第13話 箱庭の外は

「やぁ、お嬢さん。今日も元気そうで何よりです」


 早朝、空気の入れ替えのために碧緒が部屋の格子窓を開けると目の前に男がいた。小豆色の髪で、灰色のスーツを着た背の高い男だ。長い前髪で右目が少し隠れていても顔立ちが整っていることが分かる。


 随分近くに男が立っていたものだから、碧緒は心臓が跳ねる程驚いていた。それでも取り繕うことに慣れている碧緒は気づかれないよう笑顔を浮かべ、冷静な声を出した。


「おはようございます。お勤めご苦労様です。寒くはありませんか?」


「寒いです。けれど今はそうでもないですね」


「あら。なぜですか?」


「お嬢さんとお話し出来たことで胸がドキドキして、身体が温まってきたんですよ」


 パチンと隠れていない方の目でウインクする男。


 碧緒は左手で口元を抑えてころころと笑った。


「お上手ですね」


「笑っていただけて何よりです。僕の仕事はお嬢さんの笑顔を守ることですから」


「そうなの? 一体全体何をしてくれているのですか?」


「特命なので、大きな声では言えません。耳を貸していただけますか?」


 小さな声では教えてくれるらしい。


 男が口元に左手を宛がったので窓から身を乗り出して耳を差し出した。


「僕、お嬢さんを妖物から守るように言われているんです」


 碧緒はきょとんとした顔で自らを指して小首を傾げた。


「今、足垂家の周りは妖物でいっぱいなんです。儀式がちゃんと行われなかったことで怒った川の主の蛟が小物を遣わしてお嬢さんを探しているようで。足垂の敷地内やお屋敷は結界で守られていますし、本家の者も数多くいるので心配ないとは思いますが、念のため傍についてお守りせよとくすべ様が」


「あら。そうだったんですね」


 敷地内から出るな、逃げても必ず捕まえてやる、と言って去ったくすべのことを思い出す。


 くすべの性格上、本心から言ったのは確かだ。しかし彼の考え全てではなかったのだろう。「危ないから外へ出るな」というのも含まれていたかもしれない。碧緒も言いたくないことを隠して別の本音を吐くことがあるのでよく分かった。どうやらくすべは面倒くさい性格のようである。


(それにしても、外ではそんなことが起こっていたのね)


 生贄を捧げられなかった蛟はさぞ怒っていることだろう。怒った妖物が強硬手段に出ることはよくある。池の鯉を操ったのは、碧緒に恨みがあるからかもしれなかった。


(だから【地鎮の儀】を催すのね)


 碧緒は理解した。


 しかし、果たしてそれだけで蛟は治まるのだろうか。碧緒は【地鎮の儀】の内容を知ってからずっと気にかかっていた。


 六十年も待った供物が捧げらなかったのだ。主とも呼ばれる妖物が【地鎮の儀】だけで落ち着き、再び六十年待てるものだろうか。妖物には歳月など関係ないという者もいる。けれど妖物ではない人間が妖物を真に測ることはできない。妖物は人間にとって些細なことで怒り、人間にとって重要なことを少しも鑑みないものである。


 故に碧緒は考えた。もしかしたら蛟を鎮めるために【地鎮の儀】とは別の儀式があるのかもしれない、と。


 だとすれば竜樹が竜臣の言い入れを断ったことにも納得がいく。竜樹がその何かに碧緒を据えようとしているのであれば、碧緒を外へやろうとせずに留めておこうとするはずだった。


 物置を漁っているのはそれが知りたいからだ。これまでに行われた【地鎮の儀】の記録が残っているのなら、『別の何か』についても記録が残っているはずなのだ。しかしまだ記録は見つかっていない。そろそろ物置に戻って作業を再開しなければ青梅の与えてくれた十日に間に合わないかもしれなかった。


 窓を閉める前に貴重なことを教えてくれた男に礼を言うと、男は「大事なものを守るのは男の責務ですから」と笑った。ただの任務だと言われるより好ましい。しかも不思議なことに男は本心で言っているように思えた。今まで周りにこんな男がいなかったこともあって、碧緒はこの口の上手い男を気に入った。


「お名前をお聞きしても良いですか?」


 覚えておこうと名を聞いたが、男は「お嬢さんに名乗る名前はありません」と首を振った。妙なところで慎ましい態度を取られるともっと気になる。


(ここに派遣されている方たちのリストでももらおうかしら)


 顔写真付きなら特定できる。碧緒にはそれくらいの情報を手に入れられるつてがあった。

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