第8話 鉄の女たち

「あの男からの言い入れを受けるつもりはない」


 足垂 竜樹は部屋に足垂 碧緒を呼びつけてそう言い放った。碧緒は眉一つ動かさずに竜樹の話を聞いている。


 足垂家が代々六十年ごとに繰り返してきた地鎮の儀式、【人身供物の儀】が妨害により遂行されなかったのが昨日のことである。そしてまた、東方家当主から足垂家の三女碧緒に言い入れがあったのも昨日のことであった。足垂家当主竜樹は昨日の時点で本家当主直々の言い入れを断ったのだという。


「お前があの男の妻として東方家に入る必要はない」


 腕を浅葱色の着物の袖に通し、藍の羽織を着た竜樹は厳格という文字をそのまま形にしたような態度で碧緒を睨み付けている。


 一方碧緒は微笑を浮かべた唇を引き結び、じっと竜樹を見つめていた。言葉を発することもない。あまりに動かないので呼吸をしているのかも不思議なくらいだった。


「下がれ」


 吐き捨てるように言われても碧緒は悠然とした態度を変えず、また一言も発することなく深く礼をして部屋を出た。


 自室に向かって歩いていると、途中で後ろから名を呼ばれ、足を止めて振り返ると青梅がいた。


「来なさい」


 藍色の着物を着て背筋を伸ばし、手足を揃えて立っている。表情が全くないところが父にそっくりだった。


 碧緒が応えてつま先を向けると、青梅は無言で先導して彼女の自室に碧緒を招き入れた。


 青梅の部屋は広い。とはいえ壁という壁を全て本棚で覆い尽くしてあるので妙な圧迫感があり、狭く感じる。本棚の他には文机が一つと掛け軸があるだけといった、生活感がまるでない部屋だった。


 青梅と碧緒は文机を挟んで向かい合って座った。


「御当主様から言い入れがありましたが、貴方はどうするつもりですか」


 単刀直入だ。


 無駄を嫌う青梅らしいと碧緒は思わず笑んだ。


「私は御当主様の意向に従います」


「そうですか」


 素直に口を開いた碧緒に、青梅も素直に首を縦に振る。理由を聞かないところも青梅らしかった。稀代の才女と謳われる青梅には聞くまでもないからだろう。言わずとも彼女が碧緒の考えを正確に把握しているからか、それとも聞くに堪えないどうでもよいことだと思っているのかは定かではない。ただ、青梅は「では別の質問をします」と続けたので、十分ではないらしいことは確かだった。


 碧緒が「なんなりと」と頷くと、青梅は言った。


「貴方はどうしたいのですか」


 ドッと碧緒の心臓が嫌な音を立てた。


 答えられなかった。「どうするのか」と問われればすぐに出た答えが、「どうしたいのか」と形を変えた途端に何も答えられなくなってしまった。


「分からないのですね」


 碧緒はゆっくり頷いた。青梅には隠し事が出来ない。


 今まで碧緒は足垂家の娘として当主竜樹に従ってきた。右を向けと言われれば右を向き、左を向けと言われれば左を向き。たてついたことはおろか、疑問さえ感じないことがほとんどだった。何故なら竜樹の判断はいつも正しく碧緒を導いていおり、碧緒は不満など抱いたことがなかったからだ。


 そしてそれが一番楽だった。竜樹に従ってさえいれば、碧緒は蝶を愛で、花を愛で、妖物たちと他愛のない会話をしながらのんびりと生きることができた。


 しかし、【人身供物の儀】で終わるはずだった命が長らえてしまった現在。嬉しいことではあるが、そこで終わりだと全てを清算したのでどうすれば良いのか分からなかった。今まで通り竜樹に従っていれば良いと思う反面、あるはずのない命なのだから、竜樹にとっては蛇足に過ぎず、いらぬ存在なのではないかと思えてならない。


 となると続きの人生を与えてくれた竜臣の望むとおりにするのが正しいのだろうかとも思うが、おもいきれない。


 完全に自分で考えて来なかったつけが回ってきていた。


「竜臣に焦がれているのですか」


 ぐるぐる考えているところに突然問いかけられて、油断していた碧緒はつい取り繕うのを忘れて赤くなってしまった。


「う、うめ姉さま!? どうしてそれを!?」


 正直に口をついて出てしまう。


 竜臣への想いは秘めた想いだった。幼い頃の初恋を惹き摺っているだけ。いや、美しく神秘的で身も心も強い彼に憧れているだけと言っても過言ではなかったのに。いざこうして言い当てられると胸が切なくぎゅっとなって、どうしようもなく彼のことが愛おしくなってしまった。


 八年ぶりに会った彼は十代の彼よりも美しさに鋭さが増しており、猛々しいとも言える艶やかさを放っていた。どこか神秘的なところは変わらなくても、あのとき感じた儚げな印象は見る影もなく。耳朶を打った低い声と、男らしい手に顎を掬い上げられた感触がずっと忘れられない。


 思い出すと顔から火が出そうになって、碧緒は顔を覆った。


「うめ姉さま。私、恥ずかしい。こんな、何の取り柄もない私が彼のお方に焦がれていることが。私の命を助けるために言い入れてくださっただけなのに、はしたなく喜んでいることが。身の程知らずというのはまさにこのことだわ」


 何かと目立つ若き当主と何事にも目立たない分家の三女が吊り合うはずがないと碧緒は思っている。そして己が妻に選ばれたのは利益を計算した上で出た答えであって、間違っても竜臣に己を愛する心があるとは思っていないのであった。何せ東方 竜臣は人間にも妖物にも恐れられている血も涙もない【竜の子】。成し遂げた偉業よりも悪評の方が多い。そんな男がたった一度や二度会っただけの娘にどうこう想う方が間違っている。そもそも幼い頃に一度会っていることを彼が覚えているはずもない。


 と分かっているにも関わらず、碧緒の心は震えて仕方ないのである。


「足垂の娘であるにも関わらずお父さまのご意向に従うという判断ができないでいるばかりか、こんな感情を抱くなんて。なんて愚かなのかしら」


 身体を折っても身体を襲うだえるような苦痛に呻く。


 碧緒がこんなにも素直に心の内を吐露できるのは、失踪した母親の代わりに自分を育ててくれた青梅の前だけだった。感情を表すことを見苦しいとする竜樹の教えの所為だ。ちなみにそのおかげで青梅は誰の前でも感情を出さない鉄の女になったわけである。


 鉄の女青梅は、いつものように何の感情も表していない無表情で、丸まって呻く碧緒に淡々とした声を落とした。


「私は母に代わって貴方をどこへ出しても遜色ない子に育てたつもりです。誇りなさい」


 碧緒が静々と顔を上げると、それでいいとでも言うように青梅は頷いた。


「私は口出ししません。彼の人の意に添うても、お父様の意に添うても、どちらでもなくても構いません。自分で決めなさい」


 自分で決めろと言われたのは初めてで緊張した。自分で選択することへの重みを感じる。


 碧緒が真剣な表情で「はい」と返事をすると、青梅は言った。


「六日で決められますか」


「六日、ですか」


 短い、と思った。


「では十日ではどうでしょう。四日、貴方のために作ります」


 態度に出したつもりはないが、青梅は敏感に悟ったようだ。


「それ以上は抑えておけませんから、必ず十日で決めなさい」


 何を抑えておくのかは分からなかったが、碧緒は頷いた。


 六日も十日も大して変わらない。できることならたっぷり悩む時間が二週間は欲しかったけれど、時間がないのだろう。


 言い入れを受けるつもりはないとはっきり言った竜樹は全力で碧緒と竜臣の結婚を阻止するだろうし、本家側もまた宣言した手前、碧緒を引きいれようと強引な手を使ってくるはずだった。本来なら迷っている場合ではないのである。だから青梅が十日くれる、つまり十日迷っても良いと言ってくれたことはむしろ有り難いことなのだ。青梅が十日と言ったのだから、十日間はどちらにも転ばない。それだけの力を青梅は持っている。


 傍から見たら、昨日まで碧緒を生贄として川に沈めようとしていた女が掌を返した、と思われるだろう。しかし足垂とはこういう家である。決まりとあれば心を殺して従い、状況が変われば身の振り方も変える。異常に切り替えが早いのである。青梅はその性質が顕著に表れていた。


「さて。では次の話です」


 青梅は文机に白い封筒を乗せ、碧緒の方に滑らせた。


「これは返しておきます。ここにしたためられた事は貴方が自分で為しなさい」


 表に青梅の名が書かれている。碧緒が儀式の前に書いた手紙だった。


 碧緒は無言で頷いて手紙を受け取り、懐に仕舞い込んだ。


「貴方の想いを伝える調度良い機会でしたので、私宛ではない物はすでにそれぞれの元へ渡っています」


「あら……そうなのですか」


 己が死ぬことを前提に書いた手紙のため、こうして生きているとなると少しばかり恥ずかしかった。


「私の話は以上です」


 いつもならここで話が締めくくられるところだが、珍しく青梅は続けた。


「ここからはただの独り言。戯言だと思って聞いてください」


 青梅がこう切り出すのも稀なことだった。これは何かあると踏んだ碧緒は、戯言だと言われたにもかかわらず姿勢を正して耳を傾けることにした。


「貴方は宿命と運命をどう捉えていますか?」


「己の行いで変えられるものが運命で、変えられないものが宿命と考えています」


 こくりと頷く青梅。


「その通り。しかし一つ訂正を。『己の行い』ではなく、『個人の行い』です。己でなくても運命は変えられます。運命は必ず誰かの意志に寄ります。特にお父様や竜臣、一姫なぞは意志の他に欲も強い分、己の運命も他人の運命も変える力が強いので貴方は巻き込まれてしまうでしょう。しかし、貴方にも運命を変え、動かす力はあるのですよ碧緒。よく考えて行動しなさい」


 碧緒は頷いた。


 さすが足垂の女、青梅である。


 足垂という家は派手ではない。陰陽師として前線に立って妖物を祓うというよりは、組織内や組織間の均衡を保つことに奔走する縁の下の力持ちだ。謀略を巡らせたり後始末をしたりが得意で、足垂の者は先見の明があると有名だ。陰陽師としての能力は高くないが占いはよく当たる。平安時代より出でた東方青竜一門において当主を輩出したことは一度もなくても、宰相を最も多く輩出している家であった。


 つまり故意に他人の運命を変え、思い通りに動かすのが足垂家なのだ。青梅は碧緒にも足垂の女であれと言っているのであろう。


 ここで「他人を自分の思い通りに動かすなんて間違っている!」と思わないあたり、碧緒も足垂の女だった。


「かしこまりました」


 自信はなかったけれど、碧緒ははっきりと返事をした。


「期待していますよ」


 これで青梅との話は終わった。

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