第26話 気づく男たち

 白いフローリングの床に重厚な黒い絨毯が敷かれている。絨毯の上には白いソファとガラスのローテーブルが置かれ、熱い緑茶が用意されていた。


 ソファには片手でスマートフォンを操作するくすべと、足と腕を組んで座る竜臣。銀竜はというと、彼はソファには座らず後ろからくすべを覗き込んでいた。


「何を見ている?」


「仕事の進行度。あそこ山ん中だから電波届かなくて見れなかったから。まぁここも電波妨害されてて送受信が出来ないみたいだけど。メールもここに入る前までのしか届いてない」


 くすべは鬱陶しそうに舌打ちした。銀竜はくすべを刺激しないよう「ふむ」と頷いて離れた。


 それからくるりと部屋を一周して、またくすべのところへ戻ってきた。


「何か進展はあったか?」


「上々。足垂が動いたからみんな釣れてきた。廃止令については二、三日で片付くと思うよ」


 にたり、画面を見て楽しそうに笑うくすべに銀竜はそうか、とだけ返した。会話はこれで終わってしまう。


 銀竜はまたふらふらと部屋の中を歩き回り始めた。時折止まって花びんに生けてある花を見つめてみたり、飾ってある絵を見つめてみたりしているが、すぐに足を動かしてしまう。これから会食が始まろうというのに落ち着きがない。


 西方白虎一門の生家、西方家の屋敷の応接間である。


 つい先ほど西方家に到着した竜臣、くすべ、銀竜は応接間に案内され、準備が終わるまで待っていて欲しいと告げられたのだった。


 くすべは部屋に入ってからずっとメールを確認している。竜臣はいつもの無表情で足を組み、腕を組み、ソファに座っている。銀竜は手持無沙汰なうえにどうにも落ち着いていられず、仕方なく部屋の中を動き回って時間を潰しているのであった。


「うん、いいね。順調」


 くすべが誰に言うでもなく画面を見ながら呟いた。けれども表情は明るくない。


「でも、なんか引っ掛かるんだよねー」

 

 耳を立てていた銀竜がくすべの呟きを拾ってすかさず近づいてきた。


「引っ掛かる、とは?」


「足垂 竜樹だよ」


 なにやら片手でスマートフォンを操作しながらくすべは続けた。


「もうちょっと粘るかと思ったんだよねー。川潰したって言っても、戻そうと思えば元には戻せるから。だから足垂 竜樹は川を元に戻して廃止令にも同意しないかもなって思ってたんだ。でも違ってた」


「竜樹様も観念したのではないか? 断り続ければ我らが強硬手段に出ることを知り、潔く諦めたのだろう。竜樹様らしいではないか。あの方は無駄な問答をして無駄に時間をかけるお方ではない」


「まーね。でも書類とか諸々明日までかかるかなと思ってたのにさ。その場で書いて渡されたでしょ」


 くすべはスマートフォンをパンツのポケットに突っ込んだ。そして前かがみになって両肘を腿につけ、組んだ手を顔の前に持ってきた。


「同意書、机の上に置いてたんだよね。何度も訪問してても一度も見たことなかったのにさ」


 ここでいう同意書というのは、言わずもがな【人身供物廃止令】に従う旨を示すための同意書のことである。竜樹は竜臣、くすべ、銀竜の目の前で机の上に置いてあった書類を引き寄せ、その場で署名し、捺印したのであった。


「そもそも捨てずに持ってたってことは、いつかは同意するつもりだったってことだよね。それから机の上に置いてたのは、今日同意するつもりだったってことにならない?」


「俺たちが毎日訪ねていたから捨てようにも捨てられなかったのではないか? 捨てられていることが分かれば俺たちはまた書類を持って行っただろうからな。机の上にあったのも、たまたまその日に目を通していただけじゃないのか?」


 偶然ではないのかという物言いに銀竜をくすべは睨んだ。


「あの足垂 竜樹に偶然なんてモンはない。そもそもこの世に偶然なんかないんだよ。何もかも計算しつくされてるか、無意識に自分が選んでるかなんだ。足垂 竜樹のような男は前者だね。あの男の行動には必ず意味があるんだ。ウメと一緒。だから繋ぎ合わせれば答えが分かるはずなんだよ」


 そこまで言ってくすべはギリリと奥歯を噛んだ。


「分かるはずなのに」


 分からないと口に出さないのは彼の自尊心が許さないのだろう。


 こういうとき、銀竜はくすべの役に立てない。くすべが答えにたどり着くまで黙って見守って邪魔にならないようにするのが彼の務めである。


「早く俺たちに足垂家を去ってもらいたかったのか? 足垂家で何かがある? でも人は下げてないからある程度なら対応可能だ。雑魚ではどうにもならない相手か? 一体誰だよ。くそっ足りないんだよ、情報が。情報が集まってないってことは、あのジジイはほとんど動いてないってことだ。動けば動くほど情報が出ていくはずだから。俺たちが動き始めたのは二週間ほど前。それよりも前に何もかも想定して手を打ち終えていたということか? ちっ。足垂の人間は先見の明があるって聞いてたけど、ここまでとは。あの女で痛感してたはずなのに」


 ぶつぶつ独り言を呟くくすべ。くすべには呟きながら考えをまとめる癖があった。もちろん竜臣や銀竜の前だけで出る癖だ。西方白虎一門の本家とはいえ、この場には竜臣と銀竜しかいないので無防備になっているのだろう。もしくは場所がどうでもよくなる程焦っているかだ。


「……がいないな」


 と、ここで初めて竜臣が口を開いた。竜臣が脈絡のない話題を振ってくるのは今に始まったことではない。


 くすべは思考するのに忙しく竜臣に付き合っていられなさそうなので、銀竜が答えることにした。


「誰がいないと?」


「白虎(しろとら)だ」


「確かに。白虎殿が見当たらん。いつもならこちらから訪ねずとも向こうからやってくるが」


 銀竜は白虎のことを思い浮かべた。随分と体躯の良い大男で、年は自分と同じで二十八である。西方白虎一門本家の長子で手腕もある為、次代当主として通っている。


 西方 白虎(せいほう しろとら)という男は見目は立派だが、性格はお世辞にも威厳のある人物とは言えない、大らかで楽天的な男であった。本人曰く、竜臣とは竜臣が当主になる前から親しい幼馴染らしく、いつも竜臣の姿を見かけると気さくに話しかけてくるのである。


 それが今日は現れない。


「弟殿は見かけたがな。どこぞへ出かけているのかもしれん。あの方も忙しいのだろう」


 当主の長男で次期当主ともなれば忙しいはずである。今まで訪ねれば必ず長話をしに来ていたことがむしろおかしかったのかもしれなかった。


「あのデカブツならオミが来るって知ったら予定空けそうだけどね」


 そう相槌を打ったくすべが突然バンッとガラステーブルを叩いたので、銀竜は驚いて目を瞬いた。


「ど、どうしたくすべ」


「やられた! そうだよおかしい。いつもいる白虎がいないなんて。あーもう最悪ッ。足垂のヤツは面倒なヤツばっかだ!! 今すぐ足垂家に戻らないと!」


 何を思ったのか部屋を出ていこうとするくすべ。銀竜は慌ててくすべの前に滑り込んだ。


「待てくすべ。これから御当主との会食があるではないか。随分前に決まっていたことだぞ。すっぽかすわけにはいかんだろう」


「それが罠だっつってんの!」


 くすべは銀竜の鼻の頭に人差し指を突き付けた。


「いい? これは全部仕組まれたことなんだよ。このタイミングで西方家との会食が入るってのも、俺たちがあのジジイに足止めされずにここに間に合ってるのも、全部」


「何!? どういうことだ?」


「儀式が午前で、その日の夜に都合よく西方家当主との会食なんていう、オレたちにしかできない予定が詰まってるなんて、どう考えてもおかしいだろ。これは足止めだ。オレたちを閉じ込めるのにこんなにも絶好の場所はない。万一こうして気づいたとしても距離があってすぐに駆け付けられないしね」


「いや、くすべ。その論には無理があるだろう。会食の予定は一月に決まったのだぞ? 今は二月。一カ月も前だろう。我らが足垂家で【人身御供の儀】が行われると知ったのはたった二週間前だ。この会食の予定を立てた時は足垂家で【人身御供の儀】が行われるとは知らなかったんだぞ」


「オレたちはね」


 くすべは一度言葉を切ってから続けた。


「でも、足垂 竜樹は知ってた。何年も前からね。あの男の世代が四獣一門全部で繋がってるのは知ってるだろ? 足垂 竜樹が西方家当主の西方 虎之介(せいほう とらのすけ)と口裏を合わせていてもおかしくない」


 銀竜はあまりの驚きに言葉が出なかった。開いて、閉じる。それを何度か繰り返してようやく銀竜は言葉を口にした。


「どうしてわざわざそんなことを。竜樹様は我々が介入してくるとは知らなかったはずだろう? 完全に竜樹様の誤算のはずだ。そうだろう?」


「ねぇギン。何で俺たちが足垂家の儀式のことを知ったのか忘れてない?」


 問われ、銀竜は思い出してハッとした。


「我らが儀式のことを知ったのは匿名の手紙だ……」


「そ。結局誰が出したのかは分かってないけど。オレたちは偶然儀式のことを知ってオレたちの意思で足垂家に関わったんじゃない。関わるよう仕向けられたんだよ」


「何故、そんなことを。わざわざ我々を招き入れて儀式を失敗させる必要がどこにあるのだ」


「さぁ今はまだそこまでは。けど、たぶんあのジジイがやったことではないだろうね。何人かやりそうな人物に心当たりがあるところが足垂の厄介なとこだな」


「つまり竜樹様は誰かが裏切って我々に情報を流すことまで読んでいたというのか? そんなことができるのか?」


「できるんだよ。足垂 竜樹には。実際やってのけてるでしょ。というかウメが宰相って時点でオレたちには不利だったんだよ。ウメがいれば思う通りにオレたちを動かせる。ウメの性格上、ウメに別の考えがあってもあのジジイの命令は聞くだろうから。もっと早く気づけば良かった」


 くすべは悔しそうに表情を歪めて舌打ちした。


「しかし、何のために西方家は足垂家に協力したのだ?」


「直接本人に聞けば良いでしょ。白虎なら話す。アイツは正直だけが取り柄だから」


「しかし白虎殿はここにはいないだろう」


「だから会いに行こうとしてるんでしょ。アイツはたぶん今足垂家にいる」


「なっ」


 口を開こうとしたのと同時に扉を叩く音が聞こえてきたので、銀竜はすぐさま口を閉じた。


 くすべと銀竜、竜臣が扉に注目するなか、扉が開き、西方家の女中が頭を下げた。


「東方家御当主様。東方青竜一門の一人と名乗る方が、話がしたいといらっしゃっています」


 くすべと銀竜は顔を見合わせた。眉根を寄せるくすべに銀竜は首を振る。もちろん竜臣が何かを知っている様子もなく、くすべは訝し気な顔を女中に向けた。


「誰。どこにいるの?」


「表門の前に。ご案内いたしましょうか?」


「いらない。ギン、行くよ」


 くすべが足早に女中の脇を抜けて行く。銀竜は女中に礼をしてくすべの後を追った。


 東方青竜一門の一人と名乗った者は西方家の敷地内には入らず、表門の前に立っていた。背後に大きな隼を従え、青灰色のスーツを着ている。


 誰だか分かる距離まで近づくと途端にくすべはむすっとした顔になり、銀竜は目を大きくして驚くのだった。


「アンタが来たってことはあの女が何かに気づいたってことね」


 雲雀はこくりと頷いた。


「碧緒が足垂家に西方家の人間が潜入していたことに気づきました」


「あっそう。ソイツら今もいるの?」


「いいえ。すでに姿を消しています」


「足垂家には他に誰か来た?」


「分かりません。私が足垂を出る時はまだ誰も来ていませんでした。しかし碧緒は今に何かが起こると話していました」


「なるほどね」


 くすべは雲雀の後ろにいる隼を指した。


「その鳥定員何人?」


「私を入れて三人です」


「ギン、オミに知らせてきて。ここに残るか足垂家に行くか今すぐ決めろって」


 銀竜は分かった、と答えて踵を返して駆けていった。


「今すぐ飛べるの?」


「いつでも大丈夫です」


 あっそ、とくすべは一言呟き、うっとうしそうにため息を吐いた。


「あの性格ブス。大した式も持ってないヤツらばっかり足垂家に配置したな。足垂も電波妨害されてたし、ここじゃ早文も届かない。徹底的に連絡手段を絶たれてたか。あーもう面倒くさ」


 はぁーあ、とくすべはもう一度大きなため息を吐いたのだった。

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