第21話 初めての願い事

 思い通りに事が運んだ。一姫は自ら竜樹のところへ行ったのではない。碧緒がそう仕向けたのだ。


 己の出生について知れば、一姫は必ず竜樹のところへ行くと思った。だから奉公人たちに己の母と一姫の母の噂を流させ、敏い友人たちが気づくことを信じて間接的に一姫に出生について伝えた。案の定二人の友人は気づいてくれ、一姫を竜樹のところへ行くよう促してくれた。絶望した一姫はきっと自分も連れて出て行こうとするだろう。それを拒否して彼女の気を乱す言葉をかければ、一姫の不思議な力が騒動を起こしてくれるかもしれない。そうでないにしても自分を連れて足垂から逃げるなんて不可能なのだから、見つかって拘束されるだろう。そしておそらく、父は地下牢に一姫を拘束する。


 ここまで全て碧緒の読み通り。


 これくらいの未来なら見通せるし人を繰ることも出来た。何故なら碧緒は足垂の女だからだ。


 とはいえ足垂の女として中途半端な碧緒は心の底まで竜樹や青梅のように割り切ることが出来ず、大事な妹を傷つけてしまったことに罪悪感を覚えていた。これで良かったのかと何度も自問自答する。竜樹や青梅のようにもっと賢ければ、一姫を傷つけずに済んだだろうか。あるいは竜臣のように大きな力を持っていれば、一姫を攫って一緒に逃げることが出来ただろうか。そんなことを延々と考えてしまう。


 文机に置いた文を触る。


 青梅から返却された、碧緒が青梅に宛てた手紙だ。手紙には自分の代わりに一姫の将来を案じて欲しい旨をしたためた。


 自由な一姫には足垂は生きづらい。足垂から逃がしてやりたかった。だから碧緒は竜臣と一姫を会わせることにした。


 本家の三人の予定を把握しているため、竜臣と会わせる計画を練るのは難しくなかった。


 しかし。


 竜臣と一姫が出会えばきっと竜臣は一姫の能力に興味を持つだろう。可哀想な自分を助けてくれたように、一姫が酷い目にあえば本家で預かってくれるだろう。あわよくば自分を助けるために花嫁に添えようとしたように、一姫を花嫁にと考えるかと思ったのに。一日経ったが一姫について本家からの音沙汰はない。ここのところは読み間違えた。青梅や竜樹のようにはいかないらしい。


 再度ため息を吐く。もやもやしていてずっと気が重い。


 碧緒はおもむろに立ち上がった。肩にかけていた羽織を直し、部屋に一つだけある小さな格子窓の前までふらふらと歩く。


 格子窓には伊沼からもらった猫が二つ置いてあった。一姫に渡しそびれてしまったので二つとも飾っておいたのである。


「どうかしましたかお嬢さん。昨日はすごい騒ぎでしたね。俺は別のところにいたので詳しく知らないのですが、お嬢さんが浮かない顔をしている程のことがあったのですか?」


 ひょこりと視界に伊沼が入り込んできた。


 闇の中から姿を現した伊沼は相変わらず軽薄だった。けれど今の碧緒にはその軽さと明るさがありがたかった。


「妹が牢屋に連れていかれてしまったの」


「牢屋ですか!? それは可哀想に」


 驚いた表情を見せてから、心配そうに眉を下げる伊沼。ただ大げさに動きをつけているのではなく、心の底の感情を表現していることが分かるから憎めない。


 碧緒は一つため息を落とした。


「私の所為なの」


「お嬢さんの所為なんですか?」


 頷いて顔を伏せると伊沼は碧緒の手を取った。


 碧緒はびっくりしたが表情は崩さず、掴まれた自分の手と伊沼の顔を交互に見た。


「俺に出来ることなら何でもします。頼ってください」


 真っ直ぐな瞳が眩しい。


 自分のためにこう言ってくれる人がいるのが嬉しかった。本当にどうにか出来るのかは二の次で良い。不可能でも何でも良い。力になると言ってくれるだけで、碧緒の心は満たされるようだった。


「ありがとう」


 自然に笑みを零し、碧緒は伊沼が掴んだ手を引き抜こうとした。


 しかし抜けなかった。どんなに引っ張ってもビクともしないのである。


「何をしている」


 突然ぬっと竜の頭が現れて伊沼を格子窓の外へ追いやった。


 まさか竜臣がいるとは思わなかった碧緒はこれまた驚いた。いつの間にやって来たのだろうか。


「これはこれは竜臣様。こんばんは。夜遅くに何の御用で?」


 にこやかに問いかける伊沼を竜臣は真っ赤な目で睨んだ。


 握られた手を見られたような気がした。碧緒は誤解されてはまずいと思い、二人が睨み合っている隙に手を抜こうとしたが、やっぱりどうにもこうにも不可能そうだった。


「彼女が俺の妻になる女だと知っていて手を出しているのか?」


 『俺の妻になる女』という表現に碧緒の身体は熱を帯びた。時々竜臣はくすぐったくなるような熱い言葉を投げてくる。


 文字通り手を出している伊沼はというと、平然とした態度を崩さず、手も離さないのであった。


「トラブルばかりの男が夫になるなんて、お嬢さんが可哀想だ」


 そればかりか無礼なことを言う。当主に向かってなんてことを言うんだと碧緒は目を大きくした。


 竜臣は部下の失言に対して寛大な心も持って対処する。と思いたかったが、竜臣から怒気を孕んだ空気が流れて来るのに気づいてこれはまずいと感じた。


「竜臣様。あの、どうして竜のお姿なのですか?」


 こういう時は話題を変えるに限る。


 竜臣の興味は碧緒に向いてくれた。


「この姿の方が君と目が合う」


 つぶらな瞳がぱちりと瞬きをする。


 そうだっただろうか。話すときは相手の目を見てしっかり話すことを心掛けていたはずだが。


「とんだご無礼をいたしましてすみません」


「謝らせるなんて酷い。お嬢さんが可哀想だ」


「伊沼! めっ!」


 思わず伊沼を諫めてしまった。しかし伊沼は「怒り慣れていないんですか? 可愛らしいですね」とはにかむだけで碧緒の意図を全く分かってくれなかった。末恐ろしい男だ。


「ねぇお嬢さん。竜臣様ではなく、俺にしておきませんか? 俺だったらお嬢さんの願いをすぐに叶えてあげますよ。もちろん、小さな願いから大きな願いまで何でもです」


 じっと目を見つめながら掴んだ碧緒の手に唇を落とす伊沼。ただの一度もぶれない熱を持った瞳や過度な触れ合いに全く慣れていない碧緒は顔を真っ赤にした。


「離れろ」

ゴウッ


 竜臣から突風が吹き、瞬く間に伊沼が吹き飛ばされて闇の中に消えてしまった。伊沼の無事を確かめるために窓から身を乗り出そうとしたけれど、竜の頭が窓を塞ぐように突き出してきて出来なかった。


「君の願いは何だ」


 唐突な問いに、え、と口の中で言葉が弾けた。


「俺が叶えよう。君の願いは何だ。してほしいことを言ってみろ」


 願ってもない申し出だったが碧緒は戸惑った。


 今の碧緒の願いは一つ。一姫を足垂から連れ出して欲しい。


 けれどそれをはっきりお願いしてしまって良いものなのだろうかと躊躇した。碧緒はそれとなく自分の願いを叶えてもらえるよう仕向けたことはあっても、面と向かって誰かにお願いをしたことは一度もなかったからだ。それにお願いをして竜臣に我儘な人間だと思われるのが嫌だった。だから碧緒はすぐ口に出せなかった。


「俺には叶えられないと思っているのか」


 しびれを切らした竜臣が顔をぐっと近づけて来る。


 碧緒はどぎまぎして「い、いえ」とか細い声を出した。


「貴方様にわたくしの願いを伝えるなんてことがあっても良いのかと……」


「遠慮するな。言え」


 本当に言っても良いのだろうか。しかし、言うように言われたのだから良いのだろう。


 碧緒は勇気を振り絞って言った。


「一姫を。一姫を足垂から出してあげてください。竜臣様の……」


 花嫁に、と言おうとした言葉がつかえて出てこなかった。


 何故声が出なかったのか、と自分に問いかけるくらいには、碧緒は自分の気持ちを自覚していなかった。


「そうして今後も俺を頼れ。君の願いを叶えられるのは俺だけだ」


 竜臣はそう言い残し、突風と共に消えてしまった。


 碧緒は一気に気が抜けてへたりとその場に座り込んだ。


「碧緒」


 呼ばれたことで何処かに飛んでいっていた意識が戻って来た。


「うめ姉さま」


 窓枠に手を突いて立ち上がると、先程まで竜臣がいた庭には青梅が立っていた。


「御当主様は何処へ?」


「分かりません。突然、いなくなってしまわれました。うめ姉様こそ、どうしていらっしゃるのですか?」


 珍しく青梅はため息を吐いた。もちろん無表情だったが。


「ご当主様がいらっしゃると聞き、彼に苦言を申し入れようと来たのですが。そうですか。本格的に、足垂の地に潜入している不埒者より、毎日悪戯に結界を破っては消えるあの竜を撃退せねばならないのかもしれませんね」


 竜というのが竜臣を指していることは明確だった。しかし、「足垂の地に潜入している不埒者」とは一体全体誰のことを指すのだろうか。碧緒は心の中で首をひねった。


「碧緒。貴方が邪魔だと言うのならどちらも蹴散らしますが、どうしますか? 罠を張って捕まえてやっても良いですよ。それとも自身でどうにかしたいですか? 私の部屋に物は備えてありますから、こっそりやってきたら譲りますよ」


 碧緒は考えあぐねた。


 青梅は冗談を言わない。本気で竜臣を蹴散らすだろうし、竜臣を捕まえるための罠も仕掛けるだろう。竜臣が易々と青梅にしてやられるとは思えなかったが、稀代の天才青梅ならやり遂げかねない。


 大事になると困るので碧緒は首を横に振っておくことにした。竜臣が怪我でもしたらと心配だった。


「そう。貴方が拒否するのなら私は何もしません。残念ですが」


「うめ姉様は竜臣様がお嫌いなのですか?」


「いいえ。むしろ手段を択ばず思う侭に行動する点は好いています。……そんな顔をしなくとも、色恋沙汰ではありませんので安心なさい」


 碧緒は慌てて顔を手で覆った。恥ずかしい。どんな顔をしていたというのだろうか。


「貴方は自分で思っているより数段、人も妖物も寄せつけます。それも厄介なものを。気を付けなさい」


 そう言い残し、青梅は踵を返して行ってしまったのだった。

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