第18話 誰が回した歯車だろう

「お待ちしていました」


 一姫は軽く頭を下げた。


 竜臣が赤い瞳をつい、と一姫に合わせた。


 夕刻、門前。一姫は本家からやってくる人物をずっと待っていた。すると空から竜臣が降り立ったのであった。


 一姫には本家の人間に協力してもらいたいことがあった。だから寒空の下で震えながら待っていた。話を聞いてくれるのならくすべでも銀竜でも良かったのだが、竜臣とは好都合。


 しかし竜臣は返事をすることなく、まるで興味のなさそうな無表情で一姫の眼前を通り過ぎようとした。


「ま、待ってください!」


 一姫は慌てて竜臣の目の前に立ちはだかった。


「頼みたいことがあってお待ちしていました。これからお父様のところへ行かれるんですよね? 私も一緒に行かせてくれませんか?」


「断る」


 きっぱり言い捨てられて心の中で唸った。


「そこをなんとか、お願いします」


 頭を深く下げて懇願する。どうか、どうか少しだけで良いから協力してほしい。大好きな碧緒のためにも。


 だが竜臣は一姫なぞ目に入っていないようだった。返事がないので顔を上げてみると、竜臣は敷地内に施された結界を腕で割いて強引に破っているところだった。


 まるで話を聞いてもらえない。一抹の興味さえ持ってもらえないなんて。碧緒はどんなことにも聞く耳を持ってくれるのに。こんな人が大好きな姉の夫になるなんて、と不満が湧いた。


「ご当主様! 私の話を聞いてください! どうか、たま姉のために!」


 ようやく竜臣の視線がこちらに向いた。手は相変わらず結界を破っている最中だが。


「私、たま姉と……自分のことで、お父様に確かめたいことがあるんです。もしお父様がお認めになったら、たま姉と私はここから逃げなければならない。だからそうなったら私はたま姉をこの家から出してくれる本家の人たちに協力します!」


「お前の協力など必要ない」


「そうでしょうけれど! 私だってちょっとは役に立てます!」


 バン、と一姫は門を叩いた。するとたちまち敷地を囲うように張られていた結界が解かれ、竜臣の侵入を拒んでいた目に見えない壁が消え去った。


「ね? 屋敷の結界も私が解いてみせますよ」


 一姫は得意げに胸を張った。結界を解くのは一姫の得意技だ。触っただけでどんな結界も解いてしまうので日ごろは決して動くな、触るなと厳重に注意されている身だが、こういう時は役に立つ。


 竜臣は赤い瞳で一姫を一瞥すると、すたすたと行ってしまった。一姫は「あっえっ」と驚いた声を出して焦って追いかけた。竜臣の長い歩幅についていこうと思うとほとんど駆け足だった。


 それから幾度となく足垂家の妖滅部隊や奉公人たちが竜臣を止めようとしたが竜臣は歩調を緩めることもなく。屋敷の前まで来たところで、竜臣はようやく一姫を振り返って言った。


「結界を解け」


 何を偉そうに! と思ったが、相手はお偉いご当主様である。まぁ致し方ないかと考え直しながら扉に手を突いて結界を解いてやった。


 竜臣はまたお礼も言わず、挨拶もせず、引き戸を開けて屋敷に侵入した。居合わせた奉公人が悲鳴を上げて逃げていった。妖滅部隊がどこからともなく湧いて出てきたけれど、見えない力に弾き飛ばされた。


 一姫は姿勢を低くしてビクビク怯えながら竜臣の後ろをついていった。碧緒のように強くて綺麗なんて感想は微塵も浮かんでこない。ただただ恐ろしかった。それでいて無礼で非情な態度に呆れもする。利害の一致ではあるが協力してあげたのにお礼もなく、挨拶もしないで堂々と屋敷を闊歩し、あもすもなく足垂の妖滅部隊を吹っ飛ばしているなんて。本当にこんな男があんなに清く正しく美しく優しい姉の夫になるのか!? 自分の義兄になるのか!? 絶対嫌だ! もしこの屋敷を連れ出してもらっても、また姉を連れ出して逃げなければならないかもしれなかった。


 そんなことを考えていると足垂家当主の部屋に着いた。さすがに竜臣はノックし、(けれど返事は聞かずに)扉を押し開けた。


 当主の部屋は柱が暗い色で壁が白く、家具も暗い色の木で統一しており大正時代を思わせる。部屋の手前ではローテーブルを挟んでソファが向かい合い、その奥にあるデスクの向こうの椅子に恐ろしい顔をした竜樹が腰を下ろしている。両脇の壁は背の高い本棚が埋めていた。


 一姫が竜樹の怒気に圧されてしり込みしている間に、竜臣はソファを回り込んで竜樹のデスクの前に立った。一姫も縮こまりそうになる心を叱咤して、そろそろと竜臣の隣に立つ。


「何用だ」


「碧緒を俺に寄越せ」


「あれの名前を易々呼ぶな!」


 大きな音を立てて机を叩き、竜樹は立ち上がって竜臣と対峙した。一姫はいつも冷静な竜樹がこんなに怒るなんて、と内心驚き震えた。


「あれだけはやらん! 貴様には絶対に! さっさと帰れ!」


「お前ももう歳だろう。あまり叫ぶと死ぬぞ」


「まだ五十手前だ!」


「人の平均寿命は八十前後と聞いた。あと四割がたしか残っていないんだ。お前が死んだら碧緒が悲しむ。命は大切にしろ」


「だからあれの名を呼ぶなと!」


「お前が死んで守れなくなる前に碧緒を俺に寄越せ」


「くそっ! 貴様と話しているとおかしくなる! そういうところだけ育ての親に似おって!」


 竜樹はどさりと椅子に腰を下ろし、頭を抱えて大きなため息を吐いた。


 父のそんな姿を見るのは初めてだった一姫は、竜樹と竜臣を交互に見てこんなことがあるなんてと不思議な気持ちになっていた。


 普段は感情を表に出さない淡々として声で伝えたいことだけを話し、雑談なぞには時間を割かない竜樹がコント紛いの会話をしているだけでも不思議なのに。激昂したりため息を吐いたり、鋼の理性が乱気流に乗っている。


「……竜臣。お前ならすぐにでもあれを攫えるのに、どうして攫わず俺のところへ来るんだ」


 ぼそり、と呟いた声にまたもや驚かされる。


「人間が結婚する際は親の許しが必要だと聞いたからだ。攫って良いなら攫わせてもらうが」


「……どうして碧緒なんだ」


「目が離せないからだ。碧緒はすぐに死にかける」


「あれの死が遠ければ貴様は興味を無くすか?」


「いや。一度持った感情が無くなることはない。お前の方がよく分かっているだろう」


 はぁ、とまた竜樹の口からため息が漏れる。


「お前たち竜は過保護すぎる。しかしお前の半分は人間なのだから冷静に判断したらどうだ? 嫁が欲しいなら蒼春をやる。老若男女問わず虜にする美姫だぞ。そこの一姫でも良い。半分妖物のお前には、一姫の能力は相性が良いのではないか?」


 名を出されて思わず一姫の口の中で「えっ」という言葉が弾けた。この人と結婚? と竜臣を見上げてみるものの、竜臣は一瞥もくれない。


「他には興味が無い。碧緒は俺が知っている人間の中で最も美しい。竜の目で見ろというのなら、碧緒ほど妖物にとって良き女はいない。もう一度言う。それはお前が一番分かっているだろう」


 何を言うか考えているのか、それとも言おうか言わまいか迷っているのか、竜樹はしばらく黙っていた。


 そうしてややあって口を開いた竜樹は、一姫には分からないことを言った。


「……あれを創ったのは俺ではない。俺を御するため……俺とお前を御するために青梅が創ったのだ」


 

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