第9話 筋金入りの箱入り娘

 古くから日本という土地の陰陽を守る陰陽師。


 東の青竜、西の白虎、南の朱雀、北の玄武。それぞれ強大な力を持つ妖物と契約を結び、東方家、西方家、南方家、北方家として大きく四つに分かれた彼らは、表の陽の世界と裏の陰の世界の均衡を保っている。


 表というのは人間たちの住む世界。裏というのは妖物たちの住む世界。この二つの世界は表裏一体。どちらかが崩れれば自ずともう一方も崩れ始めるものだ。


 故に陰陽師は妖物を粛清することを生業としているのではなく、あくまで陰陽の均衡を保つことが本来の目的なのである。


 足垂家で行われた【人身供物の儀】もその一つ。足垂が腰を下ろした地に住まう蛟との契約で、六十年に一度、地鎮の儀式として生贄を差し出さなければならないのであった。




 碧緒は自室の小窓から外の様子をうかがっていた。


 小さな格子窓から見える裏庭に、青灰色のスーツを着た男が立っている。東方家お抱えの妖滅部隊の正装だ。足垂家の監視のために配置されているのだろう。


コンコン


 戸を指で叩くような小さな音が聞こえてきて、碧緒は視線を巡らせた。扉ではない。天井から聞こえてきている。


 碧緒が天井を見上げると、天井の板が外れてにゅっと首が伸びてきた。顔に白いのっぺりとした面をつけた、黒髪の人物である。碧緒は面に一瞬肝を冷やしたが、顔を出した人物がすぐに面を取ったので微笑んだ。眉が太く、少々吊り上がった黒い目は大きい。鼻もいくらか高く、唇は分厚い。はっきりとした顔立ちに焼けた肌が良く似合っていた。


「あら、そんなところから現れて。ずいぶん驚かせてくれるじゃない」


 首が引っ込んだと思うと、黒装束の人物が降りてきた。


「ごめん」


 黒装束の人物は中性的な声で一言謝ると碧緒に抱き着いた。碧緒よりも頭半分くらい背が高い。碧緒は黒装束の人物の頬に擦り寄り、背に腕を回した。ず、と鼻をすすっている黒装束の人物の背を優しく叩いてやる。


 そうしてなだめていると、今度は戸を叩く音がした。黒装束の人物が素早く碧緒から離れて大きな本棚の陰に隠れた。


「碧緒様、よろしいですか?」


 戸の外からかけられた声は碧緒のよく知っている声だった。


「もちろん良いわ」


 碧緒が声をかけると引き戸が開き、足垂家で仕える奉公人が着ている水浅葱色の着物を着た少女が入ってきた。肌は白く、目元は涼しげで唇は薄い。髪は癖のない黒髪で、首の後ろで一つに結って後ろに流している。黒装束の人物とは真逆の印象を持たせる、繊細そうな少女だった。


 少女は碧緒と目が合った瞬間、堪えきれなくなって涙した。口をへの字に曲げて目から涙を流し、声だけを押し殺して碧緒に近づいてくる。


 碧緒は手を広げて少女が近づいてくるのを待った。少女は小走りになり、碧緒に抱き着いた。後ろから黒装束の人物も碧緒を抱きしめる。


 黒装束の人物の名を雲雀。少女の名を雪しろ。碧緒とは十年来の友であった。


 碧緒は困ったように笑って、しばらく二人に身体を預けていた。


「いやはや良き友であるな、姫よ」


 突然降って湧いたように声がして、雲雀と雪しろは驚いて碧緒から身体を離した。


「やや。驚かせてしまったかな」


 壁に飾られた掛け軸の中。馬に乗った武将が扇子の影から三人をちらちら覗いていた。


「へぇ。妖物が宿っているのか」


「足垂家に妖物がいるのを初めて見ました」


 雲雀と雪しろが意外そうな声を上げる。


 足垂家は妖物嫌いの竜樹が張った結界で守られている。妖物にとって毒にも薬にもなる一姫がいることもあって、強い結界である。おかげで足垂家には魑魅魍魎の類はほとんど入って来なかった。


「馬葉よ。もとは三枚綴りの掛け軸なの。三枚の掛け軸の中なら自由に行き来出来るのよ。一枚は青梅姉様のお部屋に。もう一枚は本家のどこかに飾られていると思うわ。よく言付かってくれるのよ」


「儂は騎馬兵だが、姫の前では足軽であるのだ」


 えへん、と胸を張る掛け軸の武将・馬葉。雲雀と雪しろは気さくな妖物にそれぞれ笑んだ。湿っぽい空気が馬葉のおかげで和やかになったので、碧緒は心の中で馬葉に礼を言った。


「二人ともよく来たわね」


 気を取り直して言うと、二人は馬葉の前で正座した。死角になる所をよく分かっている。


「一姫でしょう?」


「御明察」


「一姫が知らせてくれて碧緒救出作戦を実行したのですが、わたくしたちの力は及びませんでした」


「いいのよ。こうして私は生きているのだから。終わりよければすべて良しよ。命を賭してくれてありがとう。雲雀、雪しろ」


 碧緒は片方ずつの手で雲雀の右手、それから雪しろの左手を握った。それぞれが碧緒の手の上にもう片方の手を置く。


「生きてて良かった」


「わたくしたちの努力も報われるというものです」


「で、碧緒はどうするつもり?」


 唐突に雲雀が今までの穏やかな顔を変え、真剣な表情で質問してきた。


「ご当主様から言い入れがあったでしょう?」


 それに雪しろも続く。


「でも竜樹様がそれをお断りになった。お断りになったのに東方家の妖滅部隊がまだ足垂家に出入りしているということは、竜臣様は碧緒を諦めていないということでしょう?」


「そうみたいね。御当主様がどこまでするつもりなのかは分からないけれど、とりあえずまだわたくしを妻として迎え入れる気のようだわ。本家の方たちが増えているようだしね」


 竜樹が言い入れを断ったにも関わらず本家は人を送って来ていて、全てを見渡せるわけではない碧緒の部屋からも確認できる程度には人を増やしていた。竜樹のところへ交渉にやってくる人物は今のところいないようだが、それも時間の問題だろうと碧緒は予想していた。


「人の出入りが多いからアタシらもこうしてある程度自由に動けるんだ。儀式が失敗して、しかもその理由が本家介入だから、足垂家が混乱してるってのもあるけど」


 雲雀の言う通り、今足垂家は混乱状態になっている。竜樹や青梅はスーツの人物たちをいないものとして扱っているようだが、さすがに奉公人たちはそうはいかない。忙しそうに務めを果たしながらも注意散漫で落ち着かない様子だった。部外者の雲雀が天井裏を移動し、雪しろが足垂の奉公人の着物を着て動くことができるのもその動揺のおかげが大きい。


「まだ、私たちは動けます。自由に動けるうちは手伝おうと、雲雀と話し合ったんです。碧緒の命を助けるのには失敗したけれど、少しでも役に立ちたいと思って。だから私たち、碧緒がどうするつもりか聞きに来たんです」


「碧緒が逃げたいというなら逃がしてやる。ご当主様のところへ行きたいと言うなら足垂を敵に回そう。ここに残りたいのなら、一緒に籠城だ」


 雲雀、雪しろ両名は、真剣な顔で碧緒を見ている。


 二人には今すぐ帰れと言った方が良いのかもしれなかった。碧緒を助けるために一姫と尽力した二人は、見つかれば首を切られてもおかしくない状況だ。本家の介入でうやむやになっているだけだ。それを良いことにさらに深くかかわれば、どこかで身を明かされ、元の生活には戻れなくなるかもしれない。


 それでも良いと、この二人は思っているのかもしれなかった。二人の目がそう訴えてくる。


 であればこちらも真剣に、正直に答えるまで。


「それが、まだ決まっていないのよ」


「ご当主様と結婚するかしないかですか?」


「お父様の意思に沿うか、ご当主様の意思に沿うかよ」


「それって碧緒のしたいことって言えるのか?」


 雲雀が尤もな疑問を呈する。


 竜樹の意思に沿うたとしても竜臣の意思に沿うたとしても、それは他人の意思であって碧緒の意思ではない。


「……わたくしは今までそうやって大事な選択を他人に委ねて生きてきたから、そうとしか考えられないのよ」


 雪しろと雲雀は言葉を失って、何とも言えない顔をした。


 足垂家の嫡子、碧緒は他家の姫君たちより特殊な環境で育っている。


 碧緒の母親は竜樹の最初の妻で、長女青梅、次女蒼春(あおはる)を生み育て、三女碧緒を身ごもっている間に足垂家を飛び出して以来消息を絶っている。碧緒は赤子の時に足垂の屋敷の玄関に捨て置かれており、母親の顔を知らない。そして父親でさえ育児を拒み、碧緒は足垂家の教育機関である禁男の施設、てい宿へ預けられた。


 雪しろと雲雀にはてい宿で出会っている。


 てい宿は外部と完全に隔離された施設で、高い水準の学問を学ぶことができ、陰陽道にも長けた女人を育てるところであった。てい宿で育った婦女子は東方一門だけでなく、西や南や北からも嫁にもらいたいという話が出てくるくらいの淑女揃い。故に一般でいう小学生にあたる期間だけ娘をてい宿に預ける家が多かった。


 しかし碧緒は赤子の頃から中学卒業までに値する十五年もてい宿で過ごした。俗世と隔離され美しいものだけを与えられた碧緒は、あまりに馴染みすぎて文句も言わずに黙ってよく聞く娘に育ってしまったのだった。


「碧緒が良いならアタシらはそれで良いけど」


「いつか、どんなに反対されても自分の意思を貫く碧緒を見てみたいものです」


「まぁ。そんなことになったら大変よ。わたくし頑固だから世界だって敵に回してしまうわ」


 雪しろと雲雀は笑った。


 碧緒は表情では笑いながら、心の中では二人に感謝を述べていた。自分というものを持たない薄っぺらい人間でも、二人は受け入れてくれる。


 周りの人間に恵まれていると碧緒は思う。雪しろと雲雀という友人を得られたことは財産だった。そこに父や母、姉や妹も入ってくるところが厄介なのだが。


「存分に迷えば良いよ」


「けれどそうも言ってられませんよね? ご当主様のことですから、屋敷を壊すまでして碧緒を攫いそうです」


 大袈裟ではないかと思えども、もし本当に竜臣がそこまでしてくれるならちょっと嬉しいと思ってしまったから救えない。


 気を取り直して、碧緒は頷いてみせた。


「ご当主様方がどうされるかはともかく、雪しろの言う通りよ。だから手っ取り早く可能性を潰していくことにしたわ」


「「可能性を潰す?」」


「お父様とご当主様がわたくしを留めておこうとしているのは、それぞれにわたくしが必要な理由があるからよ。だからその理由がなくなればわたくしは自由の身。自分がどうしたいのかゆっくり考えることができるようになるわ」


「わーお。さすが碧緒。ロジカルだ。けど、その理由ってどうにかしてなくせるものなのか?」


「お父様には確実にわたくしの物質的な使い道があるわ。ご当主様だってそうよ。調べてみないと分からないけれど」


「お父様に娘を想う気持ちがあるとか、ご当主様が一目惚れしたとかって、ほんの少しも思わないんですか?」


「気持ちだけで人は動かないものでしょう? 物質的な何かを得られないと」


「碧緒……」


「これが足垂のお嬢様……怖いくらいに現実主義者です」


 思わず嘆息した二人に対し、碧緒は不思議そうに小首を傾げるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る