第24話 人生の清算
【地鎮の儀】当日になり、奉公人たちは忙しなく歩き回っていた。本家の人間たちはいつもより多く碧緒の部屋の周辺に集まっており、こちらも落ち着きがない。
碧緒はというと、白装束を脱いで引き渡す役目を終えた後は自室に籠り、雪しろと雲雀と共に書類の山に囲まれていた。これは全て青梅の部屋に積み上げられていた書類だ。【地鎮の儀】のため青梅が部屋を空けたところを見計らい、掻っ攫ってきたのである。
三人はこの床がほとんど見えなくなるくらいの紙の山から、たった一つの情報を探していた。制限時間は青梅が儀式を終えて部屋に戻って来るまで。雪しろの体内時計では、それはもうすぐだった。
「碧緒、やっぱりこの量を短時間でどうにかするのは無謀ですよ。あと五分二十秒で儀式が終わる時間です。あぁ、話している間に五分十五秒に」
「泣き言を言わないの。うめ姉様がくださったお情けを拾わずしてどうするの」
めそめそと弱音を吐く雪しろを窘めると、雪しろは「だって」と情けない声を出した。
「本当に青梅様のお言葉は私たちへのヒントだったんですか? 思い過ごしではないのですか?」
「うめ姉様は意味の無いことを言わないわ。だって足垂の人間だもの。きっとあの時、うめ姉様は間接的にわたくしに潜入者を探せとおっしゃっていたのよ。儀式に参加され、お部屋を空けてくださっているのも至らぬわたくしへの慈悲に違いないわ」
「なんでハッキリ言わないんだ……もどかしい姉妹だな。しかもなんで潜入者を探さなきゃならないのかも分からない。そりゃ潜入してる奴がいたら気になるけれど、竜樹様やそれこそ知っている青梅様がどうにかすれば良い話だ。どうしてわざわざ碧緒が知らなきゃならないんだ?」
「何だったとしても、もう無理ですよぉ。青梅様が戻ってくるまでにこれを戻しておかないといけないんでしょう? 間に合いませんよぉ」
「二人とも、口じゃなくて手と目を動かすのよ」
一喝すると雲雀と雪しろは黙って書類に向き直った。
碧緒は焦燥で速くなる自分の鼓動を聞きながら書類の文字を追い続けた。
この書類ではない。この書類でもない。これでもない。これでも……。
「正午です」
雪しろがぽつりと呟いた。
雲雀は読んでいた書類を元の山に戻し、紙をじっと見つめたまま動かないでいる碧緒の肩を叩いた。
「碧緒、もう書類を元に戻さないと」
時間切れだった。しかし聞こえていないのか、碧緒の反応がない。
二人が眉を寄せて怪訝な顔をしていると、碧緒は顔を上げてにこりと笑った。
「あったわ」
「えっ」
雪しろは碧緒の手から紙をひったくった。雲雀も横から首を伸ばし、二人して内容を確認する。
確認を終えた雪しろは頬を引き攣らせ、雲雀はひゅうと口笛を吹いた。
「さっすが碧緒」
「すごいです! 碧緒!」
引きつった笑顔を徐々に解かした雪しろが碧緒に抱き着いた。
「うふふ。手伝ってくれた二人のおかげで見つけられたわ。さ、この辺りにしておいて早く他の書類を戻しましょう」
雲雀と雪しろはそれぞれ「了解」「分かりました」と返事をして書類の山を抱えた。碧緒は懐から人形を出し、呪いをかけようと手を添えた。
瞬間、どしん、という大きな揺れが屋敷を襲った。
「きゃぁっ」
「ひえっ」
碧緒は雪崩れてきた紙の山の下敷きになり、雪しろは盛大に紙を撒いて前のめりになった。間一髪のところで雲雀が受け止めていなかったら、雪しろは崩れた紙山に倒れ込んでいただろう。
「あっぶな。大丈夫か?」
「雲雀、王子様みたいです」
相変わらずの返答に雲雀は「はいはい」と適当にあしらいながら雪しろを座らせ、紙の下敷きになった碧緒の加勢に行った。
碧緒は雲雀の手を借りて紙の山から這い出すと、窓から外を見ようと移動した。
「一体何の揺れだったのかしら。前兆は無かったし、一度大きく揺れただけだから地震とは違うみたいだけれど」
揺れはもう感じられず、地響きのような音だけが聞こえている。大地の揺れというよりは大きなものが上から落ちて来たような衝撃だった。
窓の外の本家の人間たちも困惑している。
「もしかして」
何かに気づいたらしい雪しろが手を叩いた。
「この山の真の主が目覚めたのではないですか!? お話でそういうのがよくあります! ラスボスってやつです!」
「そうなのか?」
「この山を統べるのは白苔川の主で間違いないわ」
「だってさ」
「ちょっとがっかりです」
二人が逸れた会話を続ける間、碧緒は本家の人間たちの声に耳を澄ませていた。「御当主様が」「川が」「くすべ様が」「儀式が」そんな単語が聞こえてくるが、文章としては聞き取れなかった。ただ本家の人間たちも驚くことが起こっているということだけ分かる。
これはもしかしたら好機かもしれなかった。
「ねぇ雲雀。お父さまのお部屋に行って来てくれないかしら。もしお父さまがいらっしゃらなかったら、ある書類を探して持ってきて欲しいのだけど」
もしこれが誰も予想できなかった非常事態なら、竜樹は対処に当たるため最前線に出て行くはずだった。となると部屋が空になっている可能性は十分ある。
「分かった」
碧緒が探して欲しい書類の指示を出すと雲雀はすぐさま姿を消した。
「雪しろは書類を運んでくれる?」
こくりと頷き、雪しろはまき散らした書類を集めて部屋を出て行った。
碧緒も続きに取り掛かることにして、先程取り出した十枚の紙の人形に呪いをかけた。
ひらひら床に落ちた紙の人形は瞬く間に人の形を得た。顔は一枚の紙を垂らしているので分からないが、容姿は人と違わず、浅葱色のお仕着せも着ている。
「この書類をうめ姉さまの部屋に運んで」
碧緒が人形に指示すると、十枚の人形は無言で書類を抱えて部屋を出ていった。これで書類は全て青梅の部屋に戻ることになる。
最後の人形が部屋を出て行くのとほぼ同時に、青灰色のスーツを着た人物が両手を広げて出入り口を塞いだ。
「やっぱりいるか」
くすべだった。くすべの後ろには青灰色のスーツを着た男が二人いる。
「くすべ様、どうしてここへ?」
何かが起こった時に彼が来るような気がしていたので、碧緒は平然と問いかけた。
くすべは胸の前で腕を組むと、壁に寄りかかって片方の口角を上げた。
「問題の一つを解決しにね」
「問題の一つとは何ですか? 何が起こっているのですか?」
質問するとくすべは待ってましたと言わんばかりの笑みを浮かべた。
「川を潰したんだ」
「何ですって!?」
碧緒は驚愕した。
震える手で口元を覆って青い顔をする碧緒に対し、くすべは至極楽しそうな笑みを浮かべた。
「白苔川だっけ? あの儀式の川の水を上流で食い止めたり、別のところに流したりしたんだ。今日の午前まであったあの谷川は見る影もないよ。もちろん怪我人はいないから安心しなよ」
くすべはしばらく碧緒を観察して言葉を待ったが、少しも経たないうちにしびれを切らして不機嫌そうな表情になった。
「どうしてそんなことを? とか聞かないわけ?」
碧緒は震える手をゆっくりと下げて言った。
「足垂が【人身供物廃止令】に従わなかったからですか。制裁兼、足垂の【人身御供の儀】を無くすための策。お定まりに厳しい足垂は、あの川を潰してしまえば【人身御供の儀】を止めざるを得ません」
「つまんない女」
くすべは棘を隠そうともせずに吐いた。
「アンタの言う通り。時間や場所、先人たちの決めた『定め』に拘る足垂家にしか通用しない手だろうけどね。どっか別のところでやろうってんならまたそこを潰してやるだけだけど、足垂に限ってそれはない。そうだろ?」
碧緒は頷いた。はは、とくすべは渇いた笑い声を上げる。
「アンタら頑固だし、いろんな策を講じて自分たちの思い通りにしようとしてくるけど、性格は分かりやすいんだよね。足垂の人間は過去に逆らえない。『定め』に従わざるを得ない。そういう性格だ。だからその『定め』をぶち壊してやった。感謝しなよ。もうアンタみたいに生贄に選ばれて苦しむ人間がいなくなったんだからさぁ」
弓なりに曲がった口角と目が悪魔のようだった。
何も言えなかった。くすべの言うことは正しい。強硬手段のおかげで金輪際儀式について悩んだり悲しんだりする人間はいなくなるだろう。皮肉なことに碧緒も救われたのだ。
「足垂が従わなかったから他のところも従わなかったけど、これで随分動くようになるかな。足垂が屈服した。それも話し合いではなく、儀式の場を潰されて。もしこのままオレたちを拒否し続ければ、自分たちも同じようになるって他のやつらは思うだろうな」
くすべは楽しそうに笑っている。【人身供物廃止令】を推し進められる喜びではない。難攻不落の足垂家を従わせたことにより、掌を返すようにこちら側へ雪崩れ込んでくるであろう者たちの顔を想像して笑っているのである。
「くすべ様」
静かに話を聞いていただけだった碧緒が凛とした声を放った。
「地形を変えるということがどのようなことかお分かりですか? 地形を変えれば生態系が崩れます。行き場を失った動物たちが山を下りるかもしれません。それだけでなく、龍脈も変わる可能性があります。龍脈が変われば妖物たちも住処を変え、今まで淀みなく清らかだった山が穢れてしまうかもしれないのですよ」
碧緒は真っ直ぐくすべを見据えた。
これは看過できない大事だ。現状維持で均衡が保たれているものを崩したら綻びが現れるに決まっている。手を加えた分と相応の代償を払わねばならないだろう。それを人間が払うのか、動物が払うのか、はたまた妖物が払うのかは分からない。
「アンタ、そういう顔も出来るんだ」
くすべはそう呟いてから言った。
「オレたちの招いたことだ。大事になりそうなら手を貸すよ。けど、オレたちは手段を択ばないからね」
分かってると思うけど、と付け足したくすべを後ろに立っている男が呼んだ。
くすべはさて、と壁に預けていた身体を離した。
「オミやギンが戻ってきたみたいだし、オレは行くよ。言っておくけど、川を潰そうって言ったのはオミだからね。アンタもオミの女になるならそういう男だってこと知っておいた方が良いよ」
踵を返し、くすべはスーツの男たちと共に去って行った。
碧緒は脱力し、額に手を当てて目を閉じた。
竜臣という人物がどういう人物なのかは分かっているつもりだった。彼は決して偉業とは言えぬような荒業で数々の窮地を潜り抜けている嫌われ者の【竜の子】だ。そんな男のところへ嫁ごうと決心したときにどんなことも受け止める覚悟をしたはずが、どうにも感情の折り合いがつかなかった。竜樹も強引で手段を択ばないが、体裁を整えようとする分常識の延長線からは外れなかった。しかし、竜臣は簡単に人理も人智も越えて来る。なんという人なのだろうと碧緒は軽く首を振った。
コンコンコン
戸を叩く音が聞こえてきて、碧緒は雪しろあるいは雲雀だろうかと顔を上げた。するとそこには青梅が立っていた。
碧緒は慌てて立ち上がった。青梅が無言で座るよう促してきたので文机の前に座ると、青梅は文机を挟んで碧緒の正面に座した。
「抜かりましたね」
「え?」
青梅の至極冷たい声が碧緒の胸を貫いた。
「言ったでしょう。貴方次第で物事の印象が変わり、結果でさえも変わると。竜臣が川を殺したのは貴方の所為ですよ」
「わ、私の、所為……?」
顔面蒼白になって震える声を出す碧緒。
青梅は頷いて続けた。
「竜臣がこれまでしてきたことを知っている貴方なら、彼がどんな強硬手段に出るか予測できたはずです。そうでしょう」
確かに予想できないこともない。己に対峙する竜臣が優しいものだからすっかり失念していたが、竜臣は過去に何度も地形を変える強硬手段を決行してきた人物であった。話し合いで思い通りにいかないのなら、いつもの強引な手段を取るに決まっている。
「今回の件を、貴方は容認出来ますか?」
「いいえ」
即答した。人としての意義や責任を徹底的に叩き込まれたからか、碧緒は今回の竜臣の行動に納得できなかった。それこそ川を潰すようなことをやってのけられるのなら、害を最小限に抑えた方法も実行できたはずなのである。
答えを聞いた青梅は頷いた。
「碧緒。人を愛しても盲目になってはなりません。添い遂げるつもりであれば尚更です。竜臣の部下でもなければ子でもなく、友人でもない妻という存在を望んでいるのであれば、彼を支え、御さねばならないのです」
いくら愛する人と言えど許せないものは許せない。いけないことはいけないと言ってやらねばならない。
碧緒はずっと竜臣の傍にいる自分の想像ができないでいた。自分が竜臣に対して出来ることは何もないと思っていたからだ。しかしそうではないらしい。放っておいたらやりすぎる彼がやりすぎないよう制御することこそが、碧緒の役目なのかもしれなかった。
【竜の子】を【人】に繋ぎ止める【枷】。それが自分に出来る自信はないけれど、誰かがやらねばならないと言うならば、承ろう。碧緒はそう思った。
「これからはよく考えて行動なさい。近く、貴方には今回竜臣がしでかした分を清算してもらいます。彼の愚かな竜は貴女を想って悪しきことをしたのですから、貴方が代わりにはらいなさい。夫婦というものはそういうものです。頑張りなさい」
青梅はそう宣言して部屋を出て行った。
一人残された碧緒は改めて稀代の才女青梅に敬服した。
(私はずっとうめ姉様の掌の上で転がされているだけなのかもしれないわ)
青梅が望んでいる通りに行動している気がする。他人の言動や心理まで操るのは足垂の得意分野だ。青梅は竜樹以上にそれが上手かった。
竜樹と青梅の見ている先が異なっていることにここにきて気づかされた。竜樹には竜樹の、青梅には青梅の考えがある。青梅は足垂の当主に倣う姿勢を示しながら腹の底では別のことを考えている。親子で腹の探り合い、姉妹で腹の探り合いをせねばならないというわけだ。
恐ろしい家に生まれてしまったものだとため息を零したが、碧緒はすぐさま切り替えて青梅の言葉を反芻した。
(清算。竜臣様が激高されるようなこととは一体何なのかしら)
再び青梅が残してくれた『ヒント』を思案する。
それよりも碧緒はそろそろどうするかを決めねばならないが、新しく気になることが出てきてしまったのでそれどころではなくなってしまったのだった。
残り四日。青梅が作ってくれるという時間の中で、碧緒はそれこそ今ある全てを清算せねばならなかった。
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