第12話 お望み通り
「俺に何の用なの?」
紙で折った蝶を遣わせて自室にくすべを呼びつけると、くすべはしかめっ面で現れた。自尊心と警戒心が高いことで有名だから、かなり訝しんでいる様子だ。
「まず、お礼を申し上げさせてください。くすべ様にはこの身を助けていただきました。分家の三女にすぎないわたくしを助けてくださり、ありがとうございます」
碧緒は恭しく頭を下げた。
畏まった態度の甲斐あって、くすべの表情が和らいだ。
「ここはあんたの部屋?」
「はい。狭いところで申し訳ありません」
「本当に狭いね。物置みたい」
不躾だが、くすべの印象は間違っていない。碧緒の部屋は元々物置だった。
碧緒は嫁ぎ先が決まるまでてい宿で過ごし、てい宿から嫁ぎ先へ移る予定だったので、足垂の屋敷に碧緒の部屋は用意されていなかったのだ。しかしてい宿の体制が変わり、十五歳までしかいられなくなったため、急遽物置を改装して碧緒の部屋を造ったのである。
本棚一つ、箪笥一つに鏡台一つ。二人が対面する場所と、本棚の隙間に雪しろが小ぢんまりと控えていることしかできない大きさの部屋は、三女であろうと良家の姫の部屋ではなかった。
辺りをぐるりと見渡してから碧緒に合わせたくすべの目は、心なしか鋭さが欠けていた。同情でもしたのかもしれなかった。
「まぁ部屋なんてどうでもいいんだけど。それで、なんで俺を呼びつけたわけ?」
碧緒は「お話しさせていただきます」と話し始めた。
「私がくすべ様をお呼びしたのは、私の意思をお伝えしたかったからにございます」
「あんたの意思?」
「くすべ様や本家の妖滅部隊の方々が足垂にいらっしゃっている理由は存じ上げているつもりです。私はそのお手伝いができればと思い、こうしてくすべ様をお呼びしたのです」
「つまり、あんたはオミとの結婚を望んでるってこと?」
「お望みのとおりにいたしますということです」
くすべは「何その言い方」と表情を曇らせた。
「足垂家は普段から頓智合戦でもやってるの? 分かりやすく言いなよ」
「うふふ。では言い方を変えて。ご満足いただけるよう努めます、はいかがでしょうか。それとも、お気に召すお嫁様をご用意いたします、かしら」
「はぁ? どういうこと? オレたちはあんたを指名したんだけど?」
「わたくしがお気に召したのであれば、それでも結構です」
「意味わかんないんだけどぉ」
大げさにため息を吐き、くすべは頭を掻いた。
「本家の方々はどうしてわたくしを妻にとお考えなのですか?」
「オミが言い始めたからってだけ」
「くすべ様はどうしてご当主様をお止めにならず、こうして手を尽くしていらっしゃるのですか?」
「そりゃまぁ、オミは一度言い始めたら引かないからやるしかないって」
「ということはご当主様がお引き上げになったら本家の方々は諦めるということですね?」
「たぶんそうだけど。ねぇ、この会話に何の意味があるの?」
「くすべ様にお伺いした結果、さきほどのわたくしの言葉は、ご当主様のお望みのとおりにいたします、に変わりました」
「ほんっと何なのこの家の奴ら! どいつもこいつも意味わかんないことばっかり言いやがって! あんたは正真正銘ウメの妹だし、あのジジイの娘だ!」
「まぁ、嬉しい」
碧緒がにこりと笑うとくすべは舌打ちした。かなり苛々しているようで、指先がせわしなく組んだ腕を叩いている。
「とりあえずあんたはオミと結婚したいっていうことでいいの? 」
「一先ずそのように受け取っていただければ」
「足垂家の奴らはみんな反対してるのに?」
そうです、と頷けばくすべは意外そうな顔をした。
「あんたは竜樹の言うことを聞くと思っていたんだけど……ふーん。オミとの結婚事態も嫌じゃないんだ。当主と言えど嫌われ者の【竜の子】に嫁入りするってのに」
東方 竜臣は、東方家当主の座に着く前から悪評の絶えない人物だった。
あまりに膨大な力の所為か、はたまた竜に姿を変えることができる所為か。それとも目的のためなら手段を厭わない情の無い男だからなのか、竜臣は【竜の子】と呼ばれ、恐れられ、蔑まれてさえいる。普通なら命を助けられたからといっても嫁に入りたいと思うような男ではないのである。
「ま、あんたの意思なんてこれっぽっちも関係ないんだけどね」
くすべの言わんとすることは分かっている。誰が賛成しようが反対しようが、東方家は碧緒を妻にできる。東方家当主が娘一人を囲い込めないわけがない。
「今後のことにも関わるから出来るだけ穏便に済ませるつもりだけど。さすがに拉致はまずいからね。でもあんたの父さん、全然言うこと聞かないんだよね。一回捨てたんだからくれてもいいのに。何で反対してるんだと思う?」
「わたくしにも分かりません。手を尽くして探ってみます」
言って碧緒は視線を雪しろに向けた。
「彼女も協力してくれます。雪しろです」
「雪しろと申します」
雪しろが恭しく頭を下げる。
くすべは目を細めた。
「外から探るにも限界があるから、中で協力してくれるヤツがいると助かるよ。期待はしないけど」
「いかようにもお使いください」
「そうさせてもらうよ」
「それからもう一人、ご紹介いたします」
カタン、と不自然な音が聞こえたと思うと天井の板が外れて雲雀が降ってきた。咄嗟にくすべが足を立てて臨戦態勢になったので、雲雀は素早く頭を下げた。
「雲雀と申します。碧緒の手足として足垂に潜入しています」
「何で上から降って来るんだよ」
不機嫌な様子を隠しもせず、くすべは不満を吐いて座り直した。
「驚かせてしまって申し訳ございません。この姿では目立ちますから、移動する際は屋根裏を使うようにと言いつけてありましたので」
碧緒は頬に手を当て、雲雀の服装を上から下に見た。足垂家の奉公人の着物を着ている雪しろとは違って、雲雀は黒装束だ。さすがにこの服装で歩き回っていたら不審がられてしまうだろう。
「確かに目立つね。仕方ないからうちの隊服を貸してあげるよ。そのままよりはだいぶましでしょ」
「ありがとうございます」
頭を下げた碧緒に合わせて雲雀も軽く頭を下げた。
それからゆっくり顔を上げた碧緒は「実は」と話を切り替えた。
「雲雀にはある物を持ってくるようお願いしていたのです。くすべ様にご覧になっていただきたいのですが」
「何?」
目配せすると雲雀は碧緒に和綴じの書物を手渡した。碧緒は内容を軽く確認してから書物をくすべに渡した。
表紙には上下に蚯蚓のような文字が書かれているが題名はなく、背表紙にも何も書かれていない。中を開くと初めに日付が。それから天気や気温が続き、まるで日記のようだった。
しばらく読んでから、くすべはハッと気づいて顔を上げた。
「【人身御供の儀】の記録か」
碧緒が頷く。
書物の内容は今まで行われてきた【人身御供の儀】の記録だった。日付や天気、気温の外には何時に何処で何をしているのかまで詳しく書かれている。
「そこには儀式が遂行出来なかった場合は六日後に【地鎮の儀】を行うとしています」
「足垂のヤツらがバタバタしてるから儀式関連でまだ何かあるんだろうとは思ってたんだよね。ふぅん。【地鎮の儀】か。方法は儀式の場で祝詞を唱えながら大幣を振るい、人身供物となるはずだった女の着物を捧げるって、相変わらずふっるいやり方」
くすべはため息を吐いた。碧緒は苦笑するしかない。
「この間の儀式でも思ったけどさ。足垂家ってふっるいよね。昔のことを今風にリメイクしようとか思わないの?」
「足垂は伝統を重んじる家系ですから」
「じゃ、足垂 竜樹は儀式を変更するような奴ではないか。例えば【地鎮の儀】で着物を捧げるんじゃなくて本物の女を捧げる、とかすると思う?」
「それはないでしょう。【人身御供の儀】もそうですが、お父様の意識にあるのは『儀式を行う』というものではなく、『伝統のお定まりに従う』ということです。先人が行っていることであれば、お父様は間違いなくそれに従うでしょう」
「失敗した儀式を再び行うことは?」
「それもあり得ないでしょう。儀式というものは暦、時、場所。準備の段階から全てが揃って初めて儀式として形を成します。昨日のあの機会を逃してしまえば次は再び暦が巡る六十年後。お父様もそうお考えになっていると思います」
「足垂の女であるあんたが言うならそうなんだろうね」
くすべは一つ頷き、立ち上がった。
「今日はこの辺りで帰るよ。んじゃ。貴重な話、どーも」
碧緒も立ち上がり、くすべを外まで見送ろうと出て行くくすべの背についた。するとくすべは戸に手を突いて碧緒を制し、わざとらしく何かを思い出したようにあ、と声を漏らした。
「あんた、足垂の敷地内から絶対出ないでよ。というかこの屋敷から出るな。逃げようなんて気は起こさないでね。監視させるから。まぁもし逃げても必ず捕まえてやるけど。じゃーね」
碧緒の鼻先でピシャンと戸を閉められてしまった。見送りもいらないということだろう。
足音が遠くなってから三人は一様に息を吐いて緊張の糸を緩めた。
「ドキドキしましたね」
「すごい気迫だったわ」
「構えられたときはどうしようかと思ったよ」
「雲雀の緊張は私たちの緊張とは違いますよね? どうやって応戦しようかってことでしょう」
「まぁね」
にやりと笑う雲雀に碧緒はさすがだと微笑み、雪しろは雲雀らしいと頷くのだった。
「それにしても。碧緒って、結局どうしたいんですか? 私もくすべ様と同じでちんぷんかんぷんでした」
「アタシも」
雲雀が手を挙げて同意する。
「いっそのこと、恩返しにお嫁さんになるとか、助けてもらって一目惚れしましたとか言ってくれればいいのに」
ため息まで吐いて、雪しろはあからさまに残念そうだ。
「雪しろは乙女だな。『断れない』から茶を濁したに決まってるだろう」
「えーそうですか? 小説や漫画では人気なんですよ。暴君とか冷酷な男とか。恐い人なのに優しさが垣間見えたりするととっても良いんです。ギャップです。ご当主様はまさにそれです。それにご当主様は見た目もお綺麗じゃないですか」
「見た目が綺麗でも他に難がありすぎるだろう。ギャップって言うけど、現実ではそんな奴願い下げだ。ずっと優しい方が良いに決まっている。そう言う雪しろはご当主様と結婚したいと思うのか?」
雪しろは首と両手を激しく振った。
「思うわけないですよ。上手くやっていける気がまるでしません。何を考えていらっしゃるかも分からないですし、恐いです。朝の行ってらっしゃいのキスさえできなさそうです」
「そんなのがしたいのか」
雲雀が口をへの字型に曲げて嫌そうな顔をすると、雪しろは「お帰りなさいのキスもします」と胸を張った。
「キスのことを置いておくにしても、そもそも当主の妻なんて私には荷が重くて無理ですね」
でも、と雪しろの目が碧緒を捉えた。
「碧緒なら涼しい顔をして添い遂げそうだなと思うんですよ。ほら、よく小説や漫画にも出てくるでしょう? 頭の中でご当主様の隣に碧緒を添えてみてください。恐ろしい父親と優しい母親の出来上がりです。この場合、主人公は二人の子どもですね」
「雪しろはそればっかりだな」
事あるごとに小説や漫画を引き合いに出してくる雪しろに雲雀は呆れた顔をしたが、「まぁ碧緒なら確かに」と同意するのだった。
「御当主様の隣にいても遜色ないどころかお似合いだよ。碧緒って見た目に寄らず強かなんだよな。笑顔で結構えげつないことをする」
「えぇ。天女の顔をした鬼です」
「あらそう? 二人の期待に添えるよう頑張らないといけないわね」
話が逸れてきたところで碧緒がにこにこ笑いながら参加すると、二人は苦々しい顔をした。
「まぁ素敵なお顔だこと。それじゃ、早速期待にお応えしようかしら。二人とも、これ以外の資料がないか調べてくれる? お父様がわたくしを必要としている理由が見つかるかもしれないから。雪しろは右隣の物置、雲雀は左隣の物置ね。わたくしは地下の物置を探してみるわ」
さて、と立ち上がった碧緒を不思議そうに見上げる雪しろと雲雀。
「えっと碧緒。今からですか? もう深夜に差し掛かっていますよ? 私、明日も早朝から奉公人としてのお仕事があるのですが」
「時間がないんだもの。今すぐやらないでいつやるの」
「もしかして夜通しやるつもりか?」
「もちろんよ」
にっこり頷く碧緒とは裏腹に、二人は表情を引きつらせるのだった。
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