第25話 足垂の地に潜入せし不埒者

 突然来訪した竜臣一行は竜樹との話を終えるとすぐに去っていった。碧緒たちが把握している予定では、彼らはこの後西方白虎一門の本家に出向いて会食をするはずのため、時間がなかったのだろう。


「碧緒に一言の挨拶もないなんて。妻になろうという人の顔ぐらい、一目見に来るのが当たり前だと思いませんか?」


 雪しろは一度も姿を見せずに行ってしまった竜臣に怒っているようで、膨れっ面をしていた。


「仕方ないわ。今日は確か西方白虎一門の御当主様との会食があったはずでしょう? 足垂御当主との話が長引いたみたいで、会食に間に合うかどうかの瀬戸際になってしまったみたいだから」


「さすがに当主同士の会食には遅れられないからな」


 困ったように笑う碧緒と、平然とした顔の雲雀。どうやら怒っているのは雪しろだけのようである。雪しろは二人のそういうところがいけないと思います、と不満そうに零した。


「さぁ、切り替えて雪しろ。情報が揃ったのだからまとめないと」


 ぱん、と碧緒が手を叩くと、雪しろは表情を引き締めて二種類の書類を置いた。一つは分厚い和紙一枚で、もう一つは普通紙が数枚束になっている。


「これは青梅様のお部屋から拝借した任命書です。この任命書から、本家お抱えの妖滅部隊のある三人が、とある任務についていることが分かります」


 和紙に筆で直筆された任命書を指差す雪しろ。任命書の氏名欄には三人分の署名と拇印もあった。


 次に雪しろはもう一つの書類を指して言った。


「その任務の内容が記されているのがこっちです。これによれば、この三人は足垂家から遠く離れた地で極秘任務に当たっているはずなんですが」


「でも、足垂家にいた」


 バサ、と雲雀がその横に紙の束を置いた。


「本家から足垂家に来ている人たちのリスト。この中にその三人が入っている」


 雲雀は紙をめくっていき、任命書に記された三人の氏名のところでそれぞれ手を止めてみせた。


「毎日欠かさずリストと本人の照合をしていたけれど、そのリストの誰一人として欠けたことはなかった。つてを辿ってみたら、ちゃんとこの三人がここに書かれた任務を遂行しているという事実確認もできた。つまり、今足垂にいる三人は誰かが成り代わっているってこと。この三人が潜入者だ」


 碧緒と雪しろはこくりと頷いた。


「うめ姉様が『足垂の地に潜入している不埒者』とおっしゃっていたから、『侵入』ではなく『潜入』している人間がいるのではないかと思ったのよ。それから『私の部屋に物は備えてあります』ともおっしゃってくださったから、うめ姉様のお部屋に全ての証拠が揃っているということも分かった」


「姉妹でそんな回りくどい言い方をする意味は?」


「今回うめ姉様はお父様とは道を違えていたから、直接的な表現はできなかったのよ」


「なるほど。でもよくその言葉がヒントだと思いましたね?」


「お父様もそうだけれど、うめ姉様は意味の無い言動をしないの。だからきっと意味があるはずだと思って聞いていれば、自ずと分かるわ。お二人とも言葉選びも慎重なのよ。今回みたいに『侵入』ではなく『潜入』を使うように」


「ひぇ〜。大変な家系だな」


 アタシには無理だね、と雲雀。隣の雪しろもこくこく頷いた。


「でも、青梅様もよく分からないお方ですね。竜樹様に従っているのに、こうして碧緒にヒントをくれたのですから。本家に加担しているというわけでもないのでしょう?」


「そうね。今回わたくしにヒントを与えてくださったのは、わたくしに気づかせて何かをして欲しかったからというのは分かるのだけれど」


「本当に回りくどいな。直接指示すれば良いのに。誤解していたらどうするんだ?」


「その辺りは碧緒のことを信頼しているということなのでは?」


「あぁ、まぁ、なるほど」


 二人が自分を見つめて頷き合うので、碧緒は小首を傾げた。


「では青梅様は何のために別の誰かが潜入していることを碧緒に気づかせたのでしょう? そして潜入しているのは誰?」


「それはこっちの書類で分かるかもね」


 もう一枚、雲雀が紙を置いた。こちらも任命書だが、雪しろが出した物とは体裁が違っていた。


「竜樹様の部屋から盗んできた任命書だ。足垂の妖滅部隊全員に向けられていて、例の三人を監視するよう書いてある」


「足垂家が監視しているということは、潜入しているのは足垂家の人間ではないということですね」


「わざわざ本家の人間に成り代わらせて潜入させてるんだから、本家の人間でもないんだろう」


「それから、うめ姉様とお父様の共犯でこの三人すり替えたということになるわ。本家の宰相であらせられるうめ姉様がこの三人を別の地へ行かせる任務を出し、成り代わった人間を、お父様が足垂の人間を使って監視。見事ね」


「しかし青梅様と竜樹様自らの打診で刷り替えたのにも関わらず、足垂家が監視しなければならない対象って? 自分の土地に潜入させるくらいだからある程度の信頼関係はあるはずなのに。一体どういう奴らなんだ?」


 三人はふぅむと首を傾げた。碧緒は唇に手を当て、雲雀の腕を組み、雪しろは床に手を突いてじっとすり替わっている三人の写真を見つめて。


「うーん、分からない。本家でも足垂家でもないならどこの奴だ? 網家か? 網家は確か足垂家と仲が良いだろ? けど竜臣様は網家出身だから何だかなぁ。角家? いやあそこは職人気質の頑固者か脳みそ筋肉野郎ばかりだから竜樹様とは手を組まなそうなうえに、本家には跡取りの銀竜様もいる。中子家は協力してもおかしくないけど、中子の祓滅部隊のアタシが気づいてもおかしくないからなぁ」


「私が奉公している添星家は保守的ですからそもそもこういう類のことには手を出しません。みぼし家ならあるいはというところですが、奉公人も含めた一族全員が妖物との混血であるみぼし家の人間は、足垂家の強力な結界に阻まれるか正体を暴かれてしまいますので違うでしょう。東の名を持つ家々は自尊心が高い人が多いですから、他家に協力することはまずないと思います」


 主要な家々の名前を連ねてみるが、どこもしっくりこない。


「いったいこの人たちは何者なのかしら」


 碧緒は潜入者が載った三枚の紙のうち、一枚を持ち上げた。


(貴方もだったなんて、伊沼)


 これを知った時、碧緒はすぐに窓を開けて伊沼を呼んだが、伊沼は現れなかった。


「いつも目にしていた人が実は得体の知れない人だったと思うと怖いですね」


 ぶるりと震える雪しろに碧緒も同感した。


 もともと軽薄で信用に足るのかどうか微妙なところではあったが、伊沼は優しかった。彼がいると思うと窓を開けるのが楽しみでさえあったのに。騙されていたと知ると途端に全てが疑わしくなってくる。気さくに話しかけ、優しく接してくれたのは自分との会話から足垂や本家の重要な情報を得ようとしていたからだろうか、と。


「碧緒の持っている紙の人、伊沼さんは一姫が話したことあるみたいでしたよね。確か、躑躅の」


「あぁ、躑躅の」


 雲雀は雪しろを指差して、そういえばとでもいうような顔をした。


「一姫が、そいつが折ったっていう躑躅の枝を碧緒に持ってきたんだったな。なおしてほしいとかで。実際は片付けておいてもらいたかっただけらしいが。今その躑躅は?」


「碧緒が気を込めてくれたので躑躅の低木の群の中に忍ばせておきました。来年には花もつくと思います」


 集中力が切れてきたのか脱線して話をする二人。


 考えても何も浮かばず疲れてきた碧緒も、何気ない二人の会話に耳を傾けていた。


 そうしてハッと気づいた。


「……西よ」


 雲雀がうん? と碧緒を見た。


 碧緒は唇に手を当て、書類をじっと見つめる目を見開いて言った。


「東方青竜一門ではないのよ。この方たちは西の方々。西方白虎一門の方々よ!」


 紙を床に叩きつける。確信して興奮している碧緒に対し、雲雀と雪しろは訳が分からないといった様子で首を傾げている。


「西方白虎の? どうして西の方々だと分かるんですか? 東方青竜一門でない可能性は分かりますが、北方玄武、南方朱雀一門かもしれませんよ?」


「方言よ。『なおす』は西の方では『片付ける』という意味なの」


 碧緒は書類の伊沼を指す。


 雲雀と雪しろはごくりと喉を鳴らした。


「ちょ、ちょっと待って。そもそも西方白虎一門とアタシら東方青竜一門は仲が悪いだろう? 足垂家に協力するようなことをするとは思えない」


「お父様は個人的に西の方々と仲良くしているわ。お父様の世代は四方四獣一門で交流があるの。お父様は西の方々に協力を依頼したのよ。間違いないわ。西の方々は潜入するのが上手いと聞いたことがあるの。他人に変装し、声色から性格まで何もかもその人に成り済ますの。本家の方々が気づかなかったのも納得だわ」


 二人は黙った。


 凍ったように固まる二人を尻目に、碧緒は頭を巡らせて次の手を考えていた。


「何かが起こる前に早くこのことを竜臣様たちにお話しないと。まずいわ。雲雀、隼で飛んで直接竜臣様たちのところへ行ってきてちょうだい」


 一刻も早く行動を起こす為、碧緒は立ち上がりながら雲雀に指示したが、雲雀はしり込みして腰を上げなかった。雪しろも碧緒の考えに追い付かず、不思議そうな顔をしている。


「直接じゃなくても早文を出したらどうですか? もしくは本家の方々に話して竜臣様たちのところへ行ってもらうとか。何も雲雀が行かなくても良いと思います」


「そうだ。アタシが行っても取り次いでくださるかどうか分からない。早文か本家のやつらに任せた方が」


「無理よ」


 碧緒はぴしゃりと言い切った。


「今頃竜臣様たちは早文の届かないところにいらっしゃるわ」


「早文の届かないところ?」


 雲雀は怪訝な顔をしたが、雪しろはハッとして口元を押さえた。


「今日の晩は西方白虎一門の御当主のお屋敷で会食です」


 雪しろの顔が青ざめた。


「じゃ、本家のやつらに連絡を」


「だめなのよ。今ここにいらっしゃる本家の方々は、誰一人として雲雀の隼のように足の速い式を持っていないのよ。足垂家には電話もないわ。貴方が行くしかないの」


 ここで初めて雲雀は青い顔をした。


「まさか! 本家と西との会食は仕組まれたことなのか? ここに派遣されてきた本家のやつらの人選も、初めから何もかもを想定して!?」


「そうでしょうね」


「そんなことができるのか!?」


「できてしまいます。足垂家には宰相・青梅様がいらっしゃいます。竜臣様たちが気づかないように人を入れ替えることも、人を選ぶこともできます。そして竜樹様は碧緒が生まれる前から儀式の計画を立てていたお方です。念には念を入れて、儀式が失敗した時のことも想定して計画を立てていたに違いありません」


 雪しろは自分で言っていて気分が悪くなってきたのか、額を押さえて首を振っている。


「何てことだ。本家の介入なんか誰も予想できなかったはずなのに。保険にしても周到すぎる」


 雲雀は身震いした。


「お父様やうめ姉様はそういう人たちよ。何もかもあの人たちの掌の上。竜臣様方が動けないこの好機を逃すはずがないわ。今に何かが起こる」


 碧緒は雲雀の腕を掴んだ。


「早く、雲雀。竜臣様たちに知らせてきてちょうだい」


 声を殺して指示をする。今度こそ雲雀は躊躇わず、頷いて姿を消した。


「西方白虎一門を巻き込んで何をしようと言うのでしょう」


「分からないわ」


 雪しろの問いに力無く首を振る。不安そうな雪しろを少しでも安心させられることを言えたら良かったが、今の碧緒には何も言えなかった。

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