。
愛されていなくても愛する人の傍に居られたらどんなに良いかと思えども、己のつまらない恋心なぞに惑わされて大義を忘れてはいけないとも思ってしまう。
コンコン
ふいに何かを叩く音が聞こえてきて、堂々巡りをしていた碧緒の意識が逸れた。
扉を叩く音ではない。天井を叩く音でもなさそうだ。
コンコン
二度目の音でようやく窓を叩く音だと気がつき、窓を開けた。
窓から顔を出してみると意外な人物が立っていて、碧緒は目を大きくした。
「一姫! 貴方、牢から出られたのね!」
思わず庭に立っていたぼろぼろの一姫を抱きしめた。一姫は安心したような表情で碧緒の背に腕を回した。
「心配してくれてありがとう」
「こんなに泥だらけになって」
身体を離し、乱れた髪を梳いて直して頬についた泥を拭ってやる。一姫は恥ずかしそうに頬を赤らめけれど、どこか心地よさそうにはにかんだ。そんな一姫が碧緒には愛おしく見えた。
「さっき出てきたところなのかしら。どうやって出てきたの?」
「雪しろが鍵を渡してくれたの」
「雪しろが?」
意外な名前が出てきて碧緒は内心驚いていた。
「雪しろは別の人から貸してもらったって言ってた。誰から貸してもらったのかは教えてくれなかったけど」
「あらそうなの。一体全体誰が貸したのかしら。牢の鍵なんて、そう簡単に手に入れられるものではないのだけれど」
碧緒には二人思い当たる人物がいた。
一人は竜臣である。一姫を助け出して欲しいと言った碧緒の願いを叶えてくれたのかもしれなかった。もう一人は青梅だ。青梅なら牢の鍵を入手して雪しろに渡すことは容易だろう。
思い当たってもこれだけでは絞ることが出来ない。碧緒は更なる情報を求めて一姫に質問することにした。
「それで、一姫はどうして私のところに来たの?」
「たま姉を助けるために来たんだよ」
「私を助ける?」
「雪しろに聞いたの。たま姉は朝になったら西方家に連れていかれちゃうけど、迷っていて御当主様か白虎様か選べないでいるんだって。だったら三つ目はどうかなって」
「三つ目?」
「私のところ。私が三つ目の選択肢になる。たま姉を連れて逃げてやるんだ」
碧緒は目を瞬いた。一姫が突拍子もないことを言うのは今に始まったことではない。一姫は大抵、理論的に考える足垂家の者たちには受け入れられないことばかり言う。碧緒は一姫の考え方が嫌いではないのだが、今回ばかりは首を縦に振れなかった。
「嬉しいことを言ってくれるのね。でもだめだわ。わたくしは貴方とは一緒に逃げられない」
困ったように笑う碧緒。一姫はそう、と言って頭を下げた。断られてがっかりしたのかもしれないと碧緒は思った。
「たま姉」
「なあに?」
呼ばれたので応えた。
すると突然身体が一姫の方に引っ張られた。
「!?」
碧緒は窓枠を掴んで抵抗しようとした。慌てて掴んだので飾ってあった針金で出来た猫の置物が何処かへいってしまった。
顔を上げた一姫が掌くらいの大きさの硝子玉を持っている。それが応えた者を吸い込んで閉じ込める呪の施された道具だと気づいた時にはもう、碧緒の身体は硝子玉の中に閉じ込められていた。
「一姫!? どうしてこんなことを!? 出して一姫!」
碧緒は硝子の壁を叩いた。内側からは白濁していて外の様子が分からない。きっと声も届かないのだろう。
「一姫……」
碧緒は脱力してその場に座り込んだ。
硝子玉の内側からは、いかなる呪も効かない。外から割ってもらわなければ、碧緒は外に出られなかった。
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