第19話 越えられない覚悟
話が終わると竜臣は潔く退室した。残った一姫は先ほどの竜樹の言葉を一旦忘れることにして、ここへ来た目的を果たすことにする。普段は会うのも避けている竜樹のところに自らやってきたのは言及したいことがあったからだ。
緊張はしない。頭は冷えていて、腹の底にはマグマのようなものが煮えている。だから一姫は強い口調で言った。
「お父様にお聞きします。お父様にとって娘とは何なんですか?」
「何が聞きたい」
「子どもというのはどうして生まれて来るんですか? 望まれたから生まれて来るんですよね? 青梅姉様も蒼春姉様もたま姉も私も望まれて生まれてきたんですよね?」
「だから、何が聞きたいんだ」
ぶるぶると一姫の身体が震えている。握った拳から血が出ている。強く握って爪が皮膚を割ったのだ。
「青梅姉様は足垂家の跡取りに、蒼春姉様は足垂家とどこかのお家の仲を取り持つためのお嫁さんに。そしてたま姉は……」
一度言葉を切る。顔に再び躊躇いの色が浮かんだが、一姫はすぐに意を決して口を開いた。
「たま姉はあの儀式のために生まれたのですか?」
悲しい声だった。血を流してまで怒っていた顔が今にも泣きそうな顔になった。
竜樹は手を組み、じっと一姫を見つめたまま表情一つ動かさない。一姫はぎゅっと目に力を入れてから、もう一度問うことにした。
「たま姉は生まれた時から……生まれる前からもう、儀式のために死ぬことが決まっていたんですか?」
自分で行きついた答えではない。雪しろに教えてもらったのである。
雪しろは言った。
足垂竜樹は用意周到、深謀遠慮な男である。そんな男が五十年に一度足垂家で行われるという儀式を前もって準備していないわけがない。当主になった頃には当然儀式について把握し、計画を立てたはずである。その計画の中で最も難解なのは人身供物となる娘の選定であろう。実際足垂家では娘の選定に三日かかっていた。犠牲となる娘を選ばねばならない、その難解に手を打たない竜樹ではない。故に竜樹は用意していたのだろう。自分の娘を儀式の主役として迎える答えを。そのための娘を用意することを。
「たま姉が赤ちゃんの頃からてい宿で過ごし、高校も足垂家から離れたところで、お母さんさえもいないのは、儀式で犠牲になると決まっていたからなんですか?」
足垂家から離れていれば奉公人の誰かが反発して謀反を起こすようなことはない。母親がいなければ、母親が反対して無謀なことをすることもない。碧緒の一生が、何もかもが、計画されたことのように感じられた。
すぅ、と竜樹が息を吸う音が聞こえてきた。
「……あれの母は聡明で敏い女だった」
ゆっくりと唇を動かし始める。
「俺が三人目を産むよう言った時、はじめは喜んでいた。子の好きな女だったからな。しかし女を産めと俺が言うとすぐに顔色を変えた。そうして家を出ていったのだ。あの女は知らねばならんことだからと蔵や書庫の書物を読み漁っていたからな。儀式に関する物でも読んだのだろう。それで俺の意図に気づいたのだ。俺が生まれてくる娘を儀式のための娘にしようとしていると」
一姫は唇を噛んだ。涙が溢れそうだった。
「あの女が出ていってから俺は二人目の妻を迎え、子を産むよう言った。女が良いという話をしたら笑っていたな。お前の母は賢い女ではなかったが、はじめの女と同じで子の好きな女だった。素直に喜んでいたよ。俺は生まれてくる子を儀式の人身供物にしようと考えていたが、じきに産まれるという時に、出ていった女から連絡があった。あの女は娘を産んだと報告し、そして俺に交渉を持ちかけてきた」
視線を下げていた竜樹が一姫を見た。どくん、と一姫の心臓が跳ねた。
「娘は俺に渡す。その代わり追っ手を下げることと、桜と生まれてくる子には手を出さないでほしいと」
桜。それは一姫の母、つまり竜樹の二番目の妻の名である。一姫の母は碧緒たちの母と親友だった。一姫は母である桜から直接碧緒たちの母、菊乃のことも聞いている。
「俺はそれに応じた。すると後日碧緒と名付けられた赤子が送られてきた。俺は赤子をてい宿に預け、役目の日までそこで過ごさせることにした。あの女が誰も知らぬところで子を産んだおかげで、誰の目にも止まることなくあの隔絶された場所で育てられたのはかえって良かった。碧緒を儀式の人身供物にすると俺が言っても誰も異を唱えなかったからな。激しく反発したのはお前と……竜臣くらいだ」
竜樹の目がじっと一姫を見ている。一姫は目に力を入れて竜樹を見返した。
「お前がそうしていられるのは碧緒とあれの母のおかげだ。お前は一生かかっても返せない恩をその二人から受けている」
ぐ、と一姫の喉が鳴った。口を開いて言葉を発しようと試みるが声が出ない。竜樹はそれを見て椅子に背を預け、眉を少しだけ寄せた。
「その恩を少しでも返したいと思うなら、お前は動くな。お前が動くと厄介なことになる。お前は俺の計画には必要ない」
堪えていた涙が溢れて滝のように流れた。
「お父様は娘を、人を、何だと思っているんですか? 人は人形ではないんですよ? お父様の思い通りにしていいものじゃありません。たま姉はまるでお父様のお人形のようです。身体の自由も心の自由もなく、人生すら決められていたなんて。お父様は最高のお人形が出来て満足かもしれないけれど……」
「最高なものか」
竜樹は一姫が言い切る前に吐き捨て、腕を組んだ。
「青梅は女であることが間違いだった。蒼春は人であることが間違いだった。碧緒は竜臣やお前に会ったことが間違いだった」
竜樹は「それから」と一姫を睨んだ。
「一姫。お前は生まれてきたことが間違いだった」
どっと一姫の目から涙が流れた。
ひどく悲しく、辛かった。どんな父親であれ、実の父親に面と向かって生まれてきたことが間違いだったと言われて悲しくない子どもがどこにいるのか。一姫は今すぐ叫び泣いてしまいそうになる心をどうにか抑えて無音で泣いた。
「俺から見ればどれも欠陥品だ。しかし、欠陥品でも俺が生ませた子だ。最後まで責任は取る。最後まで、な」
目の前で泣く娘に一声かけるでもなく、竜樹は椅子に背を預けて淡々と続けた。
「俺は親として責任をもってお前たちをあるべきようにし、最後を決めてやっているだけだ。どれだけ中身がなく育っても、俺がお前たちの最初から最後までを決めてやれば、苦労はあれ生き場所や死に場所に困ることはない。俺は俺が用意した場所で生きるための術も身につけさせたつもりだ。いいか。親に従うことが悪いのではない。親が子を最後まで面倒見ずに放り出すのが間違いなのだ」
一姫はふるふると首を振った。
「そんなのおかしい。だってお父様が間違っていたらどうしようもないじゃない」
「俺は間違っていない」
「お父様はすでに間違ってるじゃない!! たま姉は儀式のために生まれて、まだ生きられるのに、お父様は殺そうとした! そういうのから守ってあげるのが親じゃないの!?」
「あれは別な話だ」
「別じゃないよ!」
バアンッ
突然竜樹の懐から爆発音が響き、強風が吹いた。風は竜樹が背にしていた窓ガラスをすさまじい音を立てて割り、重厚なカーテンを巻き込んで外へ逃げ出していった。
竜樹が着物の襟を引っ張って懐から巻物を出していた。巻物は至る所が破れて無残な姿になっている。
怒りで一姫の力が暴走し、竜樹様の式が逃げたのだ。一姫は契約した式の契約を破棄し、勝手に逃がすことも出来てしまうのである。
竜樹は机にぼろぼろになった巻物を放り投げ、小さくため息を吐いた。
「お前は何がしたいんだ」
「わたしはただ、たま姉に幸せになって欲しくて……」
「あれが幸せになるためならお前は何だってすると言うのか」
「もちろん!」
竜樹の冷えた瞳が一姫を突き刺した。
「お前が儀式の決定に反対し、直談判しにやってきたときのことを覚えているか? 碧緒をお役目から降ろさせろと言ったお前に、俺は、何と言った?」
一姫は答えられなかった。ただ唇を震わせ、苦しい胸を押さえることしか出来なかった。
「俺はならばお前が代わるかと聞いた。しかしお前は黙り、俺が部屋を出ていけと言ったら出ていった。お前の覚悟はその程度だ。あれの覚悟はもっと大きかったぞ。もし俺がお前を供物に選び、あれが直談判に来ていたら、あれは迷わず己の命を捧げただろうな」
思わず部屋を出て廊下を走った。
「……っ!」
また逃げてしまった。竜樹はきっと呆れていることだろう。
一姫はぼろぼろ涙を流しながら廊下を走った。
知っていた。自分に覚悟が無く、理想を口に出すだけというくらい。碧緒を助けるための計画を雪しろと雲雀と共に練ったのは罪悪感があったからだ。もちろん心から大好きな姉を助けてあげたい気持ちはあった。でも、父に直談判しに行った時に代わるかと問われ、思ったのは「生贄が自分じゃなくて良かった」だ。
でもきっとそんなことは誰もが思うはずだった。碧緒だって。
何せ碧緒の母が交渉しなければ、一姫が生贄になっていたのだから。生贄になった妹を前にすれば、碧緒だって「自分じゃなくて良かった」と思うはずだった。
一姫は廊下の突き当りまで来ると勢いに任せて戸を開けた。ピシャン、という大きな音を立てて開いた戸の音に驚いて部屋の中の人物が顔を向ける。
涙で顔をぐちゃぐちゃにした姿を見て目を瞬く碧緒。一姫は勢いに任せて言った。
「あのね、聞いて、たま姉。私たち、あの儀式のために生まれてきたの。儀式で人身供物になるためにお父様が産ませた子だったの。私たち、死ぬために、生まれてきたの……!」
碧緒はきっと驚いた顔をして悲しむのだろうと、一姫は思っていた。自分の運命を呪い、どうして自分だったのだと。妹ではダメだったのか、代わりに生贄になれば良かったのにと思うはずだと。
しかし。
「知っていたわ」
「え……?」
予想外の答えに一姫は目を瞬いた。
とめどなく溢れていた涙が止まった。己の中で暴れまわっていたものが静かになる。
瞬くと碧緒の顔がよく見えた。碧緒はどこか悲しそうな微笑みを浮かべていた。
「自分がどうして生まれたのかくらい、分かっていたわ」
にっこりと微笑む碧緒。それから碧緒は一姫の手を優しく両手で包み込んだ。
「私、高校生になった時にこの屋敷にある書物には全て目を通しているの。それまでてい宿にいたからあまり足垂家のことを知らなかったから、勉強のためにと思って。それで、六十年に一度人身御供の儀を行うことを知ったわ。その時は深く考えなかったのだけれど、一月の話し合いの後にお父様に呼び出されてお役目を言い渡された時、確信したわ。あぁ、私、このために生まれてきたのねって」
碧緒はいつものように笑っているはずなのに痛々しく見えた。いつもと同じ凛とした態度なのに、一姫は違和感を覚えた。
気持ちが悪い。ドクン、ドクン、と騒がしい自分の心臓の音が、目の前で話す碧緒の声を押しつぶす。
「仕方のないことだわ。そういう運命だったのね。でも、そのお役目がわたくしで良かった。一姫じゃなくて」
碧緒の声がどこか遠くで響いている。一姫は碧緒の言葉を理解することが出来ないでいた。
仕方がない、運命だった、一姫じゃなくて良かった……?
仕方がなくもなければそんな運命など受け入れられない。自分で良かったなんて以ての外だ。自分の命が無駄だったと知って、代わりに他人を助けられたからといって、目の前の人物は、笑っているのである。
どうしてそんな風に思えるのだろう。一姫には分からなかった。
「どうしてと言われても……。そうね、ただちょっとだけ覚悟は必要だったけれど、私は身を任せるのが得意だから……」
一姫が自分でも気づかないうちに声に出していた問いに碧緒は答えた。その、覚悟という言葉が一姫の頭の中に残った。
『覚悟の大きさが違う』
竜樹はそう言っていた。
一姫はようやく竜樹がそう言った本当の意味が分かった。確かに自分と碧緒の覚悟には天と地ほどの差がある。碧緒は全てを理解したうえで竜樹の命を受け入れたのだ。
逃げ出した自分と違って。
頭の中がぐちゃぐちゃだった。飲み込めない。頭を整理して考えようとしているのに、腹から沸き上がった怒りと胸の内から溢れる悲しみが邪魔をする。
「どうして……どうして……?」
分からない。受け入れられない。現実も、自分自身も。
何が良いことなのか、何が悪いのかすら。
一姫の頭の中はこんがらがって、冷静に考えられなくなっていた。
だから単純な答えを出した。
「全部この家が悪いんだ……。お父様がこういうふうにしたから……!」
「一姫!?」
ぶつぶつと呟く一姫の足元でつむじ風が渦巻いている。まずいと思った碧緒が手を伸ばす前に、それは牙をむいた。
「きゃぁっ!」
一姫の身体から放たれた暴風が碧緒を直撃し、身体を宙に飛ばしたのだった。
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