第11話 夜半の蝶
暗闇に月が浮かんでいる。足垂家の屋敷が建つのは田舎の山中ということもあり、無数の星が輝いて見えた。
一人で過ごすには勿体ない晩だから、美しい夜空の下で男女が逢瀬を果たしていた。
女は浅葱色の着物を着ている。癖の強い黒髪を高いところで一つに結い、背筋を伸ばしたうえで手足を揃えて上品に立っていた。
男は紺のPコートに黒いパンツをはき、革のブーツを履いている。髪は癖のない茶髪のため頭のシルエットは丸い。ひょろりと細長い背格好で、手をコートのポケットに突っ込んでいた。
「あんたの父さんなんとかなんないの。あんたに言っても無駄だと思うけど」
男は不機嫌だった。
東 くすべ。当主の右腕と謳われており、東方家直属の妖滅部隊、第一部隊の隊長である。
「私に決定権はありません。これは足垂家の問題です。足垂家のことは、足垂家当主である竜樹様がお決めになります」
対する女はすました顔で答えた。
足垂 青梅。足垂家当主、足垂 竜樹の長子であり、二十四の若さで東方家の宰相を務めている才女である。
「オミが妻にするとか言うから家のことひとしきり調べたんだけどさ。あんたたちの母親は足垂家から逃げ出して外であの女を産んで、あの女だけ送り返して来たらしいね。で、一姫って女は後妻の子。双子じゃないのに同じ年なんて、不思議なもんだ。後妻は病気がちですぐに死んだから、あんたが母親代わりになって一姫って女も碧緒って女も育てたんでしょ? 可愛い妹のために何かしてやろうとか思わないの?」
青梅は答える気がないらしく黙っている。常に無表情で、口を開いても警戒してほとんど情報を漏らさない青梅に黙秘されたら為す術はない。青梅からは何も得られなさそうだ。くすべは心の中でため息を吐いた。
「ブスに聞いたオレがバカだった。この性格ブス」
「何とでも。足垂御当主に会えずに私のところへ来たのでしょうが、挑発しても無駄ですよ」
思わずくすべは舌打ちした。
くすべが青梅を訪ねたのは竜樹から門前払いを食らった後である。わざわざ青梅の部屋の前まで行き、本家の務めがあるという理由で引っ張り出したのだ。
「あんたは本家の宰相でしょ。こっちにつかないって言うなら、その場から引きずり降ろすよ?」
「私は本家の宰相でもありますが、足垂家の長子でもあります」
引っ張り出すのは苦労しないが、この調子である。
くすべはふぅん、と顎を上げて上から青梅を見下ろした。
「へぇ。じゃ、宰相じゃなくなったっていいんだ。あんたもオミの人柄は知ってるでしょ。あんたがそういう態度ってことをオレがオミに言えば、オミはあんたを辞めさせるよ? その権力、その地位、たかがお家騒動でなくしちゃっていいわけ?」
本家の宰相といえば、東方青竜一門を握っていると言っても過言ではない。東方青竜一門の顔と言えば当主であるが、東方青竜一門を操る人物といえば宰相である。すべてを思い通りにすることが出来る地位を、権力を、やすやすと捨てられるのかとくすべは聞いているのだ。もともと二十四という若さで宰相に選ばれたことが奇跡である。こんな機会は二度とないだろう。ここで宰相を捨ててしまえば一生戻ることはできない。分かりやすい脅しである。
しかし青梅は決して折れなかった。
「その際は東方家御当主の意思に従います」
青い光をはらんだ瞳で真っすぐにくすべを見て言うのだ。可愛らしく脅しに屈してくれれば良いものを。
「あんたのその性格、あの老害ジジイと瓜二つだね。全ッ然融通が利かない性格は父親譲りなわけぇ? てかあのジジイの犬共と一緒。人形みたい。その身体、機械ででも出来てんの?」
くすべは青梅の細い顎を掴んだ。青梅はぱち、と瞬きを一つ。それ以外に変化はなかった。
妹は顔を赤くして可愛げがあったのに。
くすべは心の中でため息を吐いて手を放した。
「……ホント、オレがバカみたい。もういい。部屋戻りなよ」
顎から手を離し、虫を払いのけるような仕草を二度行うと、青梅は「分かりました」と 軽く頭を下げ、屋敷へ戻っていった。
くすべは背を伸ばした美しい姿勢で屋敷に入っていく青梅の後姿を見つめた。小脇にはくすべが持ってきた資料が抱えられている。
宰相は多忙だ。本家を離れて休みを取っているにも関わらず仕事から離れられない程、青梅は忙殺されている。かくいうくすべもそうだった。主な原因は当主竜臣である。どこから拾ってくるのか、竜臣は次から次へと問題を運んでくる。それも一筋縄ではいかない案件ばかりだ。今回の件がその良い例である。
事の始まりは本家に届いた差出人不明の手紙だった。何の変哲もない白無地の手紙に足垂家で人身供物の儀式が行われる旨が記されていたのである。手紙を読んだ竜臣はすぐさま【人身供物廃止令】を東方青竜一門に出した。そして一同は人を生贄にする儀式が足垂家以外でも行われていたことを知った。
それからというもの、竜臣以下本家の面々は対応に追われている。【人身供物廃止令】を出すだけでは誰も従わなかったからだ。望まれた当主ではない竜臣にはほとんど敵しかいない。
東方青竜一門当主の肩書は竜臣の枷である。目立つ肩書きの所為で竜臣は強引なことが出来ない。肩書きさえなければ女一人くらいいくらでも攫ってやれるのだ。
くすべはコートのポケットから煙草の箱を出した。
一煙草を口にくわえ、銀のジッポで火をつけて一息吸い込み、ゆっくりと吐く。
口から出た煙がゆっくりと闇に取り込まれていった。
頭の中を整理するけれど、まとまらない。時間も人も足りないのだ。いつもいつも。
くすべはいつも、あと一人いれば、と考える。あと一人竜臣を制御もしくは影から支えられる人物がいれば、竜臣の立場は確固たるものになる。それこそ妻のような存在がいれば。しかし竜臣は暴れ馬だ。枷をはめられ制限されても目を離すとやりすぎる竜臣に、足並みを揃えられる者は限られている。娶ろうとしている分家の三女なんかには不可能だろう。きっとあの娘はお飾りの妻となるのだ。
足垂 碧緒。生贄として殺されそうになっていたところを助けてやった、足垂家の三女。あの【竜の子】竜臣が求婚した渦中の姫君は、何処にでもいるちょっと綺麗で淑やかな娘であるように思えた。長女青梅のように機械仕掛けの才女ではなく、次女蒼春のように芸に長けた絶世の美女でもない。それでいて四女一姫のように特別な力もない。そもそもくすべは足垂家の三女は一姫だと思っていた。差出人不明の手紙が来るまで足垂家に四人の娘がいるとは知らなかったのである。くすべにとって碧緒はその程度の娘だった。
正直、東方家当主の妻として碧緒は申し分なかった。家門外の女は外交問題が絡んでくる。中の女でも地位も権力も足りない家の女では駒にもならない。頭が悪ければ足を引っ張るし、我が強ければ面倒だ。竜臣に手間がかかる分、嫁には手を煩わせてもらいたくなかった。その点、碧緒は名家の一つである足垂家の嫡子で、陰陽師としての能力も申し分なく(むしろできる方)、素行も良く主張は控えめだ。竜樹に抑圧されていたからか素直に何でも言うことを聞き、生贄になれと言われた時でさえ笑顔で受け入れたと聞いた。青梅を見ていると一癖ある家系だと感じざるを得ないが、過激なことをしがちな竜臣の妻に宛がうなら良家生まれの淑女が良いと思っていた。
つまり、碧緒は竜臣のために用意されたのではないかというくらい、しっくりくる女なのである。手に入れておいて損はない。竜樹に一泡吹かせることもできる。
何たる都合の良い話だ。
にやり、とくすべは口角を上げた。
煙草を一本吸い終わり、くすべは携帯灰皿に吸殻をねじ込んで帰ろうとした。
すると何かが宙を飛んでいることに気づいた。それは宙を不規則に舞い、上下しながらこちらに近づいてくる。
白い紙で折られた蝶だった。誰かの式神である。蝶は屋敷の方から飛んできたようだ。
くすべはしばらく自分の周りを回る蝶を見ていた。
屋敷の方へ一歩進むと、蝶が先導して飛び始めたので、くすべは訝しみながらも蝶のあとについていくことにした。
蝶はまず、屋敷を南にぐるりと回りこんでくすべを裏庭に案内した。屋敷の北の方は明るく、屋敷の光に照らされて庭の木や草がよく見える。くすべのいる南側はあまり人が来ない方なのか屋敷に明かりはついておらず、乏しい月明かりが庭を照らしているばかりだ。
暗い屋敷の前でひらひらと蝶がはためいている。近づくと蝶はするりと屋敷の中に入っていった。どうやら隙間があるらしい。爪を立てて力を籠めると動いた。
一見しただけではそれとは分からないような引き戸を開け、靴を脱いで屋敷へ上がった。一応、靴は軒下に隠しておく。
橙色の光が廊下を照らしているが、暗い。
視線を動かすと地下に続いているらしい階段があった。その隣には物置のような部屋がある。
蝶が目の前を横切った。蝶はそのままひらひらとたどたどしく宙を飛び、一つ目の角を左に曲がっていった。
くすべは蝶のあとを追う。
視線の先で蝶が再び左に曲がった。くすべも曲がると、蝶が突き当りの部屋の前にある橙色のランプの下でゆらゆらと揺れているのが見えた。どうやらそこが目的地のようである。
突き当りの部屋の前まで来ると、蝶はまた戸の隙間からするりと中に入っていった。
隣の部屋は物置のようだった。使われていない部屋特有の冷気が戸の隙間から流れてくる。目の前にある部屋からは暖かい空気と明るい光が漏れているけれど、物置に囲まれた部屋なんて陰気くさい。
ガララッ
声もかけずにくすべは引き戸を開けた。暖かい空気が身体を包み込む。
正面に少女が座っていた。癖の強い黒の長髪を背に流し、白装束を着ている。背筋は綺麗に伸びており、手は揃えられていた。
「お待ちしておりました」
少女、碧緒は床に手をつき、丁寧に礼をしてみせた。
くすべは碧緒を見下ろし、吟味する。
この『気』は……竜の気か。
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