第14話 探る乙女たち

「たま姉、御当主様と結婚するの?」


 一姫は真剣な顔で言った。


 癖のない髪を高い位置で一つに結い上げ、白いブラウスにジーンズをはいている。一方碧緒は癖の強い髪をそのままに、白装束を着ていた。


 二人は文机を挟んで向かい合っている。文机の上には一姫が持ってきてくれた足垂の奉公人手作りの羊かんと、湯気の立つ煎茶の入った湯呑が置かれていた。


「たま姉は結婚したいの?」


「そうねぇ。いずれはしたいと思っているわ」


 適当にはぐらかして羊かんを口にする。それから湯呑を手に取り、煎茶を飲んで一息ついた。


 一姫は碧緒の言葉を待っていたが、しびれを切らして前のめりになった。


「そうじゃなくて、たま姉は御当主様と結婚したいのかって聞いてるんだけど。命を助けられた人に言われたからって、無理してない?」


「どうしてそう思うの?」


 う、と一姫は言葉を喉に詰まらせ表情を曇らせた。言いにくいことのようだ。それでも「あのね」と話してくれる辺り、碧緒と一姫の信頼は厚い。


「豊さんたちが言ってるの」


 豊というのは足垂家に仕えている奉公人で、女中をまとめている七十過ぎの老婆である。


「今の御当主様は恐い人だって。いくら命を助けられたからって結婚なんかするもんじゃないって。そんな人のお嫁さんになったら苦労するに決まってるって」


「東方家当主の妻になるのだもの。苦労するに決まっているじゃない」


「そりゃそうだけど、竜臣様は特別なんだって。特別恐い人だから特別苦労するんだって」


「あら。特別な人の妻になれるなんてすごいじゃないの」


 ふふふと笑う碧緒に、一姫はむっと頬を膨らませた。上手く気持ちが伝わらないことをもどかしく感じているのだろう。一姫は足垂の娘だがとても分かりやすかった。


 碧緒と一姫が出会ったのは二人が五つの時だった。竜樹が一姫をてい宿に預けにやって来たのである。竜樹はまだ五つの碧緒に、一姫は碧緒と同じ年で母の違う妹だということと、碧緒の実の母は碧緒を生む前に足垂を離れていることを告げた。


 衝撃的な事実を伝えられたにも関わらず、碧緒は特に何も思わなかった。幼かったということもあるが、赤ん坊の頃からてい宿に預けられていて母の顔なぞ知らなかったし、てい宿には実の姉が二人いたので寂しくもなかったからだ。後妻がいると言われても、母が何たるかを知らない碧緒にとっては取るに足らないことだった。


 碧緒が「母」と言われて思い出すのは青梅の顔である。青梅は母に成り代わって碧緒を厳しくしつけてくれた。その甲斐あって碧緒も立派な足垂の女になったわけだが、青梅(蒼春もだが)は一姫にはほとんど介入せず、また竜樹も手出ししなかったので、一姫は良い意味で足垂らしくなかった。一姫の性格は彼女の母、桜(さくら)によく似ている。桜は病気がちで一姫と碧緒が十になった時に死んでしまったが、一姫を訪ねて何度もてい宿に来ていたところを見ているので碧緒も覚えていた。桜は明るくて愛らしく、碧緒のことも自分の娘のように可愛がってくれた心優しい人だった。一姫もそんなところを引き継いでいる。


 母に似て心優しく、悪い噂を鵜呑みにする性格ではないはずの一姫が竜臣を奉公人たちと同じように「恐い人」と評しているのは珍しい。それにはきっと彼女なりの理由があるのだろうと碧緒は踏んだ。


「ねぇ一姫。恐い人と言うけれど、竜臣様のどういうところが恐いのかしら?」


 右手を頬に添えて小首を傾げてみせた。


 すると一姫は言った。


「目、かな」


 碧緒は思わず数回瞬いた。


「目?」


 一姫は頷く。


「あの人はたま姉を助けてくれたし、良い人なのかなって、悪い人ではないのかなって思うんだけど、恐かった。特に目が」


 目か、と碧緒は心の中で反芻した。


 目は口程に物を言うとも言うように、目はその為人を体現している。碧緒が竜臣と再会してかつての彼ではないという印象を持ったのも彼の目が理由だった。竜臣の目は鋭い意志を持った目。どんなことがあろうとも決して曲がらない、折れない、そんな目だった。


「たま姉は恐くないの?」


 聞かれたので考えてみた。確かに恐いと言われれば恐いかもしれないが、竜臣の顔を思い出すと「美しい」「格好良い」「素敵」などといった感想しか思い浮かばず、恋は盲目とはこのことかと思わざるを得なかった。もちろん恥ずかしいので口には出さない。


「私は、あまり。意志が強そうな目であるとか、宝玉のようで綺麗だとは思うけれど」


「性格は? 恐い人らしいってことはたま姉の方が良く知っているでしょ?」


「そうね。あの方のことはそれなりに聞いているわ。でも、どんなに悍ましいことをされていると知っても恐ろしいとは思わなかった」


 閉鎖的なてい宿にさえ、入ってくるぐらいの蛮行を竜臣は行っていた。


 何処ぞの山を焼いたとか、妖物の大軍を村もろとも消したとか。使えない者は容赦なく切り捨て、悪行を働いた者には死よりも惨い制裁を加えたなどという話も聞いたことがある。


 てい宿の娘たちは竜臣の話を耳にすると震え上がっていたが、碧緒はやりすぎる人なのかと思うにとどまっていた。何故なら青梅が後日談も含めた竜臣の行動を毎度解説してくれていたからである。所感を交えず淡々と事実だけを述べる青梅のおかげで碧緒は素直に受け取ることが出来た。それに碧緒にとって竜臣は憧れの存在であり命を救ってくれた恩人ということもあって、恐ろしいと思ったことは一度も無かった。碧緒が恐ろしいと思ったことがあるのは父と青梅だけだ。


「じゃぁどう思っているの?」


「強くて綺麗な方、かしら」


「見た目の話?」


「ふふふ。そうね。ご当主様はとても強そうに見えるし、綺麗に見えるわね。どうしてかしら?」


「背が高くて顔が整っているからでしょ。違うの?」


「じゃぁどうして一姫はご当主様を見て恐いなんて感想を言ったのかしら?」


「あ、本当だ。どうしてだろう。どうして私はご当主様を強そうで綺麗って言わなかったんだろう?」


「さぁ。どうしてかしらね」


 お茶を飲み下す碧緒。一姫はどうしてだろうとぐるぐる考えながら羊かんを口に入れた。


 その後二人はゆっくりお茶を飲み干し、羊かんを平らげた。一姫は持って来た盆に空になった皿と湯呑を乗せて碧緒の部屋を出ていった。


 碧緒は一姫がいなくなると息を吐いた。


 当主竜臣との結婚について今一度考えてみる。


 碧緒にとって竜臣は憧れの存在だ。美しく、強く、それでいて大胆不敵。かつてない程強引で野蛮な当主だが、東方青竜一門は彼のおかげで確実に新しい道を進み始めている。これまで【人身供物廃止令】などというものを出した当主がいなかったことからも分かる。竜臣は人の心がないと言われているけれど、そんなことはない。何せ自ら碧緒を助けに来てくれたのだから。それに人身供物を捧げる儀式を行う家を直接訪問して説得していると聞く。(脅迫まがいの説得らしいが)


 しかし。碧緒にはそんな立派な人の妻として、影に日向に支える自信はなかった。それからどうしても父の顔がちらついた。碧緒が竜樹の意に添わず、家を出て従わなくなったら、竜樹はどんな顔をするのだろうか。


「碧緒様、よろしいですか」


 考えに耽っていると戸の向こうで声がした。


 気持ちを切り替えて許可すると、浅葱色の着物を着た雪しろが入ってきた。手には書類の束を持っている。


「うぐいすから送られてきましたよ」


 碧緒は雪しろから紙束を受け取った。


 うぐいすというのは本家の使用人として使える碧緒の友人である。てい宿時代からの友人のため、雪しろや雲雀とも仲が良い。


「いつの間にうぐいすに頼んだんですか?」


「馬葉が伝えてくれたの」


 雪しろが見ると馬葉は誇らしげに胸を張っていた。見た目は勇ましいが、中身は随分可愛らしい武将である。


「本家から足誰家に派遣されている方たちのリストですよね」


「えぇ。うめ姉さまのお部屋にあるかもしれないと思ったけれど、まずはうぐいすにと思って聞いてみたら『御用意いたします』って。昨日の今日で用意してくれたわ」


「さすが出来る女は違いますね」


 碧緒はそうね、と笑って表紙をめくった。 


 要望通り、名前と顔写真、簡単な経歴が書かれている。枚数はぴったり二十枚。普段の妖祓いなどの仕事や【人身供物廃止令】などに人手を割いているわりには多い。


 ざっと読みながら一枚一枚めくっていき、ある男のところで手を止めた。


(この方だわ)


 この間話した男だ。名は伊沼。歳は二十八で、第五部隊所属の式使いらしい。登録されている式は百足と蜘蛛。手書きで写真の横に『女好きの為 注意されたし』と書かれている。うぐいすが書いてくれたのだろう。仕事の細かいうぐいすらしい。


「雲雀」


 唐突に碧緒が呼ぶと、天井から音もなく雲雀が降りてきた。服は黒装束ではなく、本家の制服である青灰色のパンツスーツに白いシャツだ。


「このリストと足垂家に来ている方たちが一致しているか確かめてくれないかしら?」


「了解。リストが正しいかどうか知りたいのか?」


「えぇ」


「真意は?」


「本家の方々の動向を探るためよ。そのために他のものも取り寄せたわ」


 にっこり、碧緒は天女のように微笑んだ。すると雪しろも悪戯っぽい顔をして、別の紙束を掲げてみせた。


「これですね」


 雪しろは掲げた二つの紙束を碧緒と雲雀の前に置いた。一つはかなり分厚い。先程のリストの三倍はある。もう一つは数枚の紙をホッチキスで止めてあるものだった。


「何だこれ」


「分厚い方は本家が今抱えている案件を軽くまとめたものよ。薄い方は【人身御供の儀】をしていたお家をまとめたもの。これもうぐいすに頼んで送ってもらったの」


「くすべ様には内緒ですか?」


 真っ先にくすべの名が出てくる辺り、こういう時に一番警戒しなければならない人物をよく分かっている。


「もちろん内緒よ」


「くすべ様が知ったら敵認定されて一生ネチネチ言われそうだな」


 この雲雀の言葉にくすべを警戒しなければならない理由が全て詰まっていた。


「読み終えたら即破棄ですね」


「どれくらいで読み終わるかしら?」


「二、三時間あれば」


 雪しろは分厚い方を手に取り、ぱらぱらとめくっていった。雪しろには一目見るだけで全てを完璧に覚えられる特殊能力じみた特技があった。ちなみに他人の筆跡を寸分違わず真似出来る複写能力も持っている。


「さすがは本家。予定がびっしりですね。ここ何週間かは【人身供物廃止令】に関連しているみたいですが……あ。【地鎮の儀】が行われる日の晩に西方白虎一門の西方家との会食が入っていますね」


 それまで休むことなく動いていた雪しろの手が止まった。


 西方白虎一門とは、東方青竜一門と同じく、妖物と協力してこの世の陰陽の均衡を保っている集団である。


「西方白虎一門と言えば四門の中で一番仲の悪いところじゃないか」


「えぇ。北方玄武、南方朱雀の二門とは比較的良好な関係を築いているけれど、西方白虎一門とは未だ確執があるみたいね。四門が分かれた当時よりは良くなったとは聞くけれど、十分とは言えないわ」


 現在日本という国は四方に分かれた東方青竜、西方白虎、南方朱雀、北方玄武の四門で常世とも呼ばれる陰の世界と、現世とも呼ばれる陽の世界の均衡を保っている。主な仕事は常世と現世の過干渉が起こらないようにすることだ。人に危害を加える妖物に灸をすえ、邪なことを企んでいる人間を罰することもある。


 ただこの四門、協力関係にあって然るべきなのだが、あまり仲が良くなかった。とりわけ東方青竜一門は西方白虎一門との間に確執があった。


「こうして会食などを催して良好な関係をつくりあげようとはしているのですね」


「お父さまも定期的に西方白虎一門の御当主さまと会食されているわ」


「あぁ、竜樹様は親交があるんだったな。しかしまだ個々に親交があるだけで組織には反映されていないよな。一体いつになったら手を取り合うのかって感じだ。現当主様方では難しいかもしれないぞ。だって竜臣様とくすべ様と銀竜様だろ? 腹の探り合いしかしなさそうだ」


「銀竜様はまだしも、くすべ様は弄るでしょうね。御当主様はいらっしゃるだけで威圧的ですし」


「アタシは絶対そんな場所で飯なんか食いたくない」


「私もです」


「あら。楽しそうじゃない?」


「「えぇ!?」」


 二人が声を揃えて驚くものだから、かえって碧緒も驚いてしまった。


「だって、会食でしょう? 楽しくおしゃべりして美味しいご飯をいただくだけじゃない?」


「ははぁ。さすが天女の顔した鬼の姫様」


「想像してみたらしっくりきすぎて吃驚です。生粋のお嬢様は格が違いますね」


 感心する雲雀に、どこか羨ましそうな雪しろ。


 雪しろははぁとため息を零してから気を取り直して再び紙をめくり始めた。そうして「学校訪問? こんなこともやっているのですね」と思わず感想を呟くのだった。


「ところで、どうして本家の動向なんて探るんですか?」


 顔を上げて不思議そうな顔をする雪しろ。雲雀も気になっているらしく、碧緒に視線を合わせた。


「本家の方々がわたくしを望む理由を無くさせるつもり、と言ったことを覚えている?」


 雲雀と雪しろはもちろんだと頷いた。


「要は興味がわたくしから逸れれば良いと思うの。だからご当主様には新しいお嫁さんと運命的な出会いをしていただこうかと思って」


「えー!!!!」


 雪しろは思わずと言った様子で大きな叫び声を上げた。


「どうしてそんな余計なことをするんです!? 雲雀から聞きましたよ! この前、ご当主様と竹林で良い感じだったって!」


「あっバカ言うなよ!」


「まぁ!」


 焦る雲雀。


 碧緒は目を瞬いて驚いた。


 雲雀がこっそりついてきていることは知っていたが、竹林でのことを雪しろに話されているとは思っていなかった。触れられなかったから雪しろは知らないものだと思っていたのに。口止めをしておけば良かった。けれどあの日は何も考えられなかったから……。しくじった。


 視線を向けると雲雀は片手を立てて「すまない」と謝った。雪しろはこういう話が好きなのだから、雲雀は教えるに決まっている。これは碧緒の落ち度であり、二人を責めることはできなかった。


「妖避けと言っておいて、実のところは男避けに間違いありません! 碧緒! ご当主様は碧緒のことを好いていらっしゃるんですよ! ロマンスです! 間違いありません! 漫画みたいで素敵!!」


「落ち着け。男避けなんてわざわざしなくてもいいだろ。誰があの御当主様の伴侶になる人物に近付こうと思うんだ」


「もちろんそんな方はいないわよ」


「いますよ! その殿方! 絶対碧緒に興味があります! 私には分かります!」


 雪しろが指さしたのは碧緒が開いたままにしていたリストであった。もちろん開いているのは伊沼のページだ。


「一人のお姫様を取り合う二人の殿方……最高です!」


「落ち着けって」


「はいはい。お喋りはここまでにしましょうね」


 にっこり、碧緒は天女のように微笑んで手を叩いた。すると雪しろと雲雀はすぐに口を閉じた。


「雪しろ。この三種類の資料があればご当主様やくすべ様、銀竜様がいつ足垂家にいらっしゃるか予想できるでしょう? まとめて教えてちょうだい。舞台を整えましょう。雲雀は【地鎮の儀】の当日の運びについて詳しい情報を手に入れてきてちょうだい。お父様かうめ姉様のお部屋にあるはずよ。わたくしたちが知っている【地鎮の儀】と遜色ないか照らし合わせなければ。それからリストの照合も忘れずにね」


「でました。人遣いの荒い鬼の碧緒です」


「本当に鬼のようだ。妖滅部隊だってこんなに酷じゃない」


「さ、頑張るわよ。まずはどうして鯉たちが操られていたのか知るために、物置の捜索からね。わたくしだけでは手が足りなかったの。二人とも竹林でのことを知っているのだから、手伝ってくれるわよね?」


 にこり、碧緒が笑顔で圧力をかけると二人は絶望の顔をしたのだった。

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